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サイコ (ノン・ポシェット)

概要

 モダンホラーの大御所、スティーブン・キング『第四外科室』。敏腕証券マン、ハワードはゴルフ中に倒れるが、病院の上で目が覚める。しかし、回復と同時に自分の身体の異変に気が付いて恐怖する。声が出ず、身体の自由が効かないどころか、呼吸すらしていないのである。
 他にも異常な嗜虐趣味を描いたもの冷酷な殺人鬼を扱った作品や、超常現象を描いた「交点」など、バラエティ豊かなホラーアンソロジー。

ホラー小説の歴史

 ホラー小説は人を怖がらせるために書かれた小説です。つまり、幽霊が出て悪さをするからといって、一概にホラー小説だと言えないのです。例えば幽霊が当たり前に受け入れられている文化では幽霊が出てくるからと言ってホラー小説とは言えません*1。
 逆に岸田秀が指摘するように*2、死んだはずの黒猫が毎晩現れて、飼い主へ身体をすり寄せてどこかに消えていく、という話でもホラー小説として成立するのです。岸田はこの論考で自我を不安定にさせるものと結論づけていますが、我々の日常世界でありえないことが起こるのもその一つの要因です。
 そしてそれは科学的な思考と関係してくるのです。

ポー

 エドガー・アラン・ポーは今でいうホラー小説と読べるような作品を幾つか書いています。例えば「ウィリアム・ウィルソン」*3は<僕>と全く同じ人物が現れ、<僕>といつの間にか変わってしまうという筋ですが、岸田の指摘する自我の不安定に直結しています。
 また、「裏切る心臓」*4は殺したはずの男の鼓動が耳元で聞こえてくる話です。しかし人を殺したら耳鳴りがして、それは死者の心臓音だったという話があったとします。そしてその話を「裏切る心臓」の<俺>が本気で信じていたら、これはホラーでもなんでもありません。
 つまり僕たちは、死者は復活しないし、耳鳴りは死者の鼓動ではないという世界観を土台として生きていることは言うまでもありません。そしてこれは科学的な思考です。つまりホラーというジャンルは科学とともに生まれてきたと思うのです*5

ロバート・ブロック編『サイコ』

 さて、ホラーは科学的思考と密接に結びついたものだと岸田秀を通して論じてきました。
 この『サイコ』を見回してみると、自動車はもちろん携帯電話が出てくる作品があります。もちろんこれらの作品は登場人物が使っている程度のものに過ぎませんが、科学と恐怖が同居しうる例として挙げておきます*6。「交点」はタイムマシンが登場するようなSF的な作品ですが、この作品も科学と恐怖が同居しています。

モダンホラー

 ポー『アッシャー家の崩壊』のような古い洋館を舞台にしたホラーをゴシック・ホラー、スティーブン・キング『ミザリー』のような人間心理の恐怖を描いた作品をモダン・ホラーといいます。
小説や映画のジャンルの一つ。現代社会の闇や他者の不条理に由来する恐怖を描いたものを指す。米国の小説家アイラ=レビンによる「ローズマリーの赤ちゃん」や、1970年代に米国の小説家スティーブン=キングが発表した一連の作品に代表される。
 このような現代社会の闇など、人間の狂気を描いた作品は、『サイコ』にも多く収録されています。「闇に潜む狂気」は集団リンチに至る過程を描いていますし、「祖父の記念品」などは祖父が異常犯罪者だったという記念品を屋根裏部屋で見つける話です。

「祖父の記念品」の怖さ

 「祖父の記念品」は祖父が実は殺人犯で何人もの人間を殺してきたという事実の他にもう一つ怖さがあるんです。主人公が遺伝しているのではないかと匂わせているのです。
 異常性癖が遺伝するのか、僕は詳しくないので解らないのですが、科学の進歩がより一層ホラーの土台となっています。そもそも近代科学は、こういう異常性癖はもちろん人の心も学問の対象にしたんですね。
 もちろんフロイトがその嚆矢ですが、精神分析は1980年代にアメリカで悪い意味で話題になります。「精神分析への批判というよりも、フロイトの初期の理論を援用した心理療法への批判である」としながらも「1980年頃にアメリカでは、催眠などを用いた回復記憶セラピーにより、偽りの性的虐待の記憶(虚偽記憶/false memory)を植え付けられ、家族関係が崩壊し、それに加えて甚大な精神的苦痛を受けたとして、多くのセラピストやカウンセラーが訴えられ敗訴した」のです。
 僕はアメリカで精神分析がどう受容されているかについてあまり詳しくないのですが、「アナライズ・ミー」や「医師と弁護士とフットボールの英雄」を見る限り、この小説が書かれた時はまだ説得力があるものだったのかな、と思います。
 さて、フロイトの精神分析にせよ、実験心理学にせよ、人の心を学問の対象にしています。学問の対象になるということは<ある>、と考えていることになります。社会もそれと同じで学問の対象になるということは<ある>と考えていることになります。
 またこの頃、ユナ・ボマーや、ちょっと時期はずれますが、ジョン・ゲイシーなどの異常犯罪者が取り沙汰されます。そうした社会的な背景もモダンホラーの背景にあるのかもしれません。

ポオの影響

 『サイコ』に収録されている作品とポオとの関係は単に歴史的背景に留まった話ではありません。例えばポオの「早すぎた埋葬」では主人公が間違って生き埋めにされますし、代表作「黒猫」では黒猫を壁に生き埋めにする話ですし、「落とし穴と振り子」も地下牢から脱出を試み、生き埋めになる話です。ポオの小説を見回してみると、生き埋めになる/される話が多いと思います。
 どうやらポオといえば生き埋めを連想するのは僕だけではないようです。カトリーヌ・アルレーは「樅の木」*8という短編で生き埋めになる話を書いていますが、ポオへのEn Hommage a Edger Poeと献辞が書かれています。Hommageとは尊敬の念を込めて類型の作品を作ることですので、彼女もまた、ポオから生き埋めを連想しています。
 さて、この作品集を見れば、「助けてくれ」が生き埋めにされようとしている話ですし、「第四外科室」はポオの「早すぎた埋葬」と同じ印象を持ちました。

*1 例えば『聊斎志異』には幽霊にまつわる話がいくつか収録されているが、当時の人々にとって幽霊は当たり前であれば、ホラーの要素は余りなかったと思われる。また、『源氏物語』では生霊が描かれているが、生霊を本気で信じていた時代にとってみたら、ホラーではない。
*2 岸田秀「恐怖とは何か」(『精選 現代文B』三省堂)
*3 ポオ『黒猫・モルグ街の殺人 他五篇』(岩波書店)
*4 ポオ『黒猫・モルグ街の殺人 他五篇』(岩波書店)
*5 もちろん何が科学的かは厳密に言うと時代によって差があるので、ポオの時代と我々の時代と比較できないのだが
*6 携帯電話が物語において重要なツールとなる小説に秋元康『着信アリ』などがある。
*7 例えば細菌や放射性物質はその典型である。
*8 カトリーヌ・アルレー「樅の木──エドガー・ポーに捧ぐ」(カトリーヌ・アルレー『21のアルレー』東京創元社)
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