有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

イズマイル・カダレ『死者の軍隊の将軍』(松籟社)

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死者の軍隊の将軍 (東欧の想像力)

あらすじ

 第二次世界大戦で戦士した兵士たちの遺骨を回収しに、将軍と司祭はアルバニアへ降り立った。アルバニア人の将校、脱走兵の手記、村人たち……。遺骨とともに記憶や敵意も掘り起こす。二人には徒労感だけが残り、滞在期間を終え、帰国する。死者と生者が織りなす物語。

はじめに

 フランス文学、ドイツ文学は読んでいるとはいえ、やはり英米文学が中心になっています。あとロシア文学やスペイン文学も少し。メジャーな国の文学も面白いのですが、偏りが出てしまいます。もちろん偏りが出ても構わないと考える人もいるでしょうが、新しい文野を開拓したいと考えています。
 全く新しい分野は不安、というか頭に入りにくいのです。更に以前、「東欧の想像力」を調べてEvernoteにまとめたことがまずはこのシリーズから読んでいこうと思い、図書館から借りてきました。

死者と生者

 この小説において際立っているのは生者と死者の対比です。生者は将軍、司祭、将校などのように役職名での表記が多く、行方不明者の名簿ですらも「Z大佐」とイニシアルで書かれています。
 例えば縛り首になったラミズ・クルティについて、カフェの主人が話す時も、名前が事細かに出ているのです。例えば「ごろつき中のごろつき、ラメ・カレツォ・スピリ」はラミズ・クルティの一件とはあまり関わってこないのですが、それでもフルネームで出ています。
 脱走兵の日記も同様です。脱走兵がアルバニア人の水者小屋に逃げ込んだ時の日記を、将軍は読むのですが、一人娘のクリスティナ、フロサおばさん、そして飼い犬のデュヴィに至るまで事細かに名前が書かれています。
 一方、死者の記憶については名前が書かれているのです。その典型例が脱走兵の日記。脱走兵がアルバニア人の水者小屋に逃げ込むのですが、一人娘のクリスティナ、フロサおばさん、そして飼い犬のデュヴィに至るまで事細かに名前が書かれています。また登場人物の独白も「将軍」や「司祭」はせいぜい一行ですが、死者の独白は長く数行に渡っています。
 日記の部分はフォントが書わっており、〈語り手〉の交替を表しています。日記以前にもところどころフォントが変わっています。例えば三人称の〈語り手〉が「土は小石だらけで、それが金属部に当たるたびに鈍い音を立てた」と地の文で綴った後、フォントを書えて一人称になります。
 私の銃剣は小石にぶつかり、それらとこすれ合いきしむような音をたてた。私は精一杯に地面を引っかいていたが、銃剣はこの地面に対して無力だった。(中略)
 私は深い穴を彫りたかった。あいつがそれを望んでいたからだ。(中略)地面には目印も、石も、一切置かなかった。あいつが目印を恐れていたからだ。なぜって、もし見つかったら、また地面の底から引っぱり出されてしまうとあいつは思っていたからだ
 仲間を残してきた暗闇の方を振り向き、こう思った。
『心配ないさ。見つかりはしないとも』
 そしてこの後、「どうも見つからないようだな」と続きます。前後の文脈から場所はそのままで時系列と〈語り手〉だけが変わっていると解りましょう。つまり、一人称の〈私〉が語っている段落は脱走兵の視点だと、彼の日記を読んで解るような仕掛けがしてあるのです。
 どうして最初から全て三人称で語らなかったのかは、一人称視点と三人称視点の特徴を踏まえれば自ずと明らかになりましょう。一人称視点は登場人物の〈語り手〉と読者の心理的な距離が近く、逆に三人称視語は登場人物と読者の心理的な距離は遠くなります。つまり、三人称の〈語り手〉は読者に脱走兵への感情移入を促したかったのだと解釈できるのです。このコントラストは脱走兵の日記で名前が出ているのに対し、三人称の場面になると、役職だけで呼ばれるようになることからも解ります。もっと言えば、三人称の〈語り手〉は遺骨探しそのものよりも、戦没者含め死者の記憶に興味があるとも言えます。
 死者と生者の交錯と言えばフアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』が思い浮かびます*1。父親、ペデロ・パラモを探して旅していくうちに死者の町にたどり着く話。しかし、『死者の軍隊の将軍』は科学的な世界観に基づいているので、死後の世界などは前面に書かれていません。現に、遺骨は公式見解上、単なる名簿であり、数字です。
記者たちはしきりに『名簿』とか『数字』といった言葉を口にしていた。そうしたものが軍当局の官僚主義や魂のこもっていない冷淡さを体現しているという見方を隠そうともしなかった。
 ここで三人称の〈語り手〉は「軍当局の官僚主義や魂のこもっていない冷淡さ」に反発したとも受け取れます。しかし、そもそも追悼、特に戦没者や被災者への追悼は死者と生者が逆転するのかもしれません。
 それと言うのも、日本でも八月六日、八月九日には被爆者の物語を報じるように、この日は被爆者たちが主役となります。しかし、石碑に名前が刻まれている点において、上述の引用と同用、被爆者もまた名簿に過ぎません。その意味で「官僚主義や魂のこもっていない冷淡さ」が現れているのです。これは戦争ほどではないにせよ、被災者などでも言えましょう。例えば三・一一から数年間は、被災者の物語がテレビでは流れていました。『ペデロ・パラモ』とは異なり、死者の国など存在しない世界においてどのように故人の意志を汲むか、ここに描かれています。つまり日記などの文章と遺骨などの科学的なアプローチ。

偏見

 さて、司祭はアルバニア人についてよく知っているという印象を持つかもしれません。例えば下記の台詞が挙げられましょう。
 彼ら〔アルバニア人は〕戦争を、あまりに情熱を込めて、また当然のものとしてだきしめるものだから、またたく間にその血は毒されてしまうのです。アルコール中毒になる人間のようにね」
 この他、「アルバニア人というのは水を嫌がるけものと同じですよ。彼らは山やら岩礁やらによじ登りたがるんです。そういう場所でこそ自分たちが安心できると感じられるのです」など随所にステレオタイプのアルバニア人像が述べられています。 また司祭だけでなく脱走兵の手記にもステレオタイプのアルバニア人像が窺えます。「アルバニア人は(中略)まあ実にお固くてね。お前さんが女の尻を追っかけようもんなら、間違いなく去勢されちまうだろうよ」。僕にはこのステレオタイプのアルバニア人像がどこまで的を射ているのか解りません。しかし、〈語り手〉の意図は将軍の台詞に現れています。
  そんな〔野蛮な〕連中がどうして、降伏した我が国の兵士たちにひどいことをしなかったんだろうな? それどころか反対に、アルバニア人たちは連合軍から守ってくれたじゃないか。もし連合軍に見つかったら即座に射殺されるところだったんだからな。
 つまり、ステレオタイプのアルバニア人像を〈語り手〉は否定していると言えましょう。
 そもそも国籍、母語、人種……様々な定義がありますが、どのような定義にせよ、アルバニア人と一口に言っても様々な人がいる以上、一口で国民の性格は表せないからです。一人のアルバニア国籍を有する人、あるいは一人のアルバニア語の母語話者は存在しますし、複数人、集まることもできましょう。しかし、性格や内面まで同じだとは言い切れません。国民性などナショナリズムの話になると、このような奇妙な論理が使われるのです。
 もちろんナショナリズムに限った話ではありません。男性/女性などの性別、自然科学者は小説を読まないなどの学問的な枠組みにも当てはまるのです*2。

*1 フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』(岩波書店)
*2 アイザック・アシモフは生化学の学位を取得しているが、シェイクスピアの論考も残している(Wikipedia「アイザック・アシモフ

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風邪を引きました

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龍角散 龍角散ののどすっきり飴袋 88g×6袋風邪を引きました。
喉が痛いです。
咳も出ます。
おやすみなさい。




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小野十三郎『小野十三郎詩集』(思潮社)

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小野十三郎詩集 (1980年) (現代詩文庫〈1021〉)

概要

 小野十三郎はダダイズムの詩人であり、従来の価値観を否定しようとした。それは理性、宗教的な神などに留まらない。自然信仰、森羅万象……。あらゆる形而上のものを否定しようとした。しかし、単に否定したのではなく、形而上学的なものから自己を隔離しようとしたのである。

はじめに

 創作の参考に詩人を探して、詩集を読んでいます。高田敏子『詩の世界』*1で引用されている、あるいは現代詩文庫などのラインナップをWikipediaで調べてEvernoteにメモをして、図書館から借りているのです。大学では国文学を専攻したはずなのに、萩原朔太郎、三好達治など日本の詩は数えるほどしか読んでいません。小説にしろ、外国の文学、特に西洋文学は好き。しかし母語でないと、楽しめないと(勝手に)思い、日本の現代詩を読んでいます。
 飽きたらまた海外の詩に手を出すかもしれませんが、海外の詩を読むにしろ、日本の詩はどこかで関係すると考えています。例えば萩原朔太郎はポオの影響を受けていますし、三好達次はボードレール『巴里の憂鬱』を翻訳しています。

