あらすじ
第二次世界大戦で戦士した兵士たちの遺骨を回収しに、将軍と司祭はアルバニアへ降り立った。アルバニア人の将校、脱走兵の手記、村人たち……。遺骨とともに記憶や敵意も掘り起こす。二人には徒労感だけが残り、滞在期間を終え、帰国する。死者と生者が織りなす物語。はじめに
フランス文学、ドイツ文学は読んでいるとはいえ、やはり英米文学が中心になっています。あとロシア文学やスペイン文学も少し。メジャーな国の文学も面白いのですが、偏りが出てしまいます。もちろん偏りが出ても構わないと考える人もいるでしょうが、新しい文野を開拓したいと考えています。全く新しい分野は不安、というか頭に入りにくいのです。更に以前、「東欧の想像力」を調べてEvernoteにまとめたことがまずはこのシリーズから読んでいこうと思い、図書館から借りてきました。
死者と生者
この小説において際立っているのは生者と死者の対比です。生者は将軍、司祭、将校などのように役職名での表記が多く、行方不明者の名簿ですらも「Z大佐」とイニシアルで書かれています。例えば縛り首になったラミズ・クルティについて、カフェの主人が話す時も、名前が事細かに出ているのです。例えば「ごろつき中のごろつき、ラメ・カレツォ・スピリ」はラミズ・クルティの一件とはあまり関わってこないのですが、それでもフルネームで出ています。
脱走兵の日記も同様です。脱走兵がアルバニア人の水者小屋に逃げ込んだ時の日記を、将軍は読むのですが、一人娘のクリスティナ、フロサおばさん、そして飼い犬のデュヴィに至るまで事細かに名前が書かれています。
一方、死者の記憶については名前が書かれているのです。その典型例が脱走兵の日記。脱走兵がアルバニア人の水者小屋に逃げ込むのですが、一人娘のクリスティナ、フロサおばさん、そして飼い犬のデュヴィに至るまで事細かに名前が書かれています。また登場人物の独白も「将軍」や「司祭」はせいぜい一行ですが、死者の独白は長く数行に渡っています。
日記の部分はフォントが書わっており、〈語り手〉の交替を表しています。日記以前にもところどころフォントが変わっています。例えば三人称の〈語り手〉が「土は小石だらけで、それが金属部に当たるたびに鈍い音を立てた」と地の文で綴った後、フォントを書えて一人称になります。
私の銃剣は小石にぶつかり、それらとこすれ合いきしむような音をたてた。私は精一杯に地面を引っかいていたが、銃剣はこの地面に対して無力だった。(中略)そしてこの後、「どうも見つからないようだな」と続きます。前後の文脈から場所はそのままで時系列と〈語り手〉だけが変わっていると解りましょう。つまり、一人称の〈私〉が語っている段落は脱走兵の視点だと、彼の日記を読んで解るような仕掛けがしてあるのです。
私は深い穴を彫りたかった。あいつがそれを望んでいたからだ。(中略)地面には目印も、石も、一切置かなかった。あいつが目印を恐れていたからだ。なぜって、もし見つかったら、また地面の底から引っぱり出されてしまうとあいつは思っていたからだ
仲間を残してきた暗闇の方を振り向き、こう思った。
『心配ないさ。見つかりはしないとも』
どうして最初から全て三人称で語らなかったのかは、一人称視点と三人称視点の特徴を踏まえれば自ずと明らかになりましょう。一人称視点は登場人物の〈語り手〉と読者の心理的な距離が近く、逆に三人称視語は登場人物と読者の心理的な距離は遠くなります。つまり、三人称の〈語り手〉は読者に脱走兵への感情移入を促したかったのだと解釈できるのです。このコントラストは脱走兵の日記で名前が出ているのに対し、三人称の場面になると、役職だけで呼ばれるようになることからも解ります。もっと言えば、三人称の〈語り手〉は遺骨探しそのものよりも、戦没者含め死者の記憶に興味があるとも言えます。
死者と生者の交錯と言えばフアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』が思い浮かびます*1。父親、ペデロ・パラモを探して旅していくうちに死者の町にたどり着く話。しかし、『死者の軍隊の将軍』は科学的な世界観に基づいているので、死後の世界などは前面に書かれていません。現に、遺骨は公式見解上、単なる名簿であり、数字です。
記者たちはしきりに『名簿』とか『数字』といった言葉を口にしていた。そうしたものが軍当局の官僚主義や魂のこもっていない冷淡さを体現しているという見方を隠そうともしなかった。ここで三人称の〈語り手〉は「軍当局の官僚主義や魂のこもっていない冷淡さ」に反発したとも受け取れます。しかし、そもそも追悼、特に戦没者や被災者への追悼は死者と生者が逆転するのかもしれません。
それと言うのも、日本でも八月六日、八月九日には被爆者の物語を報じるように、この日は被爆者たちが主役となります。しかし、石碑に名前が刻まれている点において、上述の引用と同用、被爆者もまた名簿に過ぎません。その意味で「官僚主義や魂のこもっていない冷淡さ」が現れているのです。これは戦争ほどではないにせよ、被災者などでも言えましょう。例えば三・一一から数年間は、被災者の物語がテレビでは流れていました。『ペデロ・パラモ』とは異なり、死者の国など存在しない世界においてどのように故人の意志を汲むか、ここに描かれています。つまり日記などの文章と遺骨などの科学的なアプローチ。
偏見
さて、司祭はアルバニア人についてよく知っているという印象を持つかもしれません。例えば下記の台詞が挙げられましょう。彼ら〔アルバニア人は〕戦争を、あまりに情熱を込めて、また当然のものとしてだきしめるものだから、またたく間にその血は毒されてしまうのです。アルコール中毒になる人間のようにね」この他、「アルバニア人というのは水を嫌がるけものと同じですよ。彼らは山やら岩礁やらによじ登りたがるんです。そういう場所でこそ自分たちが安心できると感じられるのです」など随所にステレオタイプのアルバニア人像が述べられています。 また司祭だけでなく脱走兵の手記にもステレオタイプのアルバニア人像が窺えます。「アルバニア人は(中略)まあ実にお固くてね。お前さんが女の尻を追っかけようもんなら、間違いなく去勢されちまうだろうよ」。僕にはこのステレオタイプのアルバニア人像がどこまで的を射ているのか解りません。しかし、〈語り手〉の意図は将軍の台詞に現れています。
そんな〔野蛮な〕連中がどうして、降伏した我が国の兵士たちにひどいことをしなかったんだろうな? それどころか反対に、アルバニア人たちは連合軍から守ってくれたじゃないか。もし連合軍に見つかったら即座に射殺されるところだったんだからな。つまり、ステレオタイプのアルバニア人像を〈語り手〉は否定していると言えましょう。
そもそも国籍、母語、人種……様々な定義がありますが、どのような定義にせよ、アルバニア人と一口に言っても様々な人がいる以上、一口で国民の性格は表せないからです。一人のアルバニア国籍を有する人、あるいは一人のアルバニア語の母語話者は存在しますし、複数人、集まることもできましょう。しかし、性格や内面まで同じだとは言い切れません。国民性などナショナリズムの話になると、このような奇妙な論理が使われるのです。
もちろんナショナリズムに限った話ではありません。男性/女性などの性別、自然科学者は小説を読まないなどの学問的な枠組みにも当てはまるのです*2。
*1 フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(岩波書店)
*2 アイザック・アシモフは生化学の学位を取得しているが、シェイクスピアの論考も残している(Wikipedia「アイザック・アシモフ」