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蛇神様 (1979年) (角川文庫)

あらすじ

 きつね駕籠という噂が江戸の街を駆け巡っていた。何と南蛮渡来の秘術で人形に魂を吹き込み、駕籠で護送しているというのだ。
 五十嵐伊織は真偽を確かめようと女盗賊、お蓮と密かに調査を開始。しかし、そこには徳川幕府をも巻き込む大きな陰謀が渦巻いていた。 『人形はなぜ殺される』*1などの本格推理小説で名高い高木彬光が書いた、歴史伝奇小説!

高木彬光といえば

 高木彬光といえば、『人形はなぜ殺される』の他にも『我が一高時代の犯罪』*2、『能面殺人事件』*3などの本格推理小説で有名ですが、この『蛇神様』にもその精神は窺い知れます。例えば「なんでも理解の出来ぬことはすべて切支丹バテレンの妖術だと決めつけてしまうが、それではならない」「いかに妖怪変化の仕業とも見えることでもその裏には必ず誰しもうなずける理屈の筋が一本通っている」などです。
 このくだりから何か合理的な解決がなされるものだと思ってましたし、事実、ある程度までは合理的な解決が提示されています。
 以前、『ハスキル人』*4という小説を本格推理小説だと思い込んで読んだことがありました。高校時代に本格推理小説に熱を上げてた時のこと。でもこの『ハスキル人』、ラストが不合理なSFだったんです。その苦い経験もあり、「もしかして、これも……」と警戒していたのですが、そうではなくてよかったです。
 でも神津恭介の活躍が読みたかったのになぁ*5。

歴史小説

 さてこの小説ですが、幕末を舞台にしたフィクションです。僕は『蛇神様』を歴史小説仕立てにして正解だったと思います。ここまで壮大な物語でなおかつ合理的・現実的な着地点を設けようとなると、歴史小説にしないと説得力がないかと思います。
 というのも同時代を舞台にしたら、時代背景に関する情報量は作者も読者も同じだけ持っているわけです。リアリティの根源は世界観の共有です。例えば、振り込め詐欺などは騙す側と騙される側が……息子が車に乗っている、息子は会社勤めである……最低限の世界観を共有していないと騙されません。電車通学の高校生しかいないのに「会社の車で事故を……」と言っても嘘だと解ります。

現代に置き換えると

 振り込め詐欺を例に取りましたが、嘘っぽい小説はそれだけで興ざめしていきます。小説を例に取るなら無菌室でキスをする『もっと、生きたい……』*6などです。
 長々とリアリティの根源について語ってしまいましたが、例えば、今、警察庁長官が大富豪と組んで安倍政権の転覆を狙っている、という筋書きでは嘘臭く感じます。どうしてか? 我々はニュースでその情報の真偽を無意識のうちに確かめているからです。単語が目に飛び込んできた途端に、連想という方法で。
 翻って江戸時代ともなると昔の文献でしか確かめる術はありません。つまり、専門家でない限りはある程度の嘘を書いても気が付かないので、大風呂敷を広げても畳めるのです*7。

現代科学が入らない

 探偵小説は現代科学や組織的な捜査が入らないように様々な工夫をしています。これらが入ってしまうと、犯人がすぐに解ってしまい面白くないからです。
 孤島や山荘などが典型的ですが、他にも時代をさかのぼらせるなどの工夫があります。

総合的に見て

 この『蛇神様』に推理小説の要素、あるいは合理的な解釈を求める場合、毒草のくだりは納得できかねます。 あんな毒草があったら何でもできてしまうからです。
 また、これは昔の推理小説を読む時に必ず問題になるのですが、キャラクターの書き分けが身分や役職という側面からしかできていません。つまり内面、性格の書き分けができていないので、キャラクターが一面的になってしまうのです。これはキャラクターが入れ替わっても別に不思議ではないということになってしまい、読者の混乱する原因となりかねません。
 もう一つは不気味さを漂わせるために蛇にしたのかもしれませんが、蛇である必然性はどこにもないような……。
 しかし畳み掛けるような話の運び方は面白く、読み進められました。


*1 高木彬光『人形はなぜ殺される』(角川書店)
*2 高木彬光『わが一高時代の犯罪』(光文社)
*3 高木彬光『能面殺人事件』(角川書店)
*4 高木彬光『ハスキル人』(角川書店)
*5 天才ぶりを持ち上げすぎてる感じがする
*6 Yoshi『もっと、生きたい……』(スターツ出版)。
*7 僕が以前、書いた天地争像伝奇も大風呂敷を畳めたのは平安時代を舞台にしたからである。現代が舞台だったら、リアリティがなくなっていただろう。


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