ダダイズム

 現に小野十三郎は尾形亀之助と並んで、日本のダダイズムの詩人。ダダイズムとは、1910年代にスイスで起きた芸術運動で既存の価値観を否定しました*2。この背景にあるのは、第一次世界大戦*3で、ニヒリズムを根底として持っています。ニヒリズムとはすべてが無意味だと考える思想。もちろん、信仰や宗教も例外ではありません。いくら神に祈っても銃弾は当たります。
 このニヒリズムについて下記の通り、小野十三郎は苦言を呈しています*4。
かかる風景や森羅万象自体が未来の自然に立ち帰ろうとするとき、それに対して絶えず「神」の観念を注入しようとする人間が、いたるところにいて、それがつまり詩人とか見者とか云われる人間だ。(中略)かれらはみな、かれらの師も含めて、詩というものの最後の到達をコスミックな宗教性の中に置き、或は無意識的にそれを指向するロマンチズムの古い習慣な中にある人たちだ。問題は、他に自然の把握の方法があるかどうかということである。世俗の宗教や神秘主義と戦かっている詩人たちにしても、最後はこういう世界にゆきつくことが普通であって、ニヒリズムも無神論もまだこの世界を突きくずしてはいない。みな究極の「神」の前に敗北している。
 単にキリスト教などを否定して、自然崇拝に切り替えても、それはキリスト教の神がに変わっただけのこと。自然崇拝ではなくとも汎神論は自然法則を神と考えています。つまり何らかの「神」を信じていることには変わらないとも言えましょう。特に西洋思想の根底にも古代ギリシア以来、普遍的な存在を想定しています*5。数学はその典型例でしょう*6。数学そのものは形而上学とは違いますが、普遍性を追い求めている点で物質を超えた概念が想定されて、形而上学とも似てくるのです。そして小野十三郎が「神」という時、自然に関してだけではありません。「〔無政府主義者の〕大杉栄の著書には、中学時代から親しんでいた」*7とある通り、政府を超越的な存在と考えていた節が窺えます。
 このような論点を踏まえながら、小野十三郎が「みな究極の『神』の前に敗北している」と述べているのだと僕は解釈しました。少なくとも芸術運動に関してはアヴァンギャルドの論考がある通り、前衛的な芸術に興味を示しています*8。
 〔花田清輝の著作について〕、アバンギャルドとは、民族的な古典もふくめて、既成の価値をすべて否定して、あとをもかえりみず、前へ前へと進む創造的行為だという、よく読めばそんなことは書いていないのだが、読みが浅かったためにそう受けとるところに(中略)私のような者はいかれていたからである。(中略)前衛と伝統の関係に対する深い考察によって、(中略)アバンギャルドとは何かを、以前にもまさる説得力をもって私に示してくれた。
 この後すぐに花田清輝の晩年の著作について論が展開していくので、「アバンギャルドとは何か」、より厳密に言えば、アバンギャルドとは何だと小野十三郎が考えたか、明確に書かれていません。しかし手掛かりはあります。「要するに、伝統が発展的に継承されているかいないかというようなことは、後世の史家の判断なり、読者それぞれの鑑賞力に判せておけばいいことで、あまりそんなことを意識するとろくな仕事はできないと思います」*9と述べているのです。

生命

 さて、形而下の極地と言えば、無機物が挙げられましょう。有機物は生命の神秘性、つまりある種の形而上的な要素を含んでいます。例えば、生命の進化、知覚や意識、あるいは生命活動そのもの……。今でこそDNAなどでかなり生命の進化などが解ってきましたが、小野十三郎は20世紀初頭の詩人。ダーウィンが進化論を発表した時期でもありました。とりわけ注目すべきはそしてベルグソンの『創造的進化』*10。この著作で生命はある種の形而上学にまで高められたとも言えましょう。

生より死

 しかし小野十三郎の立場は上述の通り、形而上学的な要素を否定し、自己から切り離しています。「死」は究極の形而上学的な概念との隔離。生きているからこそ、「死」などに想いを巡らす、と小野十三郎は考えていたのでしょう。「犬」などは死に美を見出しています。
「犬」
犬が口を開いて死んでいる。

その歯の白くきれいなこと。
 また「死」では美しさのみならず、壮大さが窺えましょう。
「死」
方四里。
真赤に枯れている松林を見た。
死はまさにかくあるべきだ。
 もっとも日本は古来より桜の散り際に美を見出すなど「死」を積極的に評価してきました。また九鬼周造もいきの徴表について「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である」*11と述べていますが、究極の運命は自己の死です。したがって、「死」に限っていえば、生に執着しないような壮観な死に際を「真赤に枯れている松林」に投影したと解釈できましょう。
 さらにこの詩は二〜三行と短いのも特徴。「環濠城塞歌 二番」が三ページにも渡っていることを踏まえると、その短さは際立っています。この他、「小鳥たちの風景の記憶について」もかなり短く「アツタカクナツテモアソコヘハユケナイ/アノクニノ/アノカワアノアシハラハ/モウダメダ」と四行の詩ですが、この詩も「アツタカクナツテモアソコヘハユケナイ」「モウダメダ」などの詩句から解る通り、何らかの事情で諦めています。決して未練など述べずに、「モウダメダ」の一言だけ。この詩で小鳥たちが「アノカワ」、「アノアシハラ」への未練を述べないのと同様、「死」においても生への執着心がないから短いのだと言えましょう。

有機物より無機物

 このように生よりも死を重視しているのですが、有機物よりも無機物を重視している点からも窺えます。もちろん大阪には当時から工場が多いなどの地域性や、未来派が日本に輸入されたなどの時代性もありましょう。未来派は「純粋に肯定的に、近代文明の産物や、機械の登場によって生まれた新たな視点を、芸術に取り入れようとした」のです。
 これが小野十三郎の場合、化学物質として詩に登場します。例えば「硫酸の甕」
(前略)
馬は首を垂れて黙々とまぐさを喰べてゐる。
長い汚ないたてがみが地にずつてゐる。

工場裏の塀ぎはに
夥しい鉛質硫酸の空かめが列んでゐる。

硫酸の甕は羨むべきかな。
 ここでも「まぐさを喰べてゐる」馬の鬣を「汚い」と評する一方、「硫酸の甕は羨むべきかな」と非生命への羨望が読み取れます。どうして硫酸そのものではなく「硫酸の甕」を羨んでいるかは、硫酸の性質と関わっているのでしょう。つまり、硫酸は金属などを溶かしますが、甕は溶かしません。金属は頑丈さの象徴として考えれば、硫酸はそれをも溶かす強さを持っています。一方、甕は金属以上に「強い」と感じていたのかもしれません。
 また、「山」では「含銅硫化鉄の大コニーデ」を「富士そのものかもしれぬ」と述べている通り、ここでも化学物質が肯定的に描かれています。この他、「白い炎」でも「セメント/鉄鋼/電気/マグネシウムら」と無機物が描かれている一方、「人影なし」とある通り、人間が不在ですが、これもまた生命と非生命の価値観を逆転させているといえましょう。そしてこの逆転は「葦の地方」の「硫安や 曹達や/電気や 鋼鉄の原で/ノヂギクの一むらがちぢれあがら/絶滅する」詩句からも窺えます。

地域性

 地域性に注目すれば、「硫酸の甕」などが収録されている詩集、「『大阪』は大阪の重工業地帯に取材し」*12ているように、大阪が一つのキーワードです。それは「環濠城塞歌 二番」において最も顕著に現れています。この詩には「百歳をこえた者がぎょうさんいるが」、「とても駆け出せんやろ」などの関西弁、石山合戦からも解る通り、大阪の歴史と地理などが盛り込まれています。
 詩の〈語り手〉は浄土真宗の教義だと僕は解釈しました。最初は「短筒と書状をふところにし/往反していた」「あのころから/おれは一人の連絡員だった」などの詩句から言葉そのものだと考えていたのですが、「生まれたのは/中世の昔/石山というところ」との辻褄が合いません。「おれにはまだ脚力がある」とありますが、この「脚力」は情報伝達能力、あるいは影響力を示しているのでしょう。つまり、浄土真宗の教えは現代にまで広まっていることを示していると解釈したのです。
 そのように考えていくと「あのころからおれは一人の連絡員だった」の詩句も情報全般の連絡員だけでなく、浄土真宗の教義を伝達していると言えましょう。一人の連絡員と人数を限定しているのは、連絡員が複数いることになります。言葉そのもの、つまり言葉全般なら人数を限定する必要はありません。しかし、ある特定の情報、つまりある特定の言葉だと解釈すれば、この疑問も解けるのです。
 もちろん、宗教が異端視され、あるいは異教の宗教が禁止されました。例えば、インカ。「ピサロの騎馬隊に出会ったインカの民がそうしたようにアルバ公の軍隊に遭遇したネーデルランドの武装農民がそうしたように」とありますが、インカ帝国は言うに及ばず*13、アルバ公も宗教対立が原因でプロテスタントを虐殺しているのです*14。つまり同時代的な虐殺事件以外にも宗教弾圧の側面があると言えましょう。このように考えていくと下記の詩句も老人の比喩ではなく、宗教的マイノリティと解釈できます。
ソ連のグルジャ地方や
アンデスの山中には
百歳をこえた者がぎょうさんいるが
齢相当にみな壊滅的に老けてる
家の戸口に一日ずっとこしかけてるだけだ
 グルジャ地方は今のジョージアですが、「数千年にわたり異なる宗教的マイノリティが住みつづけ」*15ています。つまり、教義を広めたくても広められません。アンデスの山中、つまりインカ帝国は今でこそバルガス≡リョサがノーベル文学賞を受賞したこともあって、注目されるようになりました。しかし八十年代のことであり、小野十三郎の時代はまだ注目されていなかったと容易に推察できましょう。
 

*1 高田敏子『詩の世界』(ポプラ社)
*2 Wikipedia「ダダイスム
*3 同上
*4 小野十三郎「風景論の意想」(小野十三郎『小野十三郎詩集』思潮社)
*5 タレスのイオニア派などが挙げられる(精選版 日本国語大辞典 「イオニア学派」)
*6 例えば平面上において、なぜ常に三角形の内角の和が180度になるかなど証明するのが数学である。
*7 小野十三郎「ニヒルの射程距離」(小野十三郎『小野十三郎詩集』思潮社)
*8 小野十三郎「日本のルネッサンス人」(小野十三郎『小野十三郎詩集』思潮社)
*9 小野十三郎「「よき古いもの」と「悪しき新しいもの」」(小野十三郎『小野十三郎詩集』思潮社)
*10 アンリ・ベルクソン『創造的進化』(岩波書店)及び日本大百科全書(ニッポニカ) 「創造的進化
*11 九鬼周造「「いき」の構造」(青空文庫)
*12 Wikipedia「小野十三郎
*13 Wikipedia「インカ帝国
*14 Wikipedia「オランダの歴史」及び、Wikipedia「フェルナンド・アルバレス・デ・トレド
*15 Wikipedia「ジョージア国における宗教



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ダニロ・キシュ『砂時計』(松籟社)

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砂時計 (東欧の想像力 1)

