有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

その他の芸術

ダグ・リーマン[監督]『ボーン・アイデンティティ』(ユニバーサル・ピクチャーズ)

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ボーン・アイデンティティー [DVD]

あらすじ

 海を漂っていた男を、イタリアの漁船が救助する。銃弾を受け、海に投げ出されていたのだ。彼は意識を取り戻すが、名前すら思い出せない。皮膚の下にはマイクロカプセルが埋め込まれており、ボタンを押すとレーザーで銀行口座が映し出された。
 チューリッヒの銀行に到着して、貸し金庫に預けていたものを受け取ると、ジェイソン・ボーンだと書かれていた。しかし各国の紙幣や別名義のパスポートも複数枚見つかり……。

自分探しの物語

 アイデンティティと日本語で言いますが、同一であること、同定することという意味です。アイデンティティは「自己同一性」とも訳され、過去の自分と現在の自分が同一人物だと考えている根拠です。
 偽造パスポートが複数ある場面は、分裂しているアイデンティティの象徴とも言えましょう。監督も語っているように*1この物語は自分を探す物語ですが、果たして自分を失っているのはボーンだけでしょうか。
 マリーもまた自分を失っているように思います。マリーは「放浪癖があり」*2、帰る家がありません。アイデンティティと言えば、自分だけの問題だと捉えられがちですが、アイデンティティは帰属意識に関わっています。例えば日本人、家系。これらの事柄は自分自身と密接に結びついていますが、マリーは帰る家がありません。つまり、家を通して自分を探しているのです。
 流浪の民という点においても、各国の紙幣がジェイソン・ボーンの貸し金庫から見つかったというのは示唆的。各国の紙幣もまたマリー同様、流浪の旅を連想させます。

*1 『映像特典 ダグ・リーマンによる音声解説』(ダグ・リーマン[監督]『ボーン・アイデンティティ』ユニバーサル・ピクチャーズ)
*2 原文はGypsyとなっている。放浪癖というと、家があるように聞こえるが、Gypsyは流浪の民である。



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ポール・グリーングラス[監督]『ボーン・スプレマシー』(ユニバーサル・ピクチャーズ)

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ボーン・スプレマシー [DVD]

あらすじ

 記憶喪失のCIA諜報員、ジェイソン・ボーン。彼は恋人とともにインドでひっそりと暮らしていた。しかしトレッドストーン計画の全容を知られたらCIAにとって不都合である。
 ジェイソン・ボーンを抹殺すべく、CIAはインドまで諜報員を送り込んだ。恋人はその巻き添えで死亡。果たしてトレッドストーン計画とは一体何なのか?

自分探し

 冒頭はジェイソン・ボーンの夢の断片から始まります。もちろん、物語の暗示、記憶喪失の明示などを示しているのでしょうけど、それだけなら他の方法でも構いません。夢の断片を示すことで、自分の過去を探す、つまり自分探しの主題につながってくるとも解釈できます。

フロイト

 まずフロイトの話からしましょう。コップで水がどうしても飲めないという症例を報告しています。そして嫌いな犬がコップを舐めていたことを思い出した途端に、飲めたと言います*1。
 しかし、普段は思い出せません。思い出さないことで自我を保っているのです。これを契機に精神分析を確立していくのですが、その中でも特に夜見たときの夢を重視するのです。普段は意識しないだけで鮮烈に残っている出来事が夢となって現れてくると、フロイトは考えました。

ジェイソン・ボーン

 『ボーン・スプレマシー』の冒頭もそのような意味があると考えます。この場合、フロイトに代わって恋人のマリーが夢の意味を探っていますが、「2年間書き続けているが、イヤな夢ばかり。ずっとその繰り返しだ」とボーンは弱音を吐いています。
 これに対して「だから書くのよ。やがていいことを思い出すわ」と答えて、夢の書き取りを促します。夢から過去を探るという方法は精神分析の方法そのものです。

謎解き

 『ボーン・スプレマシー』はジェイソン・ボーンが自らの謎を解く、という点で謎解きと言えましょう。確かに『ボーン・アルティメイタム』などでも同じことは言えますが*2、『ボーン・スプレマシー』では自分の過去と自覚的に向き合っています。
 自らの罪を自ら探し出しているのです。そして遺族を探し出し、最終的に謝罪を行ないます。「愛するものを失ったとき、その真実を知りたくなる」とあるように冒頭のマリーの死は重要な意味を持っています。 
 そして、ジェイソン・ボーンもまたこの言葉通りに真実を知るのです。

