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対訳 イェイツ詩集 (岩波文庫)

詩を読む理由

 詩の勉強をするために読みました。別に詩を書こうとか英詩の研究者になろうとか言うわけではないのですが、自分の創作で幅広い表現をしたいんです。アクセントに詩的表現を入れたりとか。
 あとは小説だけでなく、文学について幅広い知識を身に着けたいというのも動機の一つです。とりわけ詩については苦手な分野の一つで、何とかして克服したいなぁ、と。
 僕はイェイツがどんな気持ちでこの詩を書いたのかは興味があまりないんです。またイェイツだけでなく他の作品にしても言えること。大事なのは最終的にその詩をどう解釈し、再構成していくかにあります。
 なお英詩にしたのは、どうせなら原文も参照できた方がより多くのことを吸収できるかと思ったからです。まぁ、ほとんど原文なんて見なかったから意味なかったけど!

第一印象

 アイルランド文学では妖精がよく出てきます。イェイツもご多分に漏れず、妖精を詩というアイルランド的──これはケルト的ということでもあるのですが──に描いています。例えば「さらわれた子供」、「妖精たちの集結」はその典型例です。また「ファーガスとドルイド」という詩でもドルイドというケルトの僧侶を登場させています。特に「さらわれた子」などは妖精に呼びかけられる幻想的な詩。この理由はケルト文化を通して、アイルランドの民族意識を高めようとしたと言われています。
 このころ、「1919年1月から1921年7月までイギリスに対する武力衝突が続いた」とあるように*1アイルランドでは独立の機運が高っていました。アイルランドがイギリスから独立したのもこのころで、イェイツも「一九一九年」などの詩を手がけています。「いま、日々は龍に虐げられ/悪夢が眠りを乗りまわす」などとありますが、解説を読むとイギリス本土を龍に見立てているのでは、と思います。

内戦時代の省察

 「一九一九年」という詩は直接的にイギリスとの関係に触れてませんが、『内戦時代の省察』という詩には下記の文があります。
 愛想のいい不正規兵、
 どっしりとしたフォールスタッフ風の男が、
 内戦を種に冗談口を叩きながら来る。
 鉄砲で撃たれて死ぬのがこの世で
 一番面白いゲームであるかのように。
 脚注によりますとこの不正規兵(Irregular)というのは反アイルランド政府派の兵です。対して褐色の軍服はアイルランド兵を指していると解釈しています。
 しかし僕はIrregularという単語から、何か正式なもの(Regular)、軍隊からはみ出しているものという連想をしました。字義通りに読めばアイルランドの正規兵に対して民兵のような組織でしょうか? そしてこのIrregularという言葉は当時のアイルランドの色々なものを現していたのでは、と思うんです。
 武力蜂起による独立ですので、イギリスではアイルランドの正統性は認めたくない、イギリスから見たらIrregularな国だったと考えていたことでしょう。もう一つはアイルランド独立が第一次世界大戦というIrregularな状況で起きたということ。最初、平和的に独立しようとしますが、イギリスは第一次大戦を口実に有耶無耶にします。もちろんアイルランドはこれを許しません。
 いずれにしても「鉄砲で撃たれて死ぬのがこの世で/一番面白いゲームであるかのように」というのはアイルランド政府がイギリス軍などの鉄砲に撃たれて死ぬことを願っていたという解釈もできます。
 フォールスタッフというのは解説にもあるようにシェイクスピア劇に出てくる喜劇的な人物です。「弁達者」な役柄なのですが、アイルランド独立を有耶無耶にしてしまうという点で「詭弁家」という役柄に通じてきます。つまりこのフォールスタッフを登場させることで、イギリスをなにがしかの形で戯画化していると解釈しました。
 また「石や木で組んだバリケード/内戦の十四日間、昨夜、彼らは/あの血まみれの若い兵士の死骸を手押車に載せて道ぞいに運んで行った」という下りはそれまでの連に比べて具体的で、直接的です。他は抽象的、詩的な描写だけにここがより強調されてるように感じました。
 もっともこれは僕の読解力のなさや詩的センスが現れているともいえるのですが……。

バラ

 さて後期になると「一九一九年」などの政治色が強くなりますが、僕は初期の幻想的な詩が好みです。例えば「平和の薔薇」という詩は「人はみな、ミカエルが頭を垂れ/白い星たちが褒めそやすのを見て、/いくつもの静かな道を通り抜け、/ついには神さまの大都にたどり着こう」などと神秘的、荘厳なイメージです。

イェイツにおける薔薇

 また戦いの薔薇という詩は「すべての薔薇のなかの薔薇、全世界を統べる薔薇よ」と薔薇に呼びかける形をとっています。そして「なろうことなら終わりのない戦いを避けよ」などの一説から、薔薇は美それも、人智を超えた美であり、それゆえに戦いも避けられるという神を見出しているのではないかという解釈をしました。
 この薔薇は「内戦時代の省察」で「象徴の薔薇symbolic rose」とあるように、後期のイェイツでも登場してきます。高松雄一さんはこれを「アイルランド人の血を象徴している」と捉えています。もちろん薔薇が何を象徴しているかはそれぞれの詩でも違いますが、この薔薇の他にも前期と後期で一つ思い浮かんだことがあります。
 イェイツはできれば平和的に独立を果たしたかったということ。それは、「戦いの薔薇」の「戦争は平安をもたらさぬ」という一節にも窺えます。もちろんこれは詩人の「お花畑」ではなく、「なろうことなら終わりのない戦いを避けよTurn if you may from battles never done」とあるように切実な願い──だからこそ人智を超えた「全世界を統べる薔薇」という言い方で呼び掛けたのでしょう──が込められていると解釈ができます。
 今日、話題となっているアイルランド独立とのつながりが見えて思わぬ発見がありました。

リルケにおける薔薇

 さてイェイツは薔薇にまつわる詩を残しており、『薔薇』という詩集も出している程。しかし僕は薔薇の詩人というとリルケを思い浮かべます。
薔薇よ、おお純粋なる矛盾、それだけ多くのまぶたの下に、誰の眠りも宿さぬことの
喜びよ
 薔薇の棘で死んだというエピソードもリルケの死が美しく感じる原因かもしれません。調べてみるとロンサールも薔薇にまつわる詩を多く書いているみたいですが、読んだことがないので解りません。

*1 「一九一九年」の高松雄一による脚注。