概要

 ユダヤ人のE・Sは強制収容所で命を落とし、彼の手紙が後に発見される。彼の時代・思想などが予審記録、精神病患者のメモなどととも段々と浮かび上がってくる……。最初は一般論や漠然とした思想が語られ、〈語り手〉の正体すら解らない。しかし、読み進めいくうちに、仄暗くE・Sの人物像が解っていく。

はじめに

 以前、文芸同人誌『TEN』で参考にするため、東欧のSFを読んでいました。その時にもっと東欧の文学について知りたくなって、「東欧の想像力」シリーズをEvernoteにまとめていました。しばらく興味が沸かずそのままにしておいたのですが、段々と新しい分野を開拓したくなりました。東南アジアの文学を調べるなどしているうちに、せっかく東欧の文学をまとめていたんだから、読まない手はないと思い、「東欧の想像力」の一巻から読むことにしました。

ポストモダン

 第一印象はポストモダン的な文学でした。ポストモダンは本来、時代区分的な意味しかありませんが、大雑把な傾向として「ポストモダン文学は物語の矛盾を肯定的に含んだり(むしろ物語は常に矛盾を含むものである、といった姿勢)、時間軸の無秩序性、衒学性、(中略)、模倣、(中略)等々」*1が挙げられます。

時間軸の無秩序性

 そして、この『砂時計』は無秩序ではないものの、少なくとも近代文学とは時間軸が異なっているのです。近代文学の作品なら時間軸順や因果関係に沿って語られますが、『砂時計』では、一般論から登場人物の個別の問題へと語られるのです。
 例えば、「何にも乱されず、心を働かせる為には、完全なる孤独が必要であり、さもなくば心は他者の心の影響にさらされて、そのことに気付きさえしないであろう」、あるいは馬鈴薯や豚に関しての全般的な(とは言っても精神障害者のメモですので、その点は特殊なのですが)論考のメモからE・Sの話題という個別的な話の順番。
 そして最後にはE・Sの手紙で締めくくられます。彼は自分の体験が小説として出版されるだろうと予想しており、その候補として『砂時計』を挙げています。「すべては崩れ去る」というのがその理由なのですが、〈語り〉の特性も関係していると解釈しました。
 この小説は一般から特殊の順番で語られているのですが、この論証は演繹であり、数学などの論証です。一方、帰納法は個別のデータを積み重ねながら、一般的な法則を推論していきます。さらにアブダクションは帰納法から導き出した結論が正しいと仮定しながら、実験を行なっていきます。
 一般的なことがらを砂時計の上、特殊的なことがらを下、ページを砂に見立てれば、本読み進めていくことは、さながら砂の落下のようです。そして仮説を立てながらの再読は砂時計をひっくり返していると言えましょう。事実そのように読み進めていけば、ルビンの盃もE・Sと関係してくるように感じます。予審記録のE・Sと手紙のE・Sに対応していると解釈できましょう。E・Sは怪しげな占い師として描かれていますが、手紙では悲喜劇の中心人物、兄として描かれているのです。人が向かい合っている姿に見えたり、盃に見えたりするように、同一人物でもまるで違って見えるものです。

衒学性

 ボルヘスはポストモダン文学に大きな影響を与えましたが*2、彼は多くの文学作品や作家に言及しています。『砂時計』にもこの傾向が見られます。例えばスピノザ『神学・政治論』やフロイト、カール・マルクスへの言及。プルースト以外はユダヤ人なのですが、中でも特筆すべきはカフカ。この『砂時計』とカフカの作品には二つの類似点が見られるのです。
(1)細部を過剰なまで描写して、話が進行しない
 カフカの『城』*3は測量士のKが城主から依頼を受け、城を目指す話なのですが、肝心の城にまで行けません。それもそのはず。宿屋の店主など村人との会話など城下町でKがどのように行動したかが異常なまでに描写しているのです。
 一方の『砂時計』もまた、予審で事細かに質問を受けているのです。
(2)裁判が無限に続く
 カフカの『訴訟』ではヨーゼフ・Kが見知らぬ二人組の男から逮捕され、延々と裁判が繰り広げられます*4。短編「掟の門」は門番と男との対話が綴られているのですが、どうしても通りたいと言うと、門番は次の通り答えます*5。
「そんなに入りたいなら、おれにかまわず入るがいい。しかし言っとくが、おれはこの通りの力持ちだ。それでもほんの下っぱで、中に入ると、部屋ごとに一人ずつ、順ぐりにすごいのがいる(後略)」
 ここでは語られていませんが、論理的・数学的に考えると、無限に続いています*6。
 そしてまた『砂時計』の予審でも質問が延々と繰り広げられるので無限性が伺えましょう。「疲れました」と訴えても「続けてください」と言うのです。

法則と法律

 さて、権力も一つの軸となっています。まず作品には予審、つまり裁判官が描かれていますし、E・Sは政治権力によって強制収容所へ送られます。ここには法律・法則などの規則が描かれているのですが、これについてもう少し詳しく説明が必要かもしれません。
 少なくとも英語では、lowと言えば、法則と法律を指していますし、Wiktionaryでも「zakon」の項目にはlowとだけ書いてあるので、スロベニア語でも法則と法律の両方を指していると推察できましょう*7。以下、厳密にlowに対応付けたい時は法則=法律と表記します。
 フロイトは父親に禁止の原形を見出しており*8、ここでも法律、つまり規則と関係付けて考えました。あとがきによればE・Sのモデルはダニロ・キシュの父親であり*9、ここでも父親と関係しています
 スピノザはユダヤ教徒でしたが、「アムステルダムのユダヤ人共同体からヘーレム(破門・追放)にされ(中略)狂信的なユダヤ人から暗殺されそうになっ」*10ています。
 マルクスも「政治的出版物のために亡命を余儀なくさ」*11ていますし、フロイトもナチスドイツに追われています*12。また、ダニロ・キシュが知っていたかどうか定かではありませんが、上述の作家、カフカの父親は暴力的でした*13。つまり『砂時計』で言及されている思想家はユダヤ人であるばかりでなく、権力者からの迫害されているのです。
 ここまで法律、掟などの話をしてきましたが、今度は法則の話をします。『砂時計』の〈語り手〉は法則について下記の通り綴っています。
 もし、あらゆる事象が神-自然の厳格な決定論的法則に従ってカウサ・スイ自己原因の一般原則に従って生じるのであれば、客観的事象としての偶然は存在しない。それは森羅万象といった壮大なスケールにおいてではなく、極めて些細な状況においても同様である。
 つまり、ネズミのせいでE・Sの家が崩落する(少なくとも彼はそう考えている)のも、ナチスが台頭し、E・Sが強制収容所に送られるのも全て、「神-自然の厳格な決定論的法則に従って」いるのだとすれば、必然的な事象となるのです。〈語り手〉はこの世界間を直接、肯定も否定もしていません。しかし、一部は神の視点で描かれている以上、神の存在は信じていたと伺えます。
 マルクス主義者たちはヘーゲルの流れ*14や『ドイツ・イデオロギー』*15に基づいて、法則=法律が歴史にも適用しようとしました*16。より高次の次元へと進むと考えて、歴史に法則性を見出そうとしたのですが、『砂時計』では懐疑的な姿勢が伺えます。E・Sの家を民主主義国家、ネズミを民衆一人一人の隠喩だと解釈すると、民衆一人一人が選挙によってヒトラーを選んでしまったのですから、まさにワイマール共和国と重なり合いましょう*17。
 物語の〈語り手〉は法則=法律を考察するための一例として見ていないように僕は感じます。カフカへの言及から察する通り、法則=法律とはマルクス主義者たちの考えとは異なり、創造と解体が永遠に繰り返されると考えていたのかもしれません。

精神分析

 この『砂時計』は上述の通り、細部を過剰なまで描写して、話が進行しません。これはカフカの『城』以外に記憶を思い出す時とも似ています。特に嫌な記憶の場合は、段々と些末な細部を思い出していき、最後に嫌な出来事が蘇ります。そして自覚すると、身体的な症状がなくなる場合もあります。
 フロイトなどの精神分析医たちは、そのことを治療に使いました。例えば、アンナ・Oはコップからどうしても水が飲めず、フロイトの診察を受けます。その結果、家庭教師が犬へコップで水を与えていたと思い出し、水が飲めるようになっていきました*18。彼女の場合は不潔感がトラウマとなっていたのでしょう。このように結論だけ書くと、カウンセリングがすんなり言ったと誤解するかもしれませんが、実際は遠回りをしながら、思い出していくのです。この過程をアンナ・Oは煙突掃除に見立てましたが*19、これは『砂時計』のブラシに対応しています。
 そして、これは『砂時計』の構成にも似ています。『砂時計』では最後、E・Sの手紙で締めくくられていますが、これはアンナ・Oの症例に対応させるなら、〈語り手〉がE・Sの存在を思い出しくなかったからに他なりません。またフランスの精神分析医、ジャック・ラカンは「ポオの盗まれた手紙」を読み解きながら、手紙を欲望の対象と結びつけています*20。ここから〈語り手〉は兄を欲しがっていたと解釈できましょう。そしてこれは父とも関わってきます。E・Sは〈語り手〉の兄だったと最後に明かされるのですが、家父長制において、兄も父も権力者であり、主体に禁止を与える人物に他なりません。
 つまり、ダニロ・キシュは『砂時計』では父が兄に置き変わっているのですが、これはまだ「父」いう言葉を使いたくなかったからだと思います。その証拠に最後の最後で明かされるのですが、それまで躊躇っていたと解釈しました。彼の父親はユダヤ系であったため「アウシュビッツ収容所に送られ、消息を絶」*21ています。これはダニロ・キシュにとって直視したくなかったに違いありません。父と書くと、どうしてもそのことを考えずにはいられなかったため「兄」と書いたと僕は解釈しました。
 
