一般的な知識
中世になると、スコラ哲学という聖書解釈学が学問の主流となります。これは英語のschool、つまり修道院という意味で、文字通り聖書解釈などの文献学が修道院で行われていたことに起因します*1。そのテクストの一つがボエティウス『哲学の慰め』です。他にはアウグスティヌスや、アリストテレスのテクストが用いられていました。
ダンテの『神曲』はキリスト教に影響を与えた人の列伝としても有名ですが*2、ボエティウスに関しても引用がなされているそうです*3。
成立背景
内容からも解るように〈私〉は牢獄に捉えられています。自らの運命を嘆いていると、謎の女性が現れ、対話を通じて死の恐怖から解放してくれるという筋です。というか牢獄から開放しないのか、と心ひそかに思ってしまいましたが。284年、ローマ帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれました。日本の南北朝時代はそれぞれの正統性を主張しますが、これはそのような政治的分裂ではありません、広大になりすぎて治めきれなくなり、共同統治という形で西ローマ帝国は副官として治めたのです。
406年には、西ローマ帝国はフン族の王、アッティラに略奪されます。そしてゲルマンの将軍、オケアドルが西ローマ帝国を滅ぼします。東ローマ帝国ほテオドリックに追討を依頼するのですが、彼はイタリアに東ゴート王国を作ります。
しかし、ローマ皇帝との余計な争いを避け、共存を実現させたのです。事実、彼は産業改革や農地の開墾にも力を注ぎます。解説には同時代の証言が紹介されています*4:
商人たちはさまざまな州から群れをなして彼のもとへやってきた。彼の維持した治安は非常に良好で、もし誰かが金か銀を自分の田舎の屋敷においてこようとしても、それは城壁で囲まれた都市のように安全だと考えられたからである。僕の想像ですが、テオドリックはローマ帝国の文化に驚嘆したのではなく*5、都市を占領するにとどめたほうが得策だと考えたのではないでしょうか。掃討させると、泥沼化しますし。産業振興も彼が謀反を避けるための政策だったと僕は考えるのですが。
こうしてテオドリックは東ローマ帝国の盟友になります。ボエティウスは彼の任命で執政官となるのですが、次第に元老院とテオドリックとの対立が表面化していきます。これには二つ理由があります:
1.いくら産業を発展させたとは言え、蛮族が政治的な中枢を担っていることを快く思わなかった
2.宗教面での対立。
現に元老院の一人、ある手紙を手に入れます。手に入れたのはボエティウスの上司、キプリアヌスで、文面はテオドリック王への反逆を企てたものがいること、そしてそれには元執政官であるアルビヌスが深く関わっていると記されていました。しかしボエティウスは手紙が捏造されたことを見抜き、彼を弁護します。
キプリアヌスは兄弟たちに頼んで、ボエティウスもまとめて反逆罪で告訴してもらいます。政治的陰謀に巻き込まれて、ボエティウスは処刑されます。ボエティウスが獄中で書いたのが、この『哲学の慰め』です。
キリスト教思想との相性
さて、以上は渡辺義雄さんの解説をまとめただけのものです。古本をカビ臭い本棚から引っぱり出す他に何の価値もありません。そしてこの本を読んでしまった僕にとっては、つまらない記事なのです*6。問題は僕の感想であり、上記の記述は事実確認にすぎません。
新プラトン主義
一般に『哲学の慰め』は、新プラトン主義の影響を受けていると言われています。新プラトン主義とは、プラトンを後世の人が解釈した一派です。その思想とは、「一つのものから全てが生まれる」という考えです。プラトンの著作には「善のイデアというものがあり、そのために人は善を行なうことができる」としか書いていないのですが、自称後継者は必ず曲解がつきものです*7。しかしアウグスティヌスやボエティウスの時代はプラトン主義といえば、新プラトン主義を指していました*8