*1 ヨーゼフ・ブロイアー、ジグムント・フロイト『ヒステリー研究(下)』(筑摩書房)
*2 『ボーン・アルティメイタム』でも自分の秘密を探るが、自分の「罪」と向き合うことはしていない(ポール・グリーングラス[監督]『ボーン・アルティメイタム』(ユニバーサル・ピクチャーズ)。



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ポール・グリーングラス[監督]『ボーン・アルティメイタム』(ユニバーサル映画)

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ボーン・アルティメイタム [DVD]

あらすじ

 記憶喪失の元CIA諜報員、ジェイソン・ボーン。彼は自分の本名を知ることになる。そして秘密の訓練計画を通じて、暗殺者に仕立て上げられたとも。その計画の全容を知るため、ロンドンでジャーナリストのサイモン・ロスに接触を図った。
 しかしサイモン・ロスはCIAに射殺され……。

マフィアのほうが

 恐らくですがCIAのロンドン支部はありません。アメリカは世界各地で諜報活動を行なっていますが、「ロンドン支部」という大々的な建物は実在しないでしょう。
 つまり現実にないと推測できるものを、あることにするには作品世界で描くにはそれなりの説明が必要です。フィクションだから何でもありではありません。あまりに絵空事だと嘘くささが目立ってしまうのです。大きな建物を写さないか、小さなアパートの一室にすればいいだけ。
 もし、どうしても大きな建物を写したいのなら、国際的なマフィアにすれば、話の筋を変えずにリアリティも出せます。
 それに子供ならともかくいい大人が簡単に洗脳されるものでしょうか? これは物語全体の問題だと捉えるかもしれませんが、銃撃、カーチェイスなどを短くして、洗脳の描写を長くすれば解決します。アメリカのアクション映画はカーチェイス、銃撃戦ばかりです。そしてジェイソン・アルティメイタムも基本的にそれを踏襲していました。
 また「決着を付ける」と言っていたわりに、続編ありきのラストです。人気作なので、続編を作って儲けたいという映画会社の魂胆が透けて見えました。

CIAと戦う

 さて、カーチェイス、銃撃戦という点だけ見ればどれも似たり寄ったり。しかし、ジェイソン・ボーンシリーズの特徴として、CIAが敵ということが挙げられます。アメリカ映画は外国が敵、アメリカが味方の勧善懲悪が多いのですが*1、CIAが敵に回るという筋書きは珍しいと思いました*2。

フランケンシュタイン

 さて、もう一つの軸として、自分探しが挙げられます。このテーマは「ボーン・スプレマシー」*3のほうが色濃いのですが、ボーンが計画責任者、ハーシュ博士に復讐を遂げるという筋は『フランケンシュタイン』*4を思い起こさせました。
 『フランケンシュタイン』の怪物とジェイソン・ボーンの共通点は下記の通りです。
・科学によって生み出された。
・完全に悪は登場しない。『フランケンシュタイン』の怪物は女の子を助けて、ジェイソン・ボーンもウォンボシの暗殺を躊躇った過去がある*5。しかも両者は子供が関係している。
・フランケンシュタイン博士は名誉欲に、クレイマー長官は金銭欲に動かされている*6。


*1  ジョン・ファヴロー[監督]『アイアンマン』(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)、テイラー・ハックフォード[監督]『ブルーフ・オブ・ライフ』(ワーナー・ホーム・ビデオ)など。
*2 CIAが敵に回るハリウッド映画は『RED』が挙げられる(ロベルト・シュヴェンケ[監督]『RED』ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社)
*3 『ボーン・スプレマシー』では夢から過去を糸口を掴む。この発想はフロイトの影響が強いだろう(ポール・グリーングラス[監督]『ボーン・スプレマシー』ユニバーサル・ピクチャーズ)。
*4 メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』(東京創元社)
*5 ダグ・リーマン[監督]『ボーン・アイデンティティ』(ユニバーサル・ピクチャーズ)
*6 ポール・グリーングラス[監督]『ボーン・スプレマシー』(ユニバーサル・ピクチャーズ)



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チャールズ・チャップリン[監督]『独裁者』(ユナイテッド・アーティスツ)

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あらすじ

 時は第一次大戦のトメニア。二等兵だったユダヤ人の床屋は、シュルツと重要書類を手に飛行機へ乗り込んだ。しかし燃料が切れて墜落する。書類を届けようとしたときには、トメニアはすでに降伏していた。やがてシュルツは出世し、突撃隊長に抜擢される。
 一方、ユダヤ人の床屋は墜落事故で20年間、記憶を失っていた。その20年で、トメニアは激変。ヒンケルが独裁者として君臨。しかし、この政変をユダヤ人の床屋はまだ知らない。しかもヒンクスとユダヤ人の床屋は偶然にもそっくりだった……。