*1 Wikipedia「ポストモダン文学
*2 同上。
*3 フランツ・カフカ『』(新潮社)
*4 フランツ・カフカ『訴訟』(光文社)
*5 フランツ・カフカ『カフカ短篇集』(岩波書店)
*6 かきもち「正解するのはまず不可能「1+1が2になる」理由」(東洋経済新聞オンライン)
*7 英語版Wiktionaryを見ると「法律」については「law (body of binding rules and regulations) 」と書かれているが、「法則」については「A statement that is true under specified conditions 」と書かれている(Wiktionary「法律」及び「法則」)。これは英語のlowが両方の概念を含んでいるので、意味の混同を防ぎたかったと推察できる。
*8 日本大百科全書(ニッポニカ) の解説「エディプス・コンプレックス
*9 奥彩子「訳者あとがき」(ダニロ・キシュ『砂時計』松籟社)
*10 Wikipedia「バールーフ・デ・スピノザ
*11 Wikipedia「カール・マルクス
*12 Wikipedia「ジークムント・フロイト
*13 Wikipedia「歴史哲学
*14 城山良彦『カフカ』(同学社)
*15 カール・マルクス『ドイツ・イデオロギー』(岩波書店)
*16 Wikipedia「唯物史観
*17 ワイマール憲法は「20世紀における最も注目すべき典型的な憲法とみなされていた」のである(改訂新版 世界大百科事典「ワイマール憲法」)。
*18 Wikipedia「ヨーゼフ・ブロイアー
*19 同上。
*20 Wikipedia「盗まれた手紙
*21 Wikipedia「ダニロ・キシュ



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尾形亀之助『尾形亀之助詩集』(思潮社)

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尾形亀之助詩集 (現代詩文庫 第 2期5)

概要

 尾形亀之助は「私の詩は短い」と語っている。確かに「雨になる朝」の「昼」などは一行の詩だが、「長い詩も書きたい」と綴っている通り、「障子のある家」の詩は長い。それ以上に目を引くのは同じタイトルの詩や「無題詩」が多いことである。例えば「昼」は二つ同じ題名の詩がある。そればかりではない。既刊の詩集にも「白(仮題)」のようなタイトルの詩があるのだ。

はじめに

 詩は文学の基本だと思い、詩を読んでいます。本当はアガサ・クリスティの影響でポオやボードレールなどが好きなのですが、母語でないと勉強にならないと勝手に思っています。大岡信の詩を読み終えて、次は誰の詩を読もうかと思った時、ダダイズムの詩人を読みたくなりました。これでも大学では近代文学を専攻していたので、講義で習った記憶もなくはないのですが、遠い昔です、もしかしたら文学史の本を読んだのかもしれません。
 背景もうろ覚えだったのでWikipediaで調べたら、「村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助」、小野十三郎などの名前が挙がっていました*1。

ダダイズム

 ダダイズムとは、既成の価値観への反発から生まれた芸術運動で1910年代半ばに起きました。この他にも虚無主義が大きな特徴です。第一次世界大戦中ですが偶然ではありません。

理性への反発

 ポオのオーデュスト・デュパンやドイルのホームズ、あるいは『ヴェルヌの八十日間世界一周』などを読めば解る通り、科学は幸せな生活を約束すると誰もが信じていました。またフロイトが人の心を学問の対象にしようとしました。しかし、この結果が第一次世界大戦下を引き起こしたのです。しかも毒ガスなどの化学が使われました。科学にせよ民主主義にせよ、誰もがよく考えて行動したはずです。つまり、よく考えなければ問題なかったとダダイストたちは考えます*2。少なくとも、ダダイズムは第一次大戦中に生まれ、反理性主義を掲げています*3。
 そもそもダダという名前も、提唱者のトリスタン・ツァラが辞書を適当にめくって見つけたことがきっかけとも言われており*4、ダダイズムの思想をよく現しているといえましょう。理性を否定しているので、下記のような詩があります。
「九月の詩」
昼寝

かうばしい本のにほひ

おばけが鏡をのぞいてゐた
 何の関係があるのかと首を傾げたくかるかもしれません。しかしダダイストの理念は理性を否定する以上、無関係な言葉を書き連ねるのは正しいと言えましょう。一見無関係に見えても無意識の連想が働いているので、シュルレアリスムに分類できるかもしれません。例えば昼寝から睡眠、睡眠から就寝前の読書、本はインクの匂い、そしてその本は怪奇小説だったという風に解釈していけば理性の介在する余地があります。
 また昭和14年には夢を題材に詩「風邪」を書いています。

いつかの夢で見たのかな
それとも噺にあったのか
不思議となんでもおんなじに
風邪で寝てゐたことが ある
丁度このやうに寝かされて
おんなじやうにその時も
ガラスのくもりも陽のかげも
薬も盆も水飲も
シイツのぬれた形から二時をうつてる時計まど
何から何までそつくりとおんなじことがもう一度
あつたやうだと眼をつむり思い出せずにゐたのです。
 夢はシュルレアリスムの芸術家が好んで用います。日本における最初期のシュルレアリスムは画家の古賀春江が挙げられますが、彼は昭和五年に「超現実主義私感」を発表しいました。シュルレアリスムは超現実主義とも訳されている通り、これはシュルレアリスムを論じていると推察できましょう。つまり、昭和五年の段階で日本にもシュルレアリスムの概念があったので、尾形亀之助もシュルレアリスムの影響を受けていた可能性は充分にあるのです。
 その点で言えば「ある来訪者への接待」は典型的なダダイズムの詩です。
「ある来訪者への接待」
どてどてとてたてててたてた
たてとて
てれてれたとことこと
ららんぴぴぴぴ ぴ
とつてんととのぷ

んんんん ん

てつれとぽんととぽれ

みみみ
ららら
らからからから
ごんとろとろろ
ぺろぺんとたるるて
 どうしてこれが「ある来訪者への接待」になるのか、そもそもこ詩はどんな意味なのか、オノマトペだと僕は解釈しました。「どてどてとてたてててたてた」で慌ただしく廊下などを走り、「たてとて/てれてれたとことこと」で少し歩き、「ららんぴぴぴぴ ぴ」で嬉しくなり……という具合に。しかし「ん/んんんん ん」などの辻褄が合いません。全部が無意味な詩ではおざなりに書いたと疑われても仕方がありませんが、このような詩があっても面白いのではないかと思うのです。

題名について

 そして、既存の価値観や常識の否定は題名にも現れています。題名はあるべきだと従来、考えられてきましたし、それ以前の詩人は刊行する時にどれも題名を付けていました。例えば、島崎藤村、薄田泣菫などの詩は題名があります。
 一方、「無題詩」や「題名のない詩」はありません。そしてこれはダダイズムと虚無主義との関係を考えると、自然だと言えます。「無題詩」というタイトルで空虚感を現しているとも解釈できましょう。しかし、「無題詩」はそれ自体が題名であるので、すでに自己矛盾に陥っています。
 単に文芸上の試みではなく、この空虚感は都市生活のせいだと考えれば、合理的な説明が付くかもしれません。その鍵となるのが「顔がない」。
「顔がない」
なでてみたときはたしかに無かつた。といふやうなことが不意にありそうな気がする。
夜、部屋を出るときなど電燈をパチンと消したときに、瞬間自分の顔がなくなつてゐる感じをうける。
この頃私は昼さうした自分の顔がなくなる予感をしばしばうける。いゝことではないと思つてゐながらそんなとき私は息をころしてそれを待つている。
 真っ先にマグリットの絵「観念」が思い浮かびました。この絵は顔が林檎になっているのです。顔は鏡を通してしか見えないので、今、ここに自分の顔があるか本当のところ、あるだろうと推察しかできません。したがって、多くの人は了解できないかもしれませんが、「なでてみたときはたしかに無かつた」とも考えられるのです。ここでは生物の部分として「顔」を語っていますが、「私は昼さうした自分の顔がなくなる予感をしばしばうける」とあるのは、象徴的な顔をも含んでいると解釈しました。つまり、自分の自己同一性が都市生活の中で喪失していくことの比喩だと読んだのです。例えば会社に勤めていると、退職しても誰かが仕事を引き継ぎます。病欠したら誰かが作業しますし、それができないなら組織として脆いと言わざるを得ません。しかし、これは仕事だけで生きている時には、代わりはいくらでもいるで、自己同一性を脅かします。ブラック企業の経営者が「代わりはいくらでもいる」と脅すそうですが、これが脅し文句として成立しうるのは経済的な問題だけではありません。例えば「日本人だ」「読書好きだ」「30代だ」などのように何かの集団に帰属して自己同一性を保っています。それ故、「顔」の喪失は帰属性=自己同一性の喪失と深く関わっているのです。
 そして、同名の詩をいくつも書き、しかも「無題詩」にしているのは、詩の顔となる部分は題名だと考えた時、自己同一性の喪失を表しているとも解釈できましょう。もし本当に題名がない場合、冒頭部で区別するようになります。例えば立原道造*5やエミリー・ディキンソン*6は無題の詩もありますが、冒頭部がそのまま目次として採用されています。

静けさ

 自己同一性の喪失は帰属性の喪失と関係するので、孤独や寂しさと結びついています。しかし色ガラスの街」に収録されている「昼の部屋」は、同時に静けさも感じました。
「昼の部屋」
テーブルの上の皿に
りんごとみかんとばなな――と

昼の
部屋の中は
ガラス窓の中にゼリーのやうにかたまつてゐる

一人――部屋の隅に
人がゐる
 少なくとも、「ある来訪者への接待」や「九月の詩」よりは解りやすく、それ故、物足らないのですすが、第一連はセザンヌなどの静物画を思い出しました。どのような果実を描くかはともかく、果物と静物画はゴッホ、ジョルジュ・ラックなども書いています。そして「部屋の中は/ガラス窓の中にゼリーのやうにかたまつてゐる」とある通り静けさが伺えましょう。しかし、「かたまつている」と動きたくても動けません。「部屋の隅に/人がゐる」とありますが、この人は家族などに会いたくても会えないのです。
 ここで「ばなな」に注目すると、異国情緒はもちろん時代背景も伺えます。今でこそバナナはフィリピン産が多いのですが、当時は台湾産が主でした。1985年に下関条約で日本の植民地になるのですが、バナナの栽培は1903年が最初だと言われています*7。大正時代の動きは下記の通り*8。
日本におけるバナナの消費は1915年(大正4年)頃から増え始め、日本に輸入されるバナナは1915年には約25万籠、1922年(大正11年)には130万籠以上に達していました。
 バナナの需要が急増した後の1924年(大正13年)12月には、農商務省と台湾総督府および台湾の青果同業組合が協議したのち、台湾青果株式会社が設立されました。
 その翌年の1925年(大正14年)2月には日本国内の主要都市(東京・横浜・阪神・下関・門司)に台湾青果荷受組合が設立されるなど、台湾産バナナを輸入する環境が整えられました。
その結果、台湾からのバナナ輸入は増加の一途をたどり、日本人の中ではバナナといえば台湾というイメージが形成され、台湾旅行の広告中にもバナナが描かれていました。
 「色ガラスの街」は1925年に発表されているので、まさにバナナが日本本土の市場に流通し始めた頃だと言えましょう。ここで「部屋の隅」とありますが、地図の隅と置き換えると、動けないことも相まって、「一人」は台湾の擬人化だとも解釈可能かもしれません。

