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オイディプスの謎 (講談社学術文庫)

概要

 ソフォクレスはどうして『オイディプス王』*1、そして『コロノスのオイディプス』*2を書いたのか。ペロポネソス戦争というアテネとスパルタを中心に古代ギリシャ全土(のみならずシチリア半島)まで巻き込んだ戦争は、アテネの全面降伏によって終結します。『コロノスのオイディプス』を書いたのは戦争終結の二年前。
 この戦争で取った籠城戦もまたアテネにとって悲惨な結果をもたらします。アテネは堅固な城壁で防御されていて、市外に住む人を城内に避難させ、食料を輸入するのですが、この輸入で疫病が城内に蔓延。人口が過密していたアテネ城内はわずか二年間で約四分の一が病死した、と言われています。
 疫病が蔓延するこの中で、ソフォクレスは代表作『オイディプス王』を書いたのです。

『オイディプス王』のあらすじ

 オイディプ王ですが、こんなあらすじです:
 オイディプス王の治めるテバイは疫病が蔓延していた。その原因をアポロンの神託に求めたところ、親を殺した上にその妻と不義密通を交わしたものがいる。犯人をテバイから追放しなければ、神の怒りは収まらぬという。オイディプスはその犯人を探すのだが……。
 吉田さんの論考の中ではスピンクスの謎かけが重要となってきます。それは「同じ身体を持ちながらある時は四足で、またある時は二つの足、ある時は三つの足と変化する生き物は何か」という問いかけ。答えは「人間」なのですが、この時、オイディプスは自分を指し示して答えているのです。

疫病

 ここで吉田さんはもし現実に疫病が起こらなかったとしてもソフォクレスは『オイディプス』の着想を得ていたのではないかと考えます。というのも「大地と家畜と人間の女たちの不毛は古代のギリシァ人によって、宗教的な大罪が犯された場合にもっとも普通に発生する災いであるかのように考えられていた」のです。
 例えばヘロドトスの『歴史』*3には、オイディプス王と似たような話が紹介されています。
 レムノス島に住んでいたペラスゴイ人たちがあるとき、大挙して船に乗って、アッティカにやって来て、アルテミスの祭りを行なっていた大勢のアテネ人の女たちを捕らえ、連れ帰って愛人にした。ところがそのあとで彼らは彼女たちから生まれた、アテネ人の血を引く子どもたちがいかにも優秀であるのを見て、(中略)彼らに支配されるようになるのではないかと恐れた。それで彼らは(中略)みな殺しにしてしまった
 このような話が伝わっている中、さらに疫病を劇中に登場させるのですが、この発想も実際に疫病が発生していたから登場させたとは限らないと吉田さんは指摘しています。
 ここで吉田さんが注目しているのは、神ギリシャ最古の文学作品『イリアス』の描写です。そこではすでにアポロンが神罰として疫病をもたらす神として描かれているのです。
 確かに劇中でテバイの疫病がアポロンの神罰だとは明言されていませんが、アポロンの神託によってオイディプスは先王ライオス殺しの犯人を探し始めます。

アテネの栄華

 さて、アテネはペルシャと戦争を行っています。「クセルクセスの異母兄弟二人を戦死させるなど、この三日目の戦闘でもなおてきに損害を与えながら、槍が折れれば剣で、しまいには素手や派手まで戦いを続けたと言われている」ほどペルシャ軍に獅子奮迅の活躍を見せます。
 これらの徹底抗戦も虚しくアテネは一度は占領されてしまうのですが、サラミスの海戦で奪還します。この海戦で「軍艦の総数が一二○七隻あったと言われているペルシァ海軍を、(中略)完膚なきまでに撃破した」と伝えられています。
 一度はこれでクセルクセスも和睦の使者を送るのですが、その条件がアテネの独立を保障、領土の返還、神殿の再建といったアテネ側にきわめて有利なものでした。しかし、それにも関わらず和睦を拒否。ヘロドトスはこう記しています。
 太陽が現在通っているのと、同じ軌道を進み続けてるあいだは、われわれがクセルクセスとの和睦に応じることはけっしてありえない。
 この返答はクセルクセスの怒りを買います。「アテネを焼き、城壁も家屋も神殿も、およそ立っているものはすべて、倒し瓦礫に化し」たとあるように街は破壊しつくされるのです。
 しかし、このような目に遭ってもアテネの人々は結局、徹底抗戦を貫きます。そのおかげで「ギリシァ征服の野望は、ついに完全に潰えて、二代にわたったペルシァ戦争は、だれの目にもまったく劣勢に思えた、ギリシァの奇跡的な勝利によって幕を閉じることになった」のです。
 一旦は国土を捨て、移住を試みるも、「デルポイの神託に反して」ギリシャ人はクセルクセスに戦いを挑みます。こうしてアテネはギリシャの救い主となったのです。こうして人は神々の意向にすら背けるといった「人間讃歌」が当時のギリシャでは広まっていったのです。