ヒトラーへの批判

 『独裁者』はヒトラーへの諷刺、批判を込めて作られました。ナチスの鉤十字と、ヒンクスの旗が酷似していることからも解りますね。 そしてチャップリンの主張は、最後の演説に集約されています。
 ユダヤ人も黒人も白人も お互いに助け合わなくてはならない。他人の幸せを願い、憎みあってはならない(中略)
 自由で希望に満ちた世界を作ろう。民主主義の名のもとに団結しようではないか。新しい世界のために立ち上がろう。雇用や福祉が充実した社会を作ろう。
 独裁者たちも同じ約束をした。だが口先だけで約束を守らなかった
 約束を果たすために立ち上がろう。世界を解放し、国境をなくし、貧困や憎しみを消し去るのだ。良心のために立ち上がろう。
 このように民主主義の重要性を訴えて、『独裁者』は幕を閉じます。Wikipediaによりますと「当時のアメリカはヒトラーが巻き起こした第二次世界大戦とはいまだ無縁であり、平和を享受していたが、この映画はそんなアメリカの世相からかけ離れた内容だった」*1とあります。
 しかしチャップリンは民主主義の重要性を訴えていますが、ヒトラーはクーデターなどで独裁者になったのではありません。選挙で当選*2。
選挙では「ヒンデンブルクに敬意を、ヒトラーに投票を」をスローガンにし、膨大な量のビラをまき、数百万枚のポスター、財界からの支援で購入した飛行機を使った遊説や当時はまだ新しいメディアだったラジオなどで国民に鮮烈なイメージを残した。
いわば合法的に独裁者へなりました。もちろん、ヒトラーの行ないは擁護しませんが、どのような背景がヒトラーのような独裁者を生み出したのかを真剣に考えなければいけません。英仏の戦争賠償*3や、世界恐慌*4なども原因でしょう。
 またチャップリンはユダヤ人ではありませんが*5、黄金狂時代ではゴールドラッシュを風刺しており、社会現象に対して関心があったと解ります。

喜劇の方法

 さて、どのような高邁な思想でも、観客が見なければいけません。民主主義である以上は知識人だけでなく、大衆を相手にしなければ意味がないのです。そこでチャップリンは喜劇という方法を選択したのでしょう。
 喜劇的な演出は、大砲の弾を間違って自国に打ち込むなど枚挙にいとまがありません。

シェイクスピアの喜劇

 さて、シェイクスピアは喜劇でほとんど毎回と言っていいほど、勘違いを扱っています。例えば、『十二夜』*6のオッシーノとヴァイオラ、『間違いの喜劇』*7のアンティフォラス兄弟など。
 『独裁者』も勘違いから巻き起こる喜劇。この発想はシェイクスピアの影響を受けているのではないでしょうか。

ベルクソンの『笑い』

 ベルクソンは喜劇論の『笑い』*8において、次のように述べています。「人間のからだの態度、身振り、そして運動は単なる機械を思わせる程度に正比例して笑いを誘うものである」と。例えばハンガリー舞曲に寸分違わず、髭をそる場面がこの例に当てはまりますね。また『独裁者』では床屋とヒンクスの取り違えが置きますが、ベルクソンは類似性についても下記の言及をしています。
完全な類似のあるところには、我々は生けるものの背後に働いている機械的なものがありはせぬかと首をかしげる。あんまり酷似している二つの顔に対面したときの諸君の印象を分析したまえ。(中略)何か工業的製作の作業工程を念頭に浮べていられるのを御覧になるだろう。生をこうして機械の方向に撓め曲げることが、ここ〔パスカルの言う〕では笑いの本当の原因である。
 ベルクソンの論述には賛同できない部分もありますが、少なくともチャップリンの『独裁者』において、この論考が当てはまります。ヒンクスがユダヤ人の床屋そっくりいうばかりではありません。
 機械として見るということは感情移入の排除であり、それゆえ、突撃隊がフライパンで叩かれても、ヒンクスがパイを投げられてもある種の安心感を持って笑いに変えられるのです。もし、突撃隊へ感情移入させた後、フライパンで叩いたらハンナに好ましくない感情が湧くでしょう。

ドリフターズの喜劇

 さて、ドリフターズの喜劇と独裁者の場面はいくつか共通しています。
 例えば『独裁者』ではハンナがフライパンで突撃隊の頭を叩きますが、ドリフターズでは金盥が落ちてきます。ヒンクスがネクタイを引っぱられ、跳ねて顔に当たる場面は、ゴムパッチンなどの原型と見て間違いないでしょう。またパイを投げて、顔に当たる場面もあります。
 ドリフターズは少なくともチャップリンの独裁者からこれらの方法を習得したのでしょう。しかし、ドリフターズは方法としての喜劇から喜劇の方法へと変化させてしまったのです。