*1 Wikipedia「ダダイスム
*2 ジュウ・ショ「西洋美術史を流れで学ぶ(第26回)〜ダダイズム編〜」(イロハニアート.)
*3 デジタル大辞泉 「ダダイスム
*4 Wikipedia「ダダイスム」、ジュウ・ショ「西洋美術史を流れで学ぶ(第26回)〜ダダイズム編〜」(イロハニアート.)
*5 立原道造『立原道造詩集』(思潮社)
*6 エミリー・ディキンソン『ディキンソン詩集』(岩波書店)
*7 「バナナが高級品だったってホント?」(国立公文書館 アジア歴史資料センター)



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鈴村興太郎、後藤玲子『アマルティア・セン』(実教出版)

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アマルティア・セン―経済学と倫理学

概要

 アマルティア・センはノーベル経済学賞を受賞した。彼の業積は多岐にわたる。しかし主な関心は経済学と倫理学との関係、とりわけ、貧困や飢餓に対して理論付けを行なった。自由や社会福祉もその延長上に体系づけている。アマルティア・センの全体を俯瞰する解説書である。

はじめに

 経済学にも倫理学にもあまり興味がありません。そもそも実用的な学問には全く興味がありませんし、倫理学に至っては説教くさくて……と思います。第一、いわゆる社会はフィクション的*1なものだとすら感じています。社会制度は法律体系のもとにあるとしても、メディアが架空の物語を作り上げているのではないかと思うのです。社会は目に見えないので、文学作品以上に存在が実感できません。例えば物理現象なら、物の落下などで解ります。しかし、実在が確定しているのは個人の存在だけで、社会の実在はあまり自明でないように思うのです。
 しかし(あるいはそれ故と言うべきかもしれませんが)経済思想や経済史などには興味があります。なぜなのか自分でもよく解りませんが、科学そのものより、科学哲学や科学史に興味を抱いているのと同じ理由かもしれません。
 そのようなことから、アマルティア・センに興味を抱いていたのですが『経済学と倫理学』を、鈴村興太郎が訳したのかと図書推の予約システムで予約しました。勘違いに気が付いたのは本を数章読み進めた時、センの著作なら「センが」と書かずに「私が」と書くはず。解説書だと気付いて、返却しようか迷ったのですが、これも何かの出会いだと思って読むことに。

数学と経済学

 数学と経済学は密接な関係があると前から知っていました。事実、株価の予想は微分方程式が使われていますし、この本でもパレート分布などが出てきます。これは統計学の話で、パレートが所得などをグラフに起こした時の形から名付けられました。当然、正規分布ではないので、算術平均ではなく中央値を出さなければ、正しく計算できません*2。このように経済現象を定量化してモデルを構築しながら分析する経済学の一分野を、定量経済学と呼びます。この他、金融工学でもブラック・ショールズ方程式が出てきます。
 このようなイメージが先行してしまい、経済学はどのように利益を出すかを研究していると勘違いしていました。また経済学は計算だけだと思っていたのですが、そうではなく、公理を築きながら演繹的に証明していく点でも数学と似ていると解りました。
 例えばアローの不可能性定理*3など。この辺は数学の記号で書かれているのですが、この説明は鈴村さんが説明しています。
 完備性の公理は、どのような一対の選択肢に対しても、個人はその選好を明確に述べることができるという要請である。反射性の公理は、どのような選択肢もそれ自身と同程度に望ましいという当然の要請である。最後に、推移性の公理が満足されない状況では、ある選択肢zと比較して少なくとも同程度に望ましい選択肢yに移行して、yからさらに少なくとも同程度に望ましい選択肢xに移行した結果、かえってこの個人の状態が悪化する可能性がある
 ここで考えているのは、喫茶店でケーキセットを頼む時など個人で勝手に意志決定を行なう場合ではありません。あるグループで1つのホールケーキを買うときなど、集団での意思決定です。
 完備性:どのケーキを食べたいのか明確に順番を伝えることができます。例えばショートケーキとチョコレートケーキとを比べて、ショートケーキを食べたいと伝えることができます。
 ただし二つのケーキを比べて、どちらが食べたいか、つまりYESかNOでしか答えることができません。
 反射性:同程度に魅力的なケーキです。例えばチロルチョコ人数分、ショートケーキ、ゴディバのチョコレートケーキなどの選択肢ではありません。
 もとは数学用語で、関数に自分自身を含んでいる、関係しているものを言います。自分自身に跳ね返ってくるから反射性。ここでの反射性は恐らく部分集合を指しているのでしょう。
 推移律:ショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキを比較した場合、好みは維持されます。つまり
・チーズケーキよりショートケーキが食べたい
・チョコレートケーキよりショートケーキが食べたい
・チョコレートケーキよりもチーズケーキが食べたい
 と言った時、必然的にショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキの順番になります。これをショートケーキ>チーズケーキ>チョコレートケーキと書くことにします。
 この条件のもと、ショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキを3人、鈴木さん、田中さん、佐藤さんで投票して決めたとしましょう。結果は下記の通り。
 鈴木さんはチョコレートケーキ>ショートケーキ>チーズケーキです。
 田中さんはチーズケーキ>チョコレートケーキ>ショートケーキです。
 佐藤さんはショートケーキ>チーズケーキ>チョコレートケーキです。
 この場合、一見するとチョコレートケーキが優勢に見えるかもしれませんが、チーズケーキとショートケーキを比べるとショートケーキが優勢、チーズケーキとチョコレートケーキを比べるとチーズケーキが優勢……。そう、堂々巡りになってしまうのです。
 ここで民主主義は矛盾をはらんでいると結論付けられません。この投票システムが矛盾を生んでいると言うべき。現に二つの選択肢のうち、どちらが好きかではなく、点数制にすれば解決されるのです。
 しかし、センは「選択肢の微妙な差異を徹底的に精密に識別できることを要求する無差別関係の推移姓の要求を無視して」いる考えました。その例が《ケーキ分配の問題》。三人の人間で4種類の分配法方を検討します。鈴村さんは個人名に当てはめていませんが、せっかくだから具体的な{鈴木:田中:佐藤}の個人名にしてみましょう。
 x{80:10:10}
 y{60:20:20}
 z{20:40:40}
 w{10:45:45}
 ここでアローは投票結果のみに注目している、とセンは指摘しています。「すべての個人が同じようにケーキを好み、分配方法に関する個人的選好順序は彼が受け取る分配分に依存するものと仮定」すればxからwへの変更は鈴木さんへの冷遇だと映るかもしれません。
 しかし、例えば、鈴木さんが牛乳アレルギーで、チョコレートケーキを希望したのに、投票の結果、チーズケーキになってしまったのだとしたら(友達は変更すべきだったのかもしれませんが)、了解可能だと言えましょう。また単にダイエット中だとケーキを切り分けてから打ち明けたとも考えられます。

飢餓・貧困

 反射性も推移性も数学の集合論で使われますが、集合論の考えは数学的な考えを飢餓・貧困などの問題でも活用しています。そもそもアマルティア・センの関心事は「窮乏、貧困、飢餓、飢饉など(中略)の解決に資する社会政策を設計すること」ですが、「政策的な実行可能性を慮って問題それ自体を簡略化してしまうのではなく、また分析道具の貧困さに妥協して不十分な記述に甘んずるのでもなく、それらの問題をできる限り包括的に捕捉して総合的に理解することを可能にする理論を構成すること」です。
 そしてこの一つが、交換権原写像。この写像も数学に興味があれば集合論で馴染み深いかもしれません。

写像とは

 そもそも数学で写像とは数の集合を扱おうとするに当たって考え出されました。具体的には自然数全体を考えた時、ある数xとその数の2倍yとではどちらが多いでしょうなどの問題です。直感的に考えればyが多いと考えるかもしれませんし、もし有限個であれば、正しいのですが、どのような自然数nを与えてもn+1が存在します。
 このことがよく解らなければ、「2人の子供が大きな数を言たほうが勝ち」と競っている想像をすると解りやすいかもしれません。先攻が「1億!」と言ったら後攻は、「1億と1」と返せば勝ちますし、「一兆!」と言ったら、「1兆と1」と返せば勝ちます。圧倒的に後攻が有利だと解ります。先攻が勝つにはただ一つ。「後攻が言う数字に1を足した数」。後攻が言う数字をnと置けば「n+1」と書けます。数が文字通り無限にあります。
 数が無限にある時はそもそも計算ができません。しかし1対1で対応関係を考えれば比較はできます。例えば大規模な合コンなんかで男女がペアになったとします。もちろん現実的には有限なのですが、あまりに多いと、とりあえず向かい合って座るように頼むのではないかと思います。
♂□♀
♂□♀
♂□♀
♂□♀
 この結果、余らなければ同数、男性が余れば男性が多い、女性が余れば女性が多いと言えましょう。この話は有理数全体の数と整数全体の数を比べる時に使います*4。さてこの論法である数xとその数の2倍yを考えた時に、y=2xと書けるので、
y x
1 2
2 4
3 6
4 8

 1:1で関係付けられるので同数だと解ります*5。ちなみに1:1対応にならない典型例は無理数と整数の関係ですが、解りやすく例示するならxもyも整数全体の時のy2=xも1:1にはなりません。例えばy=4の時は2も-2も満たすので、1:1対応にはならないと解ります*6。しかし、ここでは数学的な性質よりも写像とは二つのグループがどのように対応してるかが重要です。

