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パラケルスス論

パラケルススについて

 パラケルススはルネサンスの錬金術師。といっても人体練成を行なって、手足を失ったりしてはいません。
 今日でいうホメオパシー治療*1の提唱者であったと邦訳された本の紹介を見る限りでは思います*2。錬金術は化学の前身と一般的にはみなされてますが*3、ユングは医師としても効果があったのではというんです。
 パラケルススは錬金術師なので、薬草を用いての治療を批判しています。ユングは彼の「君らはみんながみんな、(中略)珍妙な(中略)用語集をでっちあげている」を引きながら、「哲学的な変容のための手続き」だったのではないかと分析しています。
 パラケルススは、患者を一つの宇宙とみなして、星座のように患者の中の星をつなぎ合わせることで治そうとしたんです。wikipediaを手がかりにパラケルススの思想を見ていくと
パラケルススの思想にはマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙たる人間)の照応という世界観が根底にある。マクロコスモスとしては地上世界、天上世界(星の世界)、霊的世界の3つを考え、それに対応するミクロコスモスである人間を身体、精気、魂に分けて考えている。地上界-身体と天上界-精気は目に見える世界であり、それを支配する霊的世界-魂は目に見えない世界である。
と載っています。そして魂の世界を治療することで、病気を治そうという非常に素朴なアプローチの仕方で、古代ギリシャにおいてヒポクラテスが批判したものと同じです。
 詳しくはパラケルススについて邦訳が何冊か出てますし、澁澤龍彦の『妖人奇人館』(河出文庫)でも紹介されているみたいですので是非とも当たって下さいね。
 しかし、ユングはパラケルススの態度に好意的です。それは陰と陽に影響を受けたユングの思想が反映されているのです。

ユングの思想

 フロイトが治療した患者は多くはヒステリー*4でしたが、ユングが診察したのは精神分裂病の患者でした。精神分裂病の症状に、「私は誰かに盗聴器を……」とか「私の身体は誰かに操られている」*5とかいうものがあります。こうした中で、患者の妄想の中にも一定したパターンがあると指摘したのです。
 これを分析していく中でユングは神話の中にも同じ類型があるのを見出しました。そしてこの類型を元型となづけ、その中に影と呼ばれる概念を見つけたのです。影とは否定的な自分であり、もう一つの自分とも言ってもいいかもしれません。その影とパラケルススにおける小宇宙/大宇宙の考えとは相性のいいものであったと推察できます。
 また、精神分裂病の特徴は〈言葉のサラダ〉とも呼ばれる因果関係の結びつきの崩壊にあります*6。この点においても、パラケルススの人体を天体に見立て、その「星位を占星術に則って解釈する(中略)術を欠くならば医師は《いかさま医師》(Pseudomedicus)でしかないのです」という理論に合致しているように思います。
 つまりばらばらになった論理をまた線で結ぶ手伝いをする。精神分裂病への向き合い方として必要だとユング言っているような気がします。現にユングはパラケルススの「患者に対する医師の立場」に関して、言葉を多く引用しています。
 例えば「何よりもまず第一に是が非でも語っておかなければならないのは、医師が生まれながらに備えてなければならない慈悲心のことである」という言葉を引用しています。ここにはユングが牧師の子であるという生い立ちが大きく反映しているように思います。

長寿論

 さて「精神現象としてのパラケルスス」で、ユングはパラケルススの著作、長寿論を紐解いて精神分析を試みているようです。もちろん、このパラケルススの『長寿論』には「人間は二〇〇歳まで生きられる」とするなどかなり疑わしい側面があります*7。
 ユングがパラケルススを読解するにあたって重視するのはメルジーネという存在です。メルジーネとは水の精であり訳者注に従えば、「女性的生命原理」のことだそうです*8。
 ところでユングは無意識の象徴として水を用いています*9。そして「錬金術師の精神は、メルジーネをとらえること」だといいます。つまり精神分析医とパラケルススとはメルジーネ、つまり無意識をとらえる点で似てる、と言ってるように思います。
 パラケルススはキリスト教で使われる成句をあえて用いませんでした。そうすれば、「自然と自然の特殊な《光》とを、わざわざこれらを無視した見解と対立する形で、承認し、あるがままに受け入れなくてはならないことになる」からだといいます。
 つまり自然な欲求を無視し、それと対立する形で、キリスト教の価値感を受け入れなくてはならなかったのではないかと思います。
 ではパラケルススは自然の欲求を受け入れることと、キリスト教のような無限の愛を貫くこととどっちが正しいと考えていたのでしょう。あるいはどちらも正しいと考えていたのでしょうか? ユングの読みだとどちらも正しいと考えていたそうです。
 ラカンは秘境めいてるという人が多いみたいですが、ユングの方が秘境めいてるかもしれません。河合隼雄は好きなんですが、ユングはどうも好きになれないんですよねー。

どうでもいい注釈


 本書でカルダノの名前がちょろっと出てきますが、彼は数学で三次方程式の一般解、確率論、虚数という分野を開拓しました。なので自然哲学というよりは数学者というイメージが僕の中ではあります。
 というか自然科学でなんかやったっけか。


*1 ホメオパシー治療についてはかなり疑わしい面が否めない。フラシーボ効果の可能性が高いと思われる。
*2 全く不勉強なので本の紹介などを見るしかない。
*3 例えばニュートンは錬金術にも手を出していた。このことを受けて、ニュートンはオカルティズムに興味を示していたという見解がありそうだが、僕はそう思わない。まだ科学という概念がしっかりしてないこの時代なら仕方のないこと。
*4 ここでいうヒステリーとは健忘症のことである。
*5 精神分裂病(『赤の他人のホントのわたし』)
*6 「第十二回 ネコは緑色だから卑弥呼だ」『マンガで分かる心療内科』参照。谷山浩子の歌詞を聞くと言葉のサラダが山盛りになって出てくるよ!
*7 しかし、今日でいう予防医学の考え方も提示されているので全くのムダかというとそうではない。
*8 本格的に研究したかったら清水恵「パラケルススのメルジーネ論」(『藝文研究』85号)参照
*9 ユング『元型論』(紀伊国屋書店)


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著者:カール・グスタフ・ユング
著者:ユング
タイトル:パラケルスス論
出版者:みすず書房
分類:人文科学
分類:精神分析
分類:心理学
分類:分析心理学
分類:錬金術
件名:パラケルスス
国籍:スイス