*1 Wikipedia「独裁者(映画)
*2 Wikipedia「アドルフ・ヒトラー」。
*3 Wikipedia「レンテンマルク
*4 Wikipedia「世界恐慌
*5 Wikipedia「チャールズ・チャップリン
*6 ウィリアム・シェイクスピア『十二夜』(白水社)
*7 ウィリアム・シェイクスピア『間違いの喜劇』(白水社)
*8 アンリ・ベルクソン『笑い』(岩波書店)。なお人間を機械として扱うのはむしろ『モダンタイムス』に当てはまる。


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ラウル・ペック[監督]『マルクス・エンゲルス』(カルチュア・パブリッシャーズ)

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マルクス・エンゲルス(字幕版)

あらすじ

 1840年代のヨーロッパでは格差社会が広がっていた。そのような現状を変えるべく、二人のドイツ人が立ち上がる。一人はライン新聞の記者、カール・マルクス。彼は過激な主張で当時のドイツ政府から目を付けられていた。
 もう一人は紡績工場の御曹司、フリードリヒ・エンゲルス。二人は協力し、やがて一冊の本を書く。『共産党宣言』。

詰め込みすぎ

 僕は二人の思想に関心があり、見に行ったのですが、詰め込みすぎです。マルクスの恋愛、ラブシーン、出産、エンゲルスとの出会い、そして唐突な『共産党宣言』。二人の生い立ちを知っている人が見なければ内容は解りませんが、二人の知っていれば見なくてもいい、という矛盾を孕んでいるのです。もっと的を絞らないと、どこに注目すればいいか解りません。
 原題は‎Le jeune Karl Marx、つまり「若きカール・マルクス」という意味です。つまり、エンゲルスのことは一言も触れられていません。エンゲルス視点の場面をすべてマルクスに割けば、焦点が絞られるのではないでしょうか。いっそのこと『共産党宣言』の執筆から完成までを描いたほうがよかったかもしれません。
 また、マルクスの思想に影響を与えた哲学者の名前がちらほら出てきます。バウアー、フォイエルバッハ、ヘーゲル、アダム・スミス、リカード……。しかし話の筋と関わってくるのは、プルードンだけです。したがってプルードンの名前だけでいいのではないでしょうか。

ローリング・ストーン

 最後にローリング・ストーンが流れるのですが、意図は解ります。マルクスの時代だけでなく、現代にも通じる、と言いたかったのでしょう。しかし、『資本論』はエンゲルスが引き継ぐが、今なお、完成していない、という字幕だけで充分伝わります。
 1840年から突如、現代になるので違和感があるのです。しかもしばらくして再び劇中の音楽が流れ始めます。あのままローリング・ストーンで終わればまだ解りますが、挿入の方法が中途半端なため、より一層異質さが際立ちました。



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ソン・ガンホ[監督]『タクシー運転手』(ショーボックス)

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タクシー運転手 約束は海を越えて [DVD]

あらすじ

 時代は70年代の韓国。ソウルのタクシー運転手、キム・マンソプはデモ隊を運転の邪魔だとしか考えていなかった。そんなある日、羽振りのいい話を大衆食堂で聞きつける。ドイツ人記者、ピーターを光州にまで運べば10万ウォン支払うと言うのだ。初めは大金目当てだったが、光州で見たのは軍隊が無抵抗の市民に向けて発砲する姿だった。
 次第にキムの価値観も変わり、政治に関心を持ち始める……。

注意点が一つ

 パッケージの爽やかな笑顔を見て、心温まる映画だと思うでしょう。それは間違いではありませんが、生々しい死体の描写があります。特に病院の場面では実際の映像を使っています。
 僕は平気ですが、死体の描写が苦手ならご鑑賞を控えてくださいませ。

政治的背景

 『タクシー運転手』は実際の事件を描いています。しかも、映画だけから内容も必要最低限の情報は読み取ることができるようになっています。これは多分にソン・ガンホ監督が『タクシー運転手』撮影の動機にも関わってきます。
 「光州事件はあれほど大きな悲劇だったにも関わらず、40年近く経った今、韓国の若い人たちの多くは、何が起こったのかあまり深くは知らない状況です」
 と語っており*1、できるだけ『タクシー運転手』の中で状況を描かなければいけなかったのです。

政治から離れて

 さてこのように『タクシー運転手』は政治的な色彩が強い映画。しかしだからと言って毛嫌いするのはもったいない*2。
 政治的な文脈から切り離して鑑賞すると、下記の四点に注目できます。