交換権原写像

 集合論や写像はもともと数の大小比較を考える上で生まれました。しかし、もちろん合コンの例でも示した通り、数だけではありません。ある一定の規則に基づいてグループ分けをすれば、集合と考えても構わないのです。
 例えば食料と労働者と資本家の関係。資本家の定義は富裕層ではありません。労働者を雇用していれば、どんな年収が低くても「資本家」、逆に労働者は大手企業に勤めていて、年収がどれだけ高くても「労働者」です。しかし、だいたいの傾向として、資本家は富裕層、労働者は困窮していると言えましょう。
 さて、このような定義を与えた上で貧困を考えてみます。最終的に食料品などの生活必需品を手に入れなければいけません。記号類を使いながら、僕は理解しました。
 生活必需品の集合をFoodのF、労働者の集合をプロレタリア(Proletaria)のP、資本家の集合をブルジョアジー(Bourgeois)のBと書きます。食料品にも番号を振って、F1、F2、F3……、労働者にもP1、P2、P3……、資本家にもB1、B2、B3と書きます。
 飢餓がないと最終的には、
P1→F1
B1→F2
P2→F3
P2→F4
と書いて、生活必需品が国民全体に(少なくとも)1:1になります。奇数ならプロレタリアに、偶数ならプロレタリアに配分すると決まっていると飢餓が起きにくいと言えましょう。もちろん雇用関係も写像の発想で説明しています。
B1→P1、P2
 と書けば、ブルジョアのB1がP1、P2の二名を雇用していることになるからです。飢餓の原因は食料品の供給料低下以外にも、生活必需品と国民との対応関係が変わったことが挙げられる、とアマルティア・センは考えたそうです。そして、例えば何らかの原因で、偶数ではなく3の倍数だけ、労働者に、それ以外の時は資本家に配分されるようになったら下記の通りになります。
B1→F1
B1→F2
P1→F2
B2→F4
 Fに到達するには、(1)労働力を資本家に提供する以外に(2)ハンドメイドの品を販売(3)物乞いをする、(4)物々交換などの選択肢があります。選択肢も集合と呼べます。例えば選択肢(choice)のCでC1、C2、C3、C4などと番号を付けましょう。
P1→B1C1→F1
と書いたとき、プロレタリア1がブルジョア1に雇用されて、食べ物を買ったと見なせます。
P2→P1C2→F2
はプロレタリア2がプロレタリアート2へハンドメイドの品を販売して収入を得て、食べ物を買ったことになります。この辺りはマルクス経済学のG-W-G-Wの分析をさらに複雑化していると僕は思いました。さて飢餓の原因は、例えば
P1→C3→F3
つまり、プロレタリア1が物乞いによって、食べ物を得ているとします。しかし、物乞いがある日、法律で禁止されるなどされ、選択肢が狭まったとします。物乞いの禁止に限らず、このように生活必需品を交換する選択肢が狭まっても飢饉は発生するとベンガル飢饉を分析して考えました。

自由

 このように考えていくと、自由とは何かに突き当たります。辞書的な意味で言えば、「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」*7と定義されています。もちろん、正しいのですが、社会がある以上、際限なく、というわけにはいきません。例えば窃盗などが自由だと言われたら(少なくとも)現代の日本では納得しないのではないでしょうか。
 例えば、ホッブズは『リヴァイアサン』において、自由を一部国家に差し出す代わりに、安全を保障してくれると考えました*8。例えば窃盗の自由などを放棄する代わりに、警察は窃盗犯を逮捕すると考えたのです。ここまで大袈裟ではないにしても図書館の「有害図書」における問題などが挙げられましょう。
 また、ミルは『自由論』で、国家の権力に対する諸個人の自由を下記の通り、考えました*9。
これを妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される。なぜならば、ミルによれば文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。また当時参政権の拡大をもたらしていた民主主義の政治制度は大衆による多数派の専制をもたらす危険性があり、これをミルは警戒していた
 アメルティア・センも自由について考えており、それは下記のような理論です。従来、効用と個人に注目してきました。例えば自転車の効用は移動時間の短縮。個人に自転車を与えれば、早く移動できるだろう、と。しかし中には自転車に乗れない人もいますし、乗れない、と言っても練習すれば乗れる人から、そもそも足を失なってしまって物理的に乗ることが出来ない人まで。またエクセルを与えても、Wordの代わりにしか使えない人から、マクロを組める人まで様々な幅があります。
 もちろん経済学者たちもさまざまなグラデーションのような状態になっているとは気付いていたのでしょうが、上手に理論の補正ができなかったのだと僕は思います。
 恐らくこの裏には全員が同じであると考えて理論の構築をしていたせいもあるかもしれません。センは機能の概念を導入します。例えば自転車を与えた時に、効用を最大限、発揮できるかは個人の機能に依存すると考えました。自転車を使うかどうかも含めて個人の判断に委ねています。つまり、価値観で主体的に、そして責任を持って判断しなければなりません。
 センは機能を考えるに当たって、潜在能力アプローチ*10を導入しており、これが自由と直結しているとしたのです。価値観にのっとって、生活できる(可能性)がある自由です。例えば自転車に乗りたいなら自転車に乗れる可能性。もちろん自転車の例は解りやすく例えただけにすぎません。
 そして従来の経済学では富の不足を貧困だと定義していましたが、個人が価値観にのっとって生きることができない社会を貧困だと定義したのです。

*1 どうやら僕の感覚は「社会名目論」に近いらしい(日本大百科全書 「社会名目論」)。
*2 Wikipedia「算術平均
*3 アローの不可能性定理については北国宗太郎「【アローの不可能性定理を分かりやすく】どうすれば選挙は上手く機能するのか」(道産子北国の経済学教室)が参考になる。
*4 「無理数は有理数よりも多い?|対角線論法による濃度差の証明」(あーるえぬ)。特にカントールの対角線論法を参照のこと。
*5 このような関係を全単射と呼ぶ。
*6 専門的に言えば、全射だが単射でない。
*7 Wikipedia「自由
*8 Wikipedia「リヴァイアサン (ホッブズ)
*9 Wikipedia「自由論(ミル)
*10 北国宗太郎「【ケイパビリティ・アプローチを簡単に】センが注目した潜在能力を分かりやすく」(道産子北国の経済学教室)



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レイ・ブラッドベリ『ハロウィーンがやってきた』(晶文社)

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ハロウィーンがやってきた (ベスト版 文学のおくりもの)

あらすじ

 トム・スケルトンたちは例年のようにハロウィーンを楽しみにしていた。しかし、その年のハロウィーンは違っていた。ピップことピプキンがいないのだ。家へ行ってみると、どうやら腹痛らしい。遅れるだろうが行くと言うので、待ち合わせ場所に。しかし、マウンドシュラウドと名乗る男が現れて……。

はじめに

 レイ・ブラッドベリの小説は好きで、踏破しようと考えています。ハロウィーンの時期だったので『ハロウィーンがやってきた』を読みました。
 彼の作品とは大学生の時に出会ったと記憶しています。「華氏四五一度」と「火星年代記」が世界SF全集に収録されていました。しかし、当時は(今もですが)、アイザック・アシモフやアーサー・C・クラークなどのハードSFが大好き。推理小説も好きだったので「黒後家蜘蛛の会」シリーズの延長で『鋼鉄都市』、『われはロボット』などを読みました。それからフィリップ・K・ディックも。
 しかし、つい最近、ブラッドベリの魅力に気が付きました。文芸同人誌『TEN』の参考に『メランコリイの妙薬』を読んで、その表現に惹かれたのです。 

異化

 ブラッドベリの抒情性に気が付いたのは、詩を読むようになってから。詩は異化作用によって成立します。異化とは、「慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法」であり、その際に修辞技法が重要となります。そして、比喩もこの修辞技法に含まれているのです。
 例えばピプキンがいないと、「くさったカボチャと火の消えたロウソクみたいなハロウィーン」だと表現しています。これも異化の例。単につまらない、退屈な、味気ないなどのありきたりな言葉では表現しきれなくなった時、修辞技法を使って、より適格に心情を現そうとするのです。もちろん、心は他者の目に見えない以上、どこまで行っても言葉と同じになりません。できるだけ近づけようとした時にはいわゆる「詩」となるのです。
 異化の対義語を自動化と呼ぶのですが、別に難しく考える必要はありません。最初は斬新な表現に満ちていても回数を重ねるにつれ、馴れてしまいますが、これを自動化と呼びます。具体例を挙げれば、自由律俳句。種田山頭火が自由律俳句を作ったころは、斬新だったのでしょうが、今ではごく普通に受け入れられています。
 これは言葉そのものについても同じです。異化の提唱者、シクロフスキーは「言葉の復活」の中で下記の通り述べています。
たとえば、「月」(месяц メーシャツ)、この語の原義は「計測器」(меритель メリーチェリ)であった。「悲哀」(горе ゴーレ)、「悲しみ」(печаль ペチャーリ)の原義は、「じりじり燃えて(жжет ジジョート)、ひりひり焼ける痛み(парит パーリト)」。
 ロシア語は解らないので、英語の例を一つ。例えばconsiderの原義は占星術に由来しています。このように言葉の起源を探るだけでも異化は起きるのです。
 言葉は言うまでもなく概念と結びついています。そしてブラッドベリはどこまで意識していたか定かではありませんが、ハロウィーンの起源から異化を図ろうとしているように思います。今でこそハロウィーンは仮装大会の感が否めませんが、もともとは『ハロウィーンがやってきた』で述べている通り、ケルトの祭り。先祖の魂が人間界へ来るのですが、その時、魔女や悪霊なども訪れます。その時、子供たちも霊界へと引きずり込んでしまうので、仮装して仲間だと思わせました。
 この代表的な伝承が神かくしです。神かくしの伝承は日本だけではありません。アイルランドの詩人、イエイツは神かくしを題材に「さらわれた子供」を詠んでいます*1。もちろん現実的に考えれば、子供の死亡率が高かったので、その呪術的な意味合いも含まれていたのでしょう。日本でも七五三などは子供の健やかな成長を神仏に祈念したことが由来です。つまり、七五三にしろハロウィーンにしろ、死と隣り合わせだったからだと言えましょう。
 そして『ハロウィンがやってきた』において、読者にハロウィンの起源とともに、子供は常に死と隣り合わせだと意識させているのです。これは最終章でピプキンについてトムが「九時に盲腸を切ったんだ!! もうちょっとおくれたら、あぶなかったんだってさ!」と述べていることからも伺えます。
 そして子供だけではなく、大人もいつ死ぬか解りません。癌などの病気などはもちろん、交通事故に遭う可能性は充分にあり得ましょう。そのような面で、『ハロウィーンがやってきた』は普遍性を持っているのです。

