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哲学の始まり―初期ギリシャ哲学講義 (叢書・ウニベルシタス)

ガダマーについての予備知識

 前々からゲオルグ・ガダマーの名前はちらちらと聞いてましたが、最初に見たのは大学の図書館で「現代思想の冒険者たち」というシリーズを図書館の本棚で見かけた時。へぇ、こんな哲学者いるんだぁ、どんな人なんだろうと家で調べてみました。
 ハイデガーの弟子で、どうやら歴史に関係しているらしい。当時、ギリシャ哲学やデカルトなど哲学の有名どころを埋めていくのに精一杯だったのでガダマーはしばらく放置。ハイデガーの文献をあさっていくうちにゲオルグ・ガタマーの名前をまた見るようになりました。
 ちなみにハイデガーの「存在と時間」は学生時代に読んで、解ったような解らないような気持ちになりました。その後、主著『真理と方法』を見るも、全三巻に圧倒されました。
 このたび、読書会でアリストテレス『形而上学』を鑑賞することになりました。いい解説書ないかなーと適当に探してたら、『哲学の始まり』という本を見つけたのです。前々から気になってたし、割とボリュームもないから借りてきました。

このテクストについて

 このテクストはガダマーが八八歳のとき、イタリアのナポリ講演をまとめたものです。このときガダマーはイタリア語を使って公演しています。

西欧文化の始まり

 ギリシャ哲学の始まりを語ることは西欧文化の始まりを意味するのは言うまでもありません。アリストテレス、プラトン、ソクラテス、いやもっと遡ってタレス、パルメニデスなどから脈々と西欧文化は受け継がれています。
 一つの要因として、プラトンのイデア論とアリストテレスがキリスト教において学説が「利用」されてきたことにあります*1。また後世の主要な哲学者はほとんど古典ギリシャ哲学を学んでいます。
 例えばガダマーの師匠であるハイデガーは、アリストテレスの『形而上学』を問題としましたし*2、一時期、哲学界を席巻したヘーゲルも『精神現象学』の中でギリシャ悲劇を取り上げています。またニーチェは『悲劇の誕生』においてアイスキュロスなどのギリシャ悲劇作家の考察をしています*3。
 ではなぜガダマーは今(さら)、ギリシャ哲学についての講演をしたのでしょう。
 いまや変革の局面にさしかかっているわたくしたち自らが直面している問題に触れることであります。わたくしたちの文化は不確かで、自信を欠いた状態にあるため、西欧文化とは異種の、ギリシャ文化に由来しない、全く別の諸文化と接触を持とうとしています。
 例えば南米文化やアジア文化は全くギリシャ由来ではありません。明治に入ってから、ヨーロッパには日本人留学生が訪れています。漱石や鴎外は有名ですが、ハイデガーと直接関係する人でいえば、九鬼周造がハイデガーに師事しています。
 九鬼周造は「存在と時間」において述べられた、死の不安を仏教の見地から批判して、むしろ安らぎを与えるものだと考えました*4。また1923年には南米作家のアストゥリアスがフランスに渡っています*5。また、アストゥリアスは、ヨーロッパは南米にとって羨望の対象ではなくなっていた、と述懐しています*6
 他にもレヴィ=ストロースが文化相対主義を唱えたりと、ヨーロッパの影響力が衰えていました。そこでガダマーはヨーロッパ文化の見直しを図ったのです。

文献学の始まり

 さて、ガダマーは「〔プラトンとアリストテレスから研究することは〕ソクラテス以前の哲学者の解釈への唯一の哲学的通路」だと述べています。
 まだ「一八世紀のヨーロッパの諸大学では(中略)原典にそって研究することはまだ普通には行なわれていませんでした」がヘーゲルは、大論理学の中で、あるいは精神現象学の中で、ソクラテス以前の哲学者のために一章あてがっているとしています。そしてガダマーは
 ヘーゲル弁証法の構築のために、哲学の最初の道程によって導かれたことは明らかです。それゆえ、一九世紀にヘーゲルとともに(中略)ソクラテス以前の哲学者たちとのいつでも新たに開始され、決して止むことのない対話が始まったと主張することができるのです。
 ヘーゲル以前、例えば、デカルト、スピノザ、ライプニッツ……などは、自然現象などを観察し、そこに神の存在を見出す方法を取ってきました。つまりギリシャ哲学の文献探しではなく、むしろ自然科学者だったのです。
 その証拠に、ヘーゲル以前の哲学者はライプニッツ、パスカル、ニュートン*7などは自然科学にその足跡を残しています。自然科学が好きな僕はヘーゲル以前の哲学者の方が魅力的なのですが、ともあれヘーゲルがソクラテス以前の文献学に目を向けた最初の哲学者である、とガダマーは言っています。

