あらすじ
建築設計士のマーカムは依頼主である口論の末、ボー・ウィリアムソンを殺害。しかし死体が見つからない。ボーの元妻、ゴールディーは殺害されたと主張して止まないが、神託だと言う。一方のマーカムは一旦死体を隠しおおせたものの、絶対に見つからない場所に隠そうと画策していた……。そこは建築現場のパイルの真下だった。タワービルが完成すれば、これを解体して掘り起こさなければならないのだ。
はじめに
図書館で借りてきた本をすべて読み終えたのですが、翌日には次の予約を取りに行かなければなりませんでした。そこで『パイルD-3の壁』を職場の休憩時間に読むことで、読書のスケジュールを調整。一つ解った癖があります。僕が積読本を読むと、偏執的に同じ作家の本を消化するのです。例えば、『幻のダービー馬』、『死者のギャンブル』……。刑事コロンボのノベライズばかり読んでしまっています。
翻訳の問題
僕が職場で読もうと思った理由はもう一つ。最初の一、二ページ読んでみて翻訳が肌に合わない点にありました。例えば、「これはまだ模型なので、ビルディングのなかをご案内するわけにはいかないのが残念だけど」とマーカムは若妻、ジェニファーに言っています。相手が親しい間柄なら「だから」のほうが自然ですし、ビルディングも時代柄仕方がないのですが、今なら「ビル」と言うでしょう。このような翻訳上の不自然さがありながらもやっぱり読んでおきたい。一生読まないでしょうし、そうしたらブックオフでの105円が無駄になる。職場の休憩時間なら他に本がない以上、『パイルD-3の壁』を読むことになります。この方法で読了しました。
相棒で似たような話が
建設現場に遺体を隠すのは相棒の『ボディ』にもありました。両方ともわざと探偵役に一度掘り起こさせて、遺体はないと確認させてから、その場所に埋めます。もちろん、『パイルD-3の壁』のほうが先に発表されているのですが、『パイルD-3の壁』のほうが、この場面だけ取り出しても*1、ドラマの演出としてよくできています。『ボディ』の場合は昼間なので、太陽光線での撮影です。一方の『パイルD-3の壁』は夜、ボー・ウィリアムの死体を埋めに行きます。したがってマーカムへサーチライトを当てる形になっており*2、光線の加減でより際立っているのです。夜中の建築現場でうごめく影に光を当てた途端、マーカムが浮き彫りになる場面は、彼が犯人だと解っていても緊迫感に溢れています。さらに今まで逃げおおせていたことをうごめく影で、コロンボに真相が暴かれることを光でそれぞれ表現しているとも解釈できるでしょう。
ゴールディーの役割
今までいくつかコロンボのノベライズを読んできましたが、『パイルD-3』は死体が最後の最後で出てくる点で珍しいと言えるでしょう。つまり、「冷たいスミス&ウェッソン(中略)の短い銃身がウィリアムソンの頬の肉に食い込んだ」とあるように、銃を持ってウィリアムソンを襲う場面は描かれていますが、殺害の場面が描かれていないのです。拳銃の発砲音くらいなら描写してもさほど支障はありませんが、いずれにせよ、殺害後のマーカムがどう行動したかをコロンボは解き明かしていくのです。したがって殺害後の行動は三人称の〈語り手〉は伏せておかなければなりません。
しかし前提条件、つまりウィリアムソンが死んでいることについてなどは読者に報せなければいけないのです。そうかと言って、物語上、犯人しか知らないはずですので、通常の方法ではゴールディーも必然的に共犯になってしまいます。ゴールディーの神託は三人称の〈語り手〉と読者をこのようにつないでいるのです。
一見すると、古畑任三郎の花田に似ているかもしれません。確かに両方とも探偵役に犯人しか知りえないことを教えています。しかし、花田は視聴者と情報を完全に共有しているのに対し、ゴールディーは読者が薄々勘付いていることを確定させていると言えるでしょう。
殺人と都市
建築家が犯人ですが、原題も「Blueprint For Mueder」、意味は建築家に近づけるなら「殺人の見取図」、Blueprintの色彩感覚を活かすなら「殺人の青写真」もいいかもしれません。原題について
いずれにせよ『パイルD-4の壁』は原題から掛け離れています。別に刑事コロンボでは珍しくありませんが、原題のほうが計画を設計図に見立てているので、小洒落ています。Blueprintの青とMurderから連想させる血の赤で色の対比も現しています。原題からも解るように『パイルD-3の壁』で殺人と都市は関係性のあるものとして表されています。無名の労働者を埋めたのなら、隠喩も読み取れるでしょうが、名士のボー・ウィリアムソン。「あんたの墓石は私がデザインしてやる」と言うマーカムの台詞と、ピラミッドの講義から死後の扱いについて読み取れると思います。
二つの死生観
古代の権力者はピラミッドに葬られましたが、ボー・ウィリアムソンはウィリアムソン・シティーの下にすら埋めてもらえません。埋めようとした途端、コロンボ警部に妨げられるのです。ここから古代エジプトとは異なり、権力者は死後、平等に扱われることの表れともいえるでしょう。一方で、欧米文化では都市や橋の名前に人名を付けます。例えばアグリッパ街道はマルクス・ウィプサニウス・アグリッパに由来、ド・ゴール空港はシャルル・ド・ゴールに由来、ベケット橋はサミュエル・ベケットに由来……。つまり肉体は死んでも都市の名前として、死後も残るのです。つまり『バイルD-3の壁』からは二つの死生観が現れていると言えるでしょう。
(1)権力者も死体は平等に扱われる
(2)ボー・ウィリアムソン・シティーのように権力者の名前は死後も残る。
*1 『ボディ』は最後にもう一捻り加えてあるのだが、これは取ってつけたような印象を受けた。
*2 ピーター・フォーク[主演]「パイルD-3の壁」(ピーター・フォーク[主演]『刑事コロンボ傑作選 パイルD-3の壁/黒のエチュード』(ジェネオン・ユニバーサル)