歴史旅行

 さて、ピプキンたちはマウンドシュラウドとともに古代エジプトに始まり、ローマ帝国、キリスト教などを見て回ります。この時、歴史を通して、負の側面が描かれています。歴史的事実としてローマ帝国はケルト人や彼らの宗教的指導者*2、ドルイドを殺しました。ケルト人たちはオークを神聖視していたのですが、61年にローマの将軍、「ガイウス・スエトニウス・パウリヌスはローマ軍に対しブリテンのアングルシーにあるケルト族のドルイドの要塞を破壊し、ドルイディック・カレッジと神聖な森の略奪を命じた」*3のです。その様子を『ハロウィーンがやってきた』でも取り上げています。
 谷をぬけ、丘をこえ、かけ足で進む武装した一団。ローマの軍陽だ。先頭をゆく陽長が叫んでいる──
「ローマ兵よ! 異教徒を殺せ! 邪教を滅ぼせ! セウトニウスが命じる!」
「セウトニウスばんざい!」
 兵たちの剣や斧が、ドルイドの聖なる木、オークの根もとにふりおろされた。
 またそのローマ人もキリスト教徒から「逃げまわる番」にるのです。その様子を〈語り手〉は下記の通り描写しています。
 ヨーロッパ中に、数知れぬ火が燃えていた。どこの十字路でも、どこの干し草の山でも黒い人かげが猫のように炎の上をとびこえている。(中略)のろいの言葉をはく老婆。
 しかし、ブラッドベリは魔女を「悪魔をよびだせ」もできなければ、「ホウキで空を飛ぶこと」もできなければ、「人形にピンを刺して人を殺すこと」もできないと極めて常識的な判断を下しているのです。
 少なくともマウンドシュトラウドはWitchとwitを結び付けています。この語源の正否を判断するには知識不足なのですが、少なくとも科学史の立場から言えば、ギリシア・ローマはもちろん、イスラムなどの異教徒たちが科学的・数学的な知識をヨーロッパに伝えたのは事実です*4。例えば練金術は化学の前身ですが、英語ではAlchemyと言います。このAlはアラビア語の定冠詞で、この他、アルカリ、アルジェブラ(代数学)、アルゴリズム(計算手順)などが示す通り、科学用語・数学用語にも現れているのです。
 マウンドシュトラウドの言う通り、「頭のいいもの、才知があるもののなかには魔術を使うふりをしたり、幽霊や歩く死体との交流を夢見たりするものもいた」かどうかは解りませんが、科学的な知識が災いし、魔術だと誤解を受けていました。例えば古代ギリシアの哲学者、タレスは日蝕を予言したと記されています*5。これは天文学の教養がなければ見たら魔法を使ったと思っても不思議ではありません。
 このような誤解が社会的な不安と結びつき、魔女狩りに発展していったのではないかと僕は考えています。いずれにせよ、下記の通り無実の人を魔女にしたてあげたと、ブラッドベリは考えています。
魔女たちは寝床で夜風を感じ
悪魔や死者とおどったか?
いや、ちがう! それは人々がかってにいいふらし
無実の人をがむしゃらに
“魔女”にしたてたまでのこと!
そのために赤子やおとめや年寄りが
どれほど火あぶりにされたことだろう。
 そして、これは、「イギリス海峡から地中海まで全土で広がり」、「おそろしい騒ぎのなかった村はない」と述べているのです。これはキリスト教徒の反省からなのでしょうか、南部の作家でないからできたのかもしれません。今は少し改善されつつありますが、アメリカ南部は保守的な人が多く、この考えは政治思想だけでなく宗教でも反映されています*6。
 ブラッドベリの批判は宗教的な熱狂の魔女狩りだけではありません。「ヨーロッパの雲は、魔女たちをやく煙/審判をくだしたものまでもが/ときにはしばられ、やきころされた」とされ、その理由について「おもしろいから!」としているのです。つまり、人間の残虐性をここで暴露していると解釈しました。
 人間は残虐な面だけではないとレイ・ブラッドベリは語っているように思います。それがピプキンのために寿命を差し出す場面。もちろん、人間の二面性を表現しているのでしょうが、少年たちは人間の暗部を知った上で、なおも自分たちを信じていると言えましょう。少年たちの成長を描いているのですが、成長とは負の側面も知った上で、肯定的に捉えることなのかもしれません。

*1 W. B. イエイツ『対訳 イエイツ詩集』(岩波書店)
*2 レイ・ブラッドベリは宗教そのものとして捉えているようであるが、正しくは聖職者である(日本大百科全書「ドルイド」より)
*3 Wikipedia「虐殺事件の一覧
*4 アイザック・アシモフ『化学の歴史』(筑摩書房)
*5 ヘロドトス『歴史(上)』(岩波書店)
*6 Wikipedia「アメリカ合衆国の保守主義


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大岡信『自選 大岡信詩集』(岩波書店)

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自選 大岡信詩集 (岩波文庫)

概要

 自意識の問題からシュールレアリスム、そして伝統や郷土の問題……。これらを巧みに大岡信は詩で現した。十五才の習作から戦争を経験し、最晩年の詩まで時系列に収録。
 詩の変遷とともに大岡信の内面の移り変わりも反映していると言えよう。

はじめに

 文学の基本は詩だと僕は思っていて、日本の詩をずっと読んでます。もちろん、詩の勉強・文学の勉強だけなら、外国の詩でも別に構いませんし、ボードレールやポオなどが好きなので、それらを読めば楽しめるのでしょう。しかし、外国の詩を本当に読もうと思うなら、どうしても外国語の教養が欠かせません。また、母国語の詩でないと勉強にならないと考え、日本の詩にしています。ある程度、読んだら、ホフマンスタールやエズラ・パウンドなど海外の詩にも挑戦していきたいのですが、その時も日本の詩の知識が活きてくると思います。堀口大學、三好達治などは海外の詩を評しながら、詩を書いてきました。大岡信もフランス詩の影響を受けています。特に明治以降は、このように詩の翻訳、そして論評を通して、西洋の文学を受容してきたので少なからず関わりがあるのです。

心象風景

 さて、最初は『水底吹笛』からの詩が収録されているのですが、「一九四六年−一九五六年」と書いてあります。大岡信は一九三一年生まれなので、当時十五才。自意識の芽生えは詩の中にも現れています。

「懸崖」

 例えば「懸崖」。
 ひとたびは愛することのきびしさを教え、ふたたびは愛されむとする醜さを与へたひとよ。宿命を思ひのままに悲しめと、わたしの周囲に懸崖をきづいたひとよ。その悲しみも空のむかうの空にしか映えなくなれば、もはやわたしに哭くすべもない
 ここには書いていませんが、「ふたたびは愛されむとする醜さ」などの詩句から恋愛を詠んでいると解釈できましょう。しかしこの恋は実らなかったようで、この悲しみが「宿命を思ひのままに悲しめ」に現れています。そうだとすれば、この「懸崖」とは、現実が高くそびえていることを示しているのでしょう。続く第二連では下記の詩句です。
蒼古の樹林を縫ひながら、黙々と懸崖をくだつてくるものの影。懸崖をのぼつてゆくものの影。かれらはやつてくる、やつてくる、谷底をなほもゑぐるために、狭めるために、黒い冷い土に挟んで、つまり私を埋めるために。そして私は心の中に、苔むす岩のひえびえとした洞穴をみる。
 ここで〈語り手〉の心は「蒼古の樹林を縫」うようにさまよっていると解ります。失恋すると、表現はともかく気持ちが暗く沈みます。「ゑぐ」られるのは詩の中でこそ谷底ですが、〈語り手〉の心なのかもしれません。このような心境の極地が「苔むす岩のひえびえとした洞穴」なのです。しかし、第三連では少し明るさを取り戻したようで下記の通り、綴っています。
意志からの、かくもはげしい落魄のなかで、私は不意に眩暈を感じ、見つめかねる、懸崖の彼方、そのひとのくにに、さんさんと輝くものは、太陽の光であるか、あるひはまたそこにもあつた暗く深い谷の上に崇高な仮面を被せる雪であるかを。
 このような状態を「意志からの(中略)落魄」、つまり意志から落ちぶれていると評しています。意志は「目的や計画を選択し、それを実現しようとする精神の働き」ですから、失意のうちに堕落していると言えましょう。この後、詩の〈語り手〉は「眩暈を感じ」るのですが、心象風景である以上、文字通りに受け取る必要はありません。その堕落ぶりを自覚したときの心境が眩暈に似ていたからだとも解釈できましょう。もちろん、失恋の堕落から脱した後、一気に晴れるかもしれませんし、脱出したように見えてもその後、心の疼きを感じるかもしれません。その疼きを「崇高な仮面を被せる雪」に喩えていると言えるのです。