ソクラテス以前の哲学者

 ソクラテス以前の哲学者の歴史は誰になるのでしょうか。アリストテレスは『形而上学』*8において、タレースだと語っています。しかし神話の世界にすでに哲学的思索が見られている、とガダマーは指摘しています。
 最初に「神々のことを語った」詩人たち、とアリストテレスによって呼ばれたホメーロスとヘーシオドス、そしておそらく正しくは、伝承されているかれらの偉大な叙事詩がすでに人生と世界との合理的解釈への途上の一階梯を表しており、これが次にソクラテス以前の哲学者たちを豊かに船出させたということです。
この辺りは哲学の範囲をどこまで含めるかにもよると思いますが、ガダマーは「知識の愛求」だとしています。これはプラトン以来の定義であり、この問題を考えるのにはうってつけの定義だと僕は思います。
 もう一つ叙事詩を語るにしても言葉が必要です。ギリシャ語は、いや世界の言語はどうやって生まれたのでしょう。これは哲学者のみならず言語学者、例えばチョムスキーやスティーブン・ピンカー*9などが挑戦し続ける「人類史の最も大きい謎」の一つです。
 言葉に関係してもう一つ注目するべきは、文字の問題です。

始める・始まる

 ガダマーは「始まりのもの」と「始まりであること」について明確に区別しています。例えば哲学の始まりは定義次第で、タレスともホメロスともソクラテスともプラトンともアリストテレスとでも言えますが、始まりであることは定義をその中に含んでいるのです。したがって「あれこれの意味においても、あれやこれやの終りを目指す方向においても、またあれこれの記述に従っても、限定されることのないなんらかを意味するのです」。
 まず、始まりという概念には終わりという概念が前提となっています。例えば、本のページとか紐とかは終わりがあって始まりがあります。しかし歴史はまだ終わってないのであり、それ故に革新や変革のただ中にいる我々にとって歴史は「反省されたものではなく」青年期のように途上のものだとガダマーは語っているのです。
 僕の反論は後にして、ガダマーの主張をもう少し見ていくことにします。ガダマーは解釈学的循環という考えをディルタイ、そしてハイデガーから引き継ぎます。ディルタイに関しては未読なので何とも言えませんが、ハイデガーに関して言えば、「全体が解らなければ、その今読んでるところの意味がわからない。かといって、今読んでるところの意味がわからなければ、その全体像が解らない」というパラドックスを歴史は含んでいるという主張だったと思います。

解釈学的循環

 例えば哲学史を勉強する時、全体の歴史から入った場合は全体におけるギリシャ哲学は解るけれどもプラトンの説は概観しか解らない。しかしプラトンの『国家』を読んでも、それが哲学史にどう影響しているのかは解らない、というものです。後世によって意味づけられた歴史か、リアルタイムの歴史かという問題です。例えば僕は出版社を辞めましたが、辞めたその瞬間はそれがいいことなのか、悪いことなのか判断できません。いいことかどうか判断できるのは今だから判断できるんです。
 ではどちらが「正しい」歴史なのでしょう? その瞬間の歴史なのか、それとも今振り返っている歴史なのか? ハイデガーはその瞬間の歴史が「正しい」と考えています。
 一方でガダマーはこの本を読むかぎり、その瞬間と反省される歴史が混ざり合って歴史を作り上げていくんじゃないかな、という風に感じました。これはメルロ=ポンティの歴史の両義性*10という問題にもつながってくると思いました。

歴史は切り取り方によって決まる

 先に僕が定義次第だよね、と言いましたが、僕の反論はそこです。例えば「哲学」をどう定義するかによっていくらでも始まりは変わってきます。神話から脱却し、もっと理詰めで考えようというのならタレスですし、世界の仕組みを考えたのなら、神話的なそれこそ名前すら残っていない人です。
 また文字で残っている最初のギリシャ哲学者はプラトンですし、物事を突き詰めて考えるスタイルを確立したのはソクラテスです。
 終わりも同じで、ギリシャ哲学というくくりで観るんなら、エピクロスか、あの辺だと思います。またキリスト教の終焉という立場で見るんならニーチェを終わりにしたほうがしっくりきますし、聖書解釈という立場で見るんなら、デカルト、ベーコン辺り。
 
*1 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*2 マルティン・ハイデガー『アリストテレスの現象学的解釈』(岩波書店)。なお、この存在をめぐる問いかけは主著、存在と時間まで中心テーマとなってくる。
*3 ニーチェ『悲劇の誕生』(岩波書店)
*4 九鬼周造『偶然性の問題』(岩波書店)
*5 寺尾隆吉『魔術的リアリズム』(水声社)および、Wikipedia「ミゲル・アンヘル・アストゥリアス」。
*6 寺尾隆吉『魔術的リアリズム』(水声社)
*7 ニュートンは物理学者という印象が強いが自然哲学者を自称していた(Wikipedia「ニュートン」より)
*8 アリストテレス『形而上学(上)』(岩波書店)
*9 Wikipedia「スティーブン・ピンカー
*10 メルロ=ポンティ『弁証法の冒険』(みすず書房)




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