映像表現

 さて、まず映像表現に注目しましょう。『タクシー運転手』では実際の映像が後半部、時折挟み込まれます。この表現効果は事実であると強調し、それゆえリアリティを生むのです。
 映画以外にも、サウンドノベルの背景などでも応用できそうですね! 事実、『MMR』というマンガはイラストと写真を組み合わせて描かれています。

コメディ

 コメディとしての側面に注目しましょう。まず何が喜劇性を生み出すかというと予想や常識との落差です。例えば、マンソプが大家に10万ウォンを貸して欲しい、というシーンですが、大家に用途を尋ねられます。観客は滞納分が10万ウォンだと知っていますので、大家の息子に借りるという突飛なマンソプの発想が面白く感じます。
 「大家にそれ〔滞納分の借金〕を頼むか?」と断られますが、これは大家の息子の言葉であると同時に、観客の言葉でもあります。漫才で言えばツッコミに当たります。
 また、マンソプは中途半端に英語ができるので、英語と韓国語混じりでピーターに話しかけています。字幕では「この車にトゥギャザーで乗る。オーケー?」と書かれていたと記憶しています。

サスペンス

 この物語は緊迫感もあります。それは通訳の大学生、ジェシクが軍人に捕まる辺り。どうせマンソプ側の人間なんだから、最後はギタリストになる夢を叶えるんだろうと思っていました。
 またカーチェイスなどもあり、映画後半部は緊迫感があります。

成長物語

 『タクシー運転手』はマンソプの成長物語として鑑賞することもできます。そしてマンソプがデモの大学生を見たときの反応が伏線として機能していることが解ります。マンソプが政治に無関心だと強調するように描かれていますが、これがかえって読者には結末を予想させるのです。
 実際、結末では娘の独立もあるのでしょうが、儲けよりも大事なことを見出しています。

*1 リアルサウンド映画『「韓国の若い人たちの多くは、光州事件を深くは知らない」 『タクシー運転手』監督インタビュー



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アマンダ・シェーネル[監督]『サーミの血』(アップリンク)

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サーミの血 [DVD]

あらすじ

 舞台は北欧。エレ・ドリャの妹の葬式の場面から始まる。1930年台から一族はサーミ人でスウェーデン人から同化政策を受けてきた。エレはスウェーデン人への憧れから、ウプサラの青年に恋心を抱く。利用価値に気付き、ニクラスの家へ押しかけるが、当然、家族の許可は下りない。
 勝手に高校へ偽名を使って入学。200クローネの授業料を請求された。ニクラスに金の無心を頼むが、当然、拒絶。母親のもとへ行き、亡父の形見を金に変えて授業料に充てる。

サーミ人への差別

 この物語はサーミ人への民族差別を訴えています。
サーミは、スカンジナビア半島北部の北極圏を中心に、トナカイ遊牧民として知られる少数先住民族です。(中略)しかし現在は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧3ケ国とロシアの計4ケ国に分断されています。
 と公式サイトには書かれています*1。

同化政策と差別政策

 スウェーデン人から同化政策を受けてきました。例えば、
・学校ではサーミ語を使ったら、手を木の棒で叩かれる。
・人権無視の身体測定
・サーミ人の民族衣装を着せられ、白い目で見られる。それどころかサーミ人がトナカイの耳に傷を付けているのを真似てか、エレの耳にも傷をつける人たちもいる。
 その反面、差別政策も行われています。代表的なのが寄宿学校の教師、クリスティーナから言われる。「あなたたち〔サーミ人は〕脳が小さくて文明には適応できない」というもの。

社会進化論

 今でこそ構造主義*2が当たり前で文化に優劣はないという考えです。1930年代の文化人類学では劣等民族という言説が行われていました。しかも、当時はれっきとした学問として確立されていたのです。
 ダーウィンの進化論に影響を受けて、社会進化論という学説が発展していきました。社会進化論と一口に言っても時代時代で様々に変わるのですが、スペンサー以降の優生学*3が大きな影響を与えました。
ゴルトンは、人為選択(人為淘汰)によって民族の退化を防ぐために劣った遺伝子を持つものを減らし、優れた遺伝子を持つものを増やそうという優生学を提唱した。これは、人種差別(中略)の正当化に使われた。
 ゴルトンが優生学を提唱したのが1883年。この思想は20世紀になって、政治と科学が大きく結びつくことになるのです。
 現代の場面から始まるのですが、(少なくとも映画の中では)サーミ人を劣等民族だと主張する人は出てきません。しかし現代人もまたサーミ人を正しく認識しているとは言い難いのです。冒頭でこのような台詞が出てきます。
 「サーミ人がバイクに乗ってたわ。自然を大切にする民族だと思っていたのに残念」。1930年代のスウェーデン人が劣等民族という虚像を自分の都合がいいように作り上げてきましたが、この発言もまた「自然を大切にする」という虚像を作り上げているのです。