「寧日」

 失恋したと考えれば「寧日」も告白をテーマに詠んだと解釈できましょう。第一連は下記の通りです。
恐れることはない。恐れることはない。陽はぬくぬくと照つてゐる。並木の緑を溶かしこんで、舗道はきらきら上気してゐる。その気になれば五月の微風が眼の前でうごめいてるのも見えるだらう。恐れることはない。恐れることはない。靴音はたしかなリズムでうつてゐる。だれもお前を笑つてはゐない……
 内心で何かに恐れていなかったら、「恐れることはない」などと言うはずがありません。繰り返せば繰り返すほど恐れていると解ります。問題は恐れの対象。「だれもお前を笑つてはゐない」と語っている通り、自意識からくる視線への恐怖だと、最初は解釈しました。周囲の人間からどう見られているのか気にしていると解釈したのです。そのように解釈すれば「別離」とは、子供の遊び、感情からの別離。例えば大声で泣くなど、以前は周囲の目を気にせず行なっていたのに、恥ずかしくてできなくなっていると気付いた瞬間は、誰もがあるでしょう。しかし、そのような記憶は紛れもなく貴重で輝いています。つまりこの文脈に於いて、「ふたりのひとの別れる姿」とは子供時代との決別を意味しているのです。
 この解釈の難点として下記の詩句が上手く説明できません。
それはお前の胸のうちに、純金のやうな記憶ばかり残してゆく。重いけれども輝いてゐる。輝くけれどもやつぱり重い。
 確かに泣くなどはつらい記憶があるからでしょうが、重いと形容するには大袈裟な印象がありました。しかし、失恋だと解釈すれば、この詩句は納得できます。その場合、自意識には違いないのですが、周囲の人間など抽象的な存在ではなくなります。意中の人からどう思われているかの具体的な存在、個別的な存在だと言えましょう。もちろん、どちらか一方ではなく、コントラストの問題に過ぎません。
 しかし、失恋を詠んだと解釈した場合には、それぞれの詩句がどのタイミングで語られたかが問題となってきます。
恐れることはない。恐れることはない。陽はぬくぬくと照つてゐる。並木の緑を溶かしこんで、舗道はきらきら上気してゐる。その気になれば五月の微風が眼の前でうごめいてるのも見えるだらう。恐れることはない。恐れることはない。靴音はたしかなリズムでうつてゐる。だれもお前を笑つてはゐない……
 ここまでは明らかに告白直前で、「お前は支へを失つた」とあるのは失恋直後なのは解ります。問題は最終連です。
恐れることはない。恐れることはない。お前の心に今日の空を流すがいい。この寧日の水色の空を。
 何を〈語り手〉は「恐れている」のかが解りません。失恋の後なので、失恋ではないと解ります。「誰もお前を笑ひはしない」と言っている以上、嘲笑などを恐れているのですが、僕の中では失恋と結び付かないのです。確かに高校時代、意中の後輩に告白して振られた時は、ショックを受けましたが、笑われると思いませんでした。
 また、自意識の問題は後になって「美術館へ」の「見ることは見られることと」などの詩句も受け継がれます。

シュールレアリスム

 さて、大岡信はシュールレアリスムに影響を受けて、詩をいくつか書いています。シュールレアリスムではフロイトの理論を使って無意識の世界を表現しています*1。

「お前の沼を」

 その試みの一つが「お前の沼を」です。下記の通り、句読点が全く使われていません。
お前の沼を夏の夜の輝く葡萄の房でかこもう夜光虫の群れる城壁のへりを斜めにみおろしお前を高く支えよう事件はつね垂直に地表を走ってくる生きるひとは体を倒してその殺到に加速度を与えるだろうしかしお前の差しのばす手の沖合で一本の車軸がきしみながら回転するときぼくは椅子に坐って眺める風景が恐ろしいほど凝固しているのを見る
 意識は途切れることはありません。一般に句読点が使われていないと、意識の流れを表現していると見なされます*2。文章に句読点が使われてないだけでなく、文章そのものが続いてなければいけません。しかし、「お前の沼を」を見る限り、普通の文章から句読点を取り去っただけです。単なる勘違いからなのか、何か意図があったのかは定かではありません。しかし、効果の面を考えると、一文そのものが長くないので、意味のまとまりはすぐに入ってくることでしょう。一方、句読点がないので、単なる文字の羅列として認識してしまいます。相反する二つの要素を混在させていると言えるのかもしれません。三浦雅士によれば大岡信は「日本の昭和初年代のシュルレアリスムの浅薄な流行を批判」*3していたそうです。「お前の沼を」では意識の流れの文体を参考にしながら、新しい美の形を追求していたのかもしれません。

 またフロイトは睡眠中の夢に無意識の願望が現れていると考え、非常に重要視しました。フロイトの著作は患者からのカウンセリングを記録し、それを元に分析しているのですが、夢を患者から聴いています。
 シュールレアリスムの芸術理論もフロイトの思想をもとに作られているため、夢の光景をそのまま描くなど夢を非常に重要視しています。大岡信の詩も確かに「夢の散歩」などは夢を題材にとっているものの、むしろ心象風景に近い印象を受けました。
灰いろの舗道のうへに霧はながれ
たちならぶいてふの幹にたはむれながら──
そのあさ 私はひそかに舗道を行つた
霧のさそひに紛れいでて
 第二連でも「遥かに みちひたひたと霧にまじはり/私のからだはあとをひいてながれていつた」、第三連でも「かはたれの舗道のうへに霧はながれ」などと夢にしては現実的です。しかし霧を心の迷いを現しているとすれば、現実的である理由も納得できましょう。また、「うたのように 3」は「十六歳の夢の中で、私は自由に溶けていた」ともある通り、また「小麦色した動物たちは、私の牧場で虹を渡る稽古をつづけた」ともあるように、この詩集の中ではシュールレアリスムに近いように感じました。どこかシャガールの絵も彷彿とさせます。
 夢について大岡信がどう捉えていたか、「夢みる」に現れています。
いちばんわけがわからないのは、
夢から醒めるまぎはの岸辺だ。
ぼくはそのとき 「夢の人生」の側にゐるのか。
「覚めた人生」の側にゐるのか。
 シュールレアリスムなら、夢は無意識の現れだと言うのですが、大岡信は別の人生を行き来していると考えているようです。そしてさらに「人は夢と別れる時、/空間と見えて じつは時間にほかならぬ/深い拡がり、狭い深みの、隙間に落ちこみ、/いやいやをしながら浮かびあがつてくるのだ」と続けています。僕な空間だと思ったことがないのですが、例えば夢の中で居酒屋にいたとしても、目が覚めると一瞬でベッドへ移動します。しかも微睡みは気持ちがいいので「いやいやをしながら」と書いてあるのも了解可能です。
 最終連で微睡みの瞬間を「エロスとも/デーモンとも呼ばれる、龍巻き状の渦のひろがり」と評しています。デーモンとは「悪魔」と訳されますが、神々と人間の中間的な存在*4で、霊的な概念。つまり、大岡信はフロイトとは異なり、「科学」の対象とは見ず、むしろ、超自然的な概念だと考えているのかもしれません。

伝統

 これは日本古来の考えだとも言えます。「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞきる」と小野小町も読んでいる通り、夢には呪術的な要素がありました。今も夢占いなどが流行していますが、昔ならなおのこと呪術的な要素が強かったと言えましょう。
 さて、大岡信の詩は伝統的な価値観の上に成り立っていると解ります。例えば「神の誕降」では「日本の神が/日本中の川づらを/かうして渡つてゆくときがきた」とある通り、八百万の神々を描いています。この詩での神は山や河などの自然だけではありません。「もう何千回/うたひ飽きて/うららかかな神となつた」とある通り自然への「うた」も含んでいるのです。詩にしろ歌にしろ、感情の発露である以上、自然への感情も含めて、大岡信は「自然」だと捉えているのかもしれません。
 そしてこの自然観は地域性が強いはずなのに、グローバルな観点を持っていると「黙府」からも伺えましょう。「樹木の寿命はおどろくべき長さに達する」と一般論から開始していますが、カナリア諸景やアフリカ産バオバブなどの例を挙げなているのです。ここには自然への畏敬とともに樹木への信仰が見て取れますが、この信仰心こそ地域はもちろん時代を越えていると言えましょう。

*1 Wikipedia「シュルレアリスム
*2 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』などが挙げられる。(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』)
*3 三浦 雅士「国民的詩人・大岡信の超早熟っぷりにあらためて驚嘆する」(現代ビジネス)
*4 研究社 新英和中辞典「demon



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フランシス・マクドナルド・コーンフォード『ソクラテス以前以後』(岩波書店)

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ソクラテス以前以後 (岩波文庫 青 683-1)

概要

 ソクラテスは対話を重んじ、「無知の知」を説いた。これが教科書通りの解釈である。もちろんこれも間違いではない。しかしソクラテスの思想革命はそれだけにとどまらないとイギリスの文献学者、コーンフォードはこの講演で指摘する。自然の起源、万物の根源から人生へと哲学は関心を転換していったのである。

はじめに

 最近、哲学関係の勉強が疎かになっている気がして、図書館から借りてきました。一応、スティーヴン・グリーンブラット『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房)も哲学の本と言えなくもないのですが、思想史のような印象。そういう目で見ると、ジョン・デューイ『経験としての芸術』(晃洋書房)以来だと解ります。こういうわけで、ウォーミングアップをしようと考えました。
 比較的、厚くない上に、ギリシア哲学は「西洋のすべての哲学は、プラトン哲学への脚注にすぎない」とイギリス人哲学者のホワイトヘッドが述べている通り、ギリシア哲学は西洋文明を形作りました。その上、僕はソクラテス以前の哲学者に興味がありましたが、この本ではあまり分量が割かれておらず、ちょっと残念でした。

ソクラテス以前

 一般的に言って、ある出来事で物事でどう変化したかを説明するとき、それ以前はどうだったのかを述べないと、なかなか解りません。例えばフランス革命は、それまで絶対君主制から市民による民主制へと移りましたが、これは絶対君主制と民主制の対比でより変化が浮き彫りとなります。
 これはもちろん哲学史でも同じで、ソクラテスが哲学をどう変わったかを論じるには彼以前の哲学がどうだったかを説明しないと解らないのです。コーンフォードの関心は「外的自然の研究から人間の研究および、人間的行為の研究へと哲学を転回させたか」ですから、まずイオニア派の哲学を述べているのです。
 ソクラテス以前はトルコのイオニア地方で自然哲学が発展しました*1。当時はエジプト、バビロニアが学問の中心地だったため、隣国のトルコが必然的に知識が蓄積・発展していったのです。少なくともタレスに限って言えば、エジプトに行ってピラミッドの高さを計算していますし*2、バビロニアの天文学を知っていたと示唆されています*3。古代原子論の提唱者、デモクリトスもまた、エジプトやインドに旅行して知識を仕入れました*4。
 しかしイオニア学派たちの関心事はあくまでも自然の成立、万物の根源についてでした。例えばタレスは万物の根源を水だと考えました。またエンペドクレスは火、アナクシメネスは風だとしました。コーンフォードは述べていませんが、ソクラテス以前はイオニア派だけではなく、エレア派も