ボエティウスは「万物は神から出た」というなど、キリスト教思想に適していたのです。
ボエティウスの境遇
ボエティウスが政治的陰謀に巻き込まれたことは、先述しました。これもキリスト教にとって親和性が高いと考えます。神には意志があり、これもまた運命なのだとボエティウスは気付くのですが、迫害の歴史を歩んできたキリスト教にとっては、利用しやすかったのではないでしょうか。つまりボエティウスをキリストの運命に重ねあわせていたのだろうと思います。また運命には政府高官すらも抗えないと示し、キリスト教の支持基盤を拡大していったと僕は考えます。神の前ではみな平等だという教義も強調できますし、そうすれば非支配者が統治者に対して親近感を抱いてくれたかもしれません。
また、下記の文章はまさにキリスト教の思想を反映しています。
だからあなたがたは悪徳に逆らい、徳性を養い、心を正しい希望へ高め、つつましい祈りを天に捧げなさい。あなたがたが偽ろうとしないかぎり、あなたがたは誠実への大きな必然性を負っています。あなたがたは万物を見通す裁き主の目の前で行動しているからですというのも、キリスト教は正しい行いをしていれば必ずいつかは報いがくるというものです。
目的論
ボエティウスにしかり後世の哲学者は神の意図を汲み取る目的で発展してきました*9。しかしこの自然には目的があるという考えはアリストテレスに由来しています。ボエティウスはそれを人格化し、神としたのです。一見すると些細な違いだと思われるかもしれません。しかし、アリストテレスは素朴なアニミズムを唱えているのに対し、ボエティウスは明らかに人格神を意識しています。
仏教
また下記の記述は「子のあるものは子について喜ぶ」、「子のあるものは子について憂」うという仏教とも共通しています*10。たしかに妻や子供から受ける喜びは非常にまじめなものでしょう。しかし、至極あたりまえのことですが、私〔神〕はある人から子供がいるためにひどく苦しんだ、と聞きました。もちろん単なる偶然とも考えられますが、紀元前356-紀元前323のアレキサンダーの大遠征を経てヘレニズム文化に突入しています。アレキサンダーの家庭教師、アリストテレスが活躍したのもまさにこのころでした。一方、釈迦が死んだのは紀元前5世紀ころとアレクサンダーが攻めこむ少し前。
ということは釈迦の思想がアリストテレスを介してヨーロッパに持ち込まれたという可能性は充分に考えられます。また、アリストテレスは好奇心旺盛で、インドの珍しい動植物や鉱物を送らせていました。
また、新プラトン主義の開祖でもあるプロティノスですが、龍樹に会いに行こうとペルシャ遠征を申し出ていたようです*11。
*1 なお、その語源を更に辿ればスコレー(σχολή)という古代ギリシャ語に行き着く。これは「余暇」という意味である(Wikipedia「学校」および、Wikipedia「スコレー」参照)。
*2 例えばアリストテレスやトマス・アクィナスなどに会う物語である。
*3 ダンテの『神曲』は読んだけど、そんなこと書いてあったっけ? 印象に残っているのは、自殺者が怪鳥ハルピュイアについばまれる場面や、最初の地獄めぐりだけ。名作かもしれないが、説教臭く、余り印象には残っていない。
*4 渡辺義雄「解説」(ボエティウス「哲学の慰め」筑摩書房)
*5 渡辺義雄「解説」(ボエティウス「哲学の慰め」筑摩書房)
*6 解らなくなったらまた読み返せばいいだけのことなので。
*7 マルクスの共産主義思想が最たる例だが、他にも自称フロイトの後継者、ジャック・ラカンなどが挙げられる。その点で思想はともかく、ユングは後継者を自認していないだけ優れている。
*8 山田晶「訳注」(アウグスティヌス『告白(II)』中央公論)
*9 例えば『形而上学叙説』(平凡社)など。
*10 『ブッダのことば』(岩波書店)
*11 紀野一義『「般若心経」を読む』(講談社)