『サーミの血』という三つの意味

 ところで『サーミの血』(Sameblod)は具体的にどういうことを言っているのでしょうか。
遺伝
 一つ目は間違いなく、遺伝子、血族としての血です。「口を開けば不満や愚痴ばかり」とあるようにエレはサーミ人であることに複雑な感情を老人になるまで抱いています。正直に言って、母親に亡父のベルトを譲ってもらいながら、嫌悪感を剥き出しにするのは大人げないとも思うのですが。
流血
 エレは幼少期にスウェーデン人からサーミ人であることを揶揄されます。エレは逆上して、「取り消してなさい」と掴みかかるのですが、その際にスウェーデン人から持っていたナイフを取り上げられ、耳を切られました。この場面では、血まみれの耳がクローズアップされます。
 サーミ人の血とは文字通りの流血を表しているとも解釈できます。
比喩
 もちろんエレが追ったのは身体的な傷だけではありません。顔の傷跡は老人になっても残っていますが、これは象徴的。生涯消えぬ傷、つまり心の傷を追いました。そして「サーミの血」とは心の傷とも解釈できるのです。
 そのように解釈すれば、トナカイのシーンと重ね合わせたという以外にも顔で別の意味が見出せます。喜怒哀楽などの感情は顔に現れますが、顔の傷は感情を傷つけたこととも受け取れるでしょう。

政治的なものから離れて

 さて『サーミの血』はサーミ人への政策を描いた、多分に政治的な映画と言えます。しかし作品の情報だけで『サーミの血』を読み解いたとき、疑問が残ります。
1.エレは誰と結婚したのか
 エレの子供が冒頭で出てきますが、ニクラスの子供とは考えにくいです。エレはニクラスの両親ともに嫌われています。サーミ人だからではなく、非常識な行動を取ってしまったのです。
2.ウプサラでの生活費
 ウプサラでの生活費はどのように工面したのでしょうか。もちろん亡父の形見を売ったのでしょうが、高校の授業料に充てています。もしトナカイなどを売って工面したとすると、家族に対して感謝の言葉があってもおかしくありません。
 また、出自を隠して生活している以上は、どうしても労働が成約されます。もちろんヨイクなどを歌って稼ぐということも考えられますが、「見世物にはなりたくない」と言っているから、この可能性も低いでしょう。
 もちろん、監督もサーミ人。政策に焦点を絞りたいのは理解できますが、エレのその後についてもう少し詳しく描いて欲しかったというのが正直なところです。


*1 映画『サーミの血』公式サイト
*2 レヴィ=ストロース『野生の思考』(みすず書房)
*3 Wikipedia「優生学



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山田洋治[監督]『学校II』(松竹)

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学校II [DVD]

あらすじ

 舞台は北海道の竜別高等養護学校。全寮制で、竜平はそこの教諭である。特に佑矢は知的障害は重く、授業中に暴れ、時には失禁までしていた。一方の高志は学習障害があるものの程度は軽く、普通学級のクラスにいた。しかし、イジメを受け、話せなくなる。彼は三年の冬に買い物へ行くと告げたまま、戻ってこない。それも佑矢を連れて……

障害者たちについて

 まず障害者たちの症例が極めて実体に即しています。バスの運転手に書いてメモを渡すことからもわかるように、高志の症状は学習障害だと推察されます*1。今でこそ学習障害やアスペルガーなどの症例は一般に浸透していますが、製作年は96年。学習障害は旧文部省によって定義されるのが1999年*2だということを考えれば、かなり先進的な知見を取り入れているのではないでしょうか。
 また「あと3分で仕事が終わる」、「あと5分で就寝」などという木村先輩も実際の症例に即していると思われます。それもそのはず。障害者教育の専門家もスタッフに加わっているのですから*3。しかし感動の押し売りではありません。
 もう一つ時代の空気を感じる点がありました。高志の行き先は安室奈美恵のコンサートです。ここで回顧に浸るためにコンサートを出したのではありません。コンサート開場では言うまでもなく、観客全員が一体化しています。健常者も障害者も、そしてコンサート会場にいない小林教諭までも繋がっているのです。もっと歌という広い意味で解釈すれば、竜平の娘、由香も含めていいかもしれません。
 この場面では「モーツァルトを聞く〔竜平〕先生には解りませんよ」と小林が述べているように、竜平だけが疎外感を味わっているのです。

冒頭について

 冒頭のスキー場では由香と竜平が進路について揉めています。この冒頭は
(1)竜平の人間関係
(2)教育一般というテーマ
(3)結末への伏線
 凝縮されていて、極めて簡潔な場面ですが、重要な場面です。冒頭の場面があってこそ、『学校II』では障害者教育だけでなく、教育一般を描きたかったのだと解釈できるのです。


*1 「LD(学習障害)の子どもに見られる特徴は? 特性を理解して適切な関わりを!
*2 Wikipedia「学習障害
*3 スタッフロールには「障害児教育アドバイザー」の役職が流れてくる。




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ロブ・ライナー[監督]『迷い婚』(ワーナー・ホーム・ビデオ)

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迷い婚

あらすじ

 サラは母親の顔を知らない。知っているのは母親の恋愛をモデルとして小説が書かれ、そしてそれが映画になっているということ。それに結婚前の数日間、メキシコにいたということだけだった。
 プロポーズされたはいいものの、「果たして結婚していいのか」と思い悩んでいた。母親の足跡をたどればこの悩みもを打開できるかもしれない、と考えるのだが……。

自分探し

 映画でも語られているように、『迷い婚』は自分探しをテーマにしています。

サラについて

本当は誰の子なのか解らないまま、結婚するのが不安でたまらないのです。もちろん普段は無意識に抑えつけているのですが、帰郷の度に体調を崩していると語られます。
 自分の故郷はあっても、両親〈と思える人〉がいないのです。これらの理由からサラの心には疎外感が故郷へ帰るたびにつきまとっています。したがってボー・バロウズで不安を埋めているのだと解釈できます。母親について何か知っているかもしれないのです。結婚前の数日間、身を寄せていたのですから、アールたちよりは濃いと思っても不思議でありません。実父であればなおのこと、つながりがあります。
 故郷から遠く離れたところで、ボーと関係を持つというのもサラの心情をよく表していると言えましょう。
 英語圏に限らず、多くの文化で大地と母のイメージを重ねていますが*1、生命を産み育むという共通点があります。サラの故郷は緑豊かな田舎として描かれていますが、肥沃な大地という意味でも母親を連想させます。

アニー

 また、アニーも結婚後、不安になって発作を起こしているところを見ると、姉妹ともどもアイデンティティの不安を抱えていたのだと解釈できます。母親の人物像についてサラについて尋ねているので、アニーもサラも同じことが気になっていたと解ります。

ボー・バロウズ

 ボー・バロウズはインターネットの会社を経営しています。AOLなどの会社が講演会のときに出てきましたが、インターネットもまた世界とのつながりを示しています。もちろんSNSなどは昨今のように発達していません。これらを差し引いて考えなければいけませんが、AOLメッセンジャーなどを提供していました*2。
 しかもバロウズは会社の買収を考えています。キャサリンやサラを言葉を使って比喩的に「買収」しようとしているとも解釈できます。会社を一つの家族と見立てるなら、会社の拡大と子孫の反映はイメージが重なり合います。

語り継ぐこと

 さて、冒頭では『迷い婚』と「卒業」との関係が語られます。小説「卒業」があり、同名の映画が撮られているというのです。原作は見ていないのですが、小説から映画へと語り継がれていきます。
 「僕らの娘はボー・バロウズに近づけない」ことを条件に赦すのですが、これもまたのキャサリンとサラの関係がそっくりそのまま娘に受け継がれていくことを示唆しています。
 受け継がれているのはそれだけではありません。最後には「次の夜も〔サラとジェイは一夜をともにした〕」と繰り返し出てきますが、これは「初夜にお前〔サラ〕を授かった」と打ち明けるアールと重なり合います。直接的には明言されていませんが、毎晩のように交渉を持っていれば、早くに妊娠することは想像に硬くありません。
 そして、おそらくジェイとサラの娘もこっそりボー・バロウズ、もしくはその息子にこっそり会いに行くことも示唆されているのです。


 

*1 Wikipedia「地母神
*2 Wikipedia「AOL



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ロブ・ライナー[監督]『恋人たちの予感』(20世紀FOX)

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恋人たちの予感 特別編|中古DVD [レンタル落ち] [DVD]

あらすじ

 サリーは友達の恋人、ハリーへニューヨークへ送っていく。大学を卒業した二人は同じ街を目指していたのだ。その道中で、「男女間に友情は成立するのか」と議論を交わす。ハリーは「セックスが邪魔をして友情は成立しない」と言うが、サリーは「そんなことはない」と言い返した。喧嘩別れに終わるが、紆余曲折を経て、二人は惹かれ合う……。