『コロノスのオイディプス』

 ソフォクレスはオイディプス王を題材にした戯曲をもう一つ、書いています。『コロノスのオイディプス』というこの演劇は『オイディプス王』の続編。かつて知性でスフィンクスの問いを解き、テバイの救い主とまで崇められたオイディプスが一転、アンティゴネーとともにボロをまとった浮浪者として登場します*4。オイディプスはこの格好から、各地で嘲笑の的になりますが、決して卑屈になることなく自らの運命を受け入れているのです。
 だがこれほどまでに極度の屈辱を、長い年月にわたって嘗め続けても、彼〔=オイディプス〕がなおなくしていないものである。それはこの英雄の究極の拠り所で本性そのものにほかならぬ「持ち前の気高さ」である。かれがこれまですべての苦難と屈辱に耐えてきたのも、卑屈とか怯懦の所為はなかった。それと反対に彼はその不抜の英雄的気高さによってあらゆる苛酷な試練を負わねばならぬ運命をたじろかずに受け止め、不屈の辛抱をもってそれに雄々しく隠忍しつつ対処する態度を常に貫いてきたのである。
 しかし、コロノスにたどり着いたオイディプスは態度を一変させます。神殿に居座って動こうとしないばかりか、村人に王のところに連れて行けと命ずるのです。不思議な威厳を感じ、王に処置を求めるのですが、この聖と穢の逆転こそがオイディプス王というキャラクターだと吉田さんは言うのです。
 オイディプスが王を待っている間、一人の娘がやって来ます。アンティゴネーの姉で、オイディプスの娘であるイスメネです。彼女は今、オイディプスの故郷であるテバイに住んでいるのですが、今、王位継承権をめぐって骨肉の争いをしている現状をオイディプスに話します。
 それを聞いて、老オイディプスは互いに破滅するまで止めないように呪いを掛けます。

スフィンクスの問い

 ここで吉田さんはスフィンクスがかつて出した謎に注目しています。すなわち単に足の数だけではなく、人間の性格について言及しているのではないだろうかと。四つの足とは赤ん坊の這い這いではなく、獣のような性格ということになります。

近親相姦

骨肉の争いだけではなく、父親を殺した上、母親と結婚するようなオイディプスの運命をも指している、と指摘しています。
 まちがいなく二本足の人間であるのに、知らずに犯していた父殺しと母子姦によってピュシス(本質)は人間でなくなり、四本足の獣に変わってしまっていた。
 そのことを知ると、彼はただちに両目を潰した。そしてまた二本足で立って歩けるはずの男盛りの身で、四本足のピュシスを持ちながら、同時に満足に歩行するためには杖を必要とすることになり、三本足の存在にもなってしまったからだ。
 事実、当時の文献には近親相姦は獣のすることだ、という考えが載っていたらしいです。

疫病と倫理

 さらには疫病も人間を獣に落としてしまった原因だと考えられています。看病するどころか、感染症の拡大を防ぐため、罹患した家族や友人を家に取り残したまま去っていくという事態もありました。
 また埋葬の仕方もいい加減になってしまいます。歴史家、トゥキュディデスは「宗教にも神の掟にも、顧慮をまるで払わなくな」り、「埋葬の仕来りも混乱してしまった」*5とあります。
 当時のギリシャの価値観は、人間と獣の違いを宗教心があるかどうかに見出していました。埋葬などの儀式に現れていた、と吉田さんはヘシオドスの『仕事と日々』*6を引いて語っています。
 また本書では触れられていませんが、『アンティゴネー』*7はまさに埋葬をめぐる話です。王位継承権を巡る争いで、クレオンの甥、ポリュネイケスが謀反を企てます。そしてその見せしめとして彼を埋葬するな、というのです。
 けして葬りをして葬ってはいけない。(中略)それどころか、弔いもせずに打っちゃっといて、見つけた鷹や鴉のいいご馳走に、好きなまま食い荒らそうというのですって
 アンティゴネーはクレオンの掟に背き、丁寧に埋葬をしてしまいます。
 僕は最初、個人的感情と(どんなに不条理でも、あるいは不条理であるがゆえに)法という対立で読んでいました。しかし当時の社会的な考え方に知り、違った角度から読むことができました。

*1 ソフォクレス『オイディプス王』(岩波書店)
*2 ソフォクレス『コロノスのオイディプス』(岩波書店)
*3 wikipedia『歴史(ヘロドトス)
*4 ソフォクレス『コロノスのオイディプス』(岩波書店)
*5 wikipedia『戦史(トゥキュディデス)
*6 ヘーシオドス『仕事と日々』(岩波書店)
*7 ソフォクレス『アンティゴネー』(岩波書店)