語り

 この『恋人たちの予感』で男女間の友情について話されますが、テーマはそこにありません。カップルの数だけ物語があるということです*1。

老夫婦たち


 そして老夫婦たちの語りで『恋人たちの予感』は幕を開けます。僕は最初、『タイタニック』のような〈語り〉の手法で、アマンダとハリーの回想だと思ったんです*2。しかし見ていくうちにどうもそうではないと解りました。
 それではこの老夫婦は一体だろう、と考えながら映画を見ていくと、最後の最後でハリーとサリーが馴れ初めを語ります。つまり『恋人たちの予感』において下記のことを示唆しているのです。
ハリーとサリーがこの老夫婦たちのように、年を重ねていく
・カップルの数だけ物語があるというテーマ*2
 途中で、何回も離婚した後にようやく結ばれた老夫婦の話が出てきます。この場面はサリーとハリーの行く末を暗示しているとも解釈できますね。サリーとハリーが登場して語っていると誤解を招かないようにしたのでしょう。アジア人カップルという全く違う老夫婦の馴れ初めも挟まれています。

When Harry Met Sally

 原題は「When Harry Met Sally」ですが、直訳すれば「いつハリーはサリーに合ったのか」です。ここで注意して欲しいのは、過去完了「Since When Have Harry met Sally」ではなく過去形を使っているということ。現在完了なら「いつから出会ったのか」というふうに馴れ初めだと明確に決まりますが、「When Harry Met Sally」だと単純に過去の出来事のみです*3。空港、機内、パーティー……実際、何回も再開を繰り返しています。単純に過去形にしたのはそれら全てを指したかったのでしょう。

キャラクター

 サリーとハリーの性格の違いが、『恋人たちの予感』を引き立てています*4。キャラクター造形としてサリーは神経質ではあるが、常識人だと解説されていますが、僕はそう思えませんでした。
 注文が細かいのは「常識人」の範囲だとして、レストランでの喘ぐ真似を初め、人目を憚らず性の話をしています。何か媚薬でも入っていたのではないかと疑い、中年の婦人が「彼女と同じものを」と頼むシーンが喜劇的。監督や脚本家が意図していないだけで*5、面白おかしく描かれています。

サリーの夢

 さて、ここでサリーの夢に注目したいと思います。サリーは「顔の見えない男の人に服を脱がされる夢を見てきた」とハリーに打ち明けます。
 服はその人の社会的な役割を表しています*8。
たいていの服というのは個人のイメージについての社会的な規範(行動様式、性別、性格、モラルなど)を縫いつけている。その着心地がわるくて、ぼくらはそれを勝手に着くずしてゆく。どこまでやれば他人が注目してくれるか、どこまでやれば社会の側からの厳しい抵抗にあうか、などといったことをからだで確認していくのだ。が、それは抵抗のための抵抗としてなされるのではない。じぶんがだれかを確認したいという、ぎりぎりの行為、のっぴきならない行為としておこなわれるのだ。
 例えば、スーツを着た時には、「キャリアウーマン」としての役割を「縫いつけている」のです。しかしそれらはみんな自分の一部であっても、本当の自分ではありません。
 裸になるという比喩が象徴していますが、社会的な役割を剥ぎ取られると本当の自分になっていくのです。さらには時代時代のファッションを取り入れることで成長をも示しています*7。つまり裸になるということは成長の否定、つまり退行への欲求を示しているのだと解釈しました。
 その証拠に、ジョーが結婚すると知ったら、サリーは堰を切ったように泣き出します。そしてハリーに抱きしめてもらうのですが、この場面を見ると、サリーが赤ん坊のようにも思えます。

*1 ロブ・ライナー「音声解説」(ロブ・ライナー監督『恋人たちの予感』20世紀FOX)
*2 ジェームズ・キャメロン[監督]『タイタニック』(20世紀FOX)
*3 河上道生『高校新基礎英語 三訂版』(桐原書店)
*4 シモネタ満載の男と完璧主義の女性が出会い、第一印象が最悪でも結ばれるという結末は、『男と女の不都合な真実』にも言える。奇しくも恋愛観の違いを扱っている(ロバート・ルケティック[監督]『男と女の不都合な真実』ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)
*1 ロブ・ライナー「音声解説」(ロブ・ライナー監督『恋人たちの予感』20世紀FOX)
*6 鷲田清一『ちぐはぐな身体』(筑摩書房)
*1 ロブ・ライナー「音声解説」(ロブ・ライナー監督『恋人たちの予感』20世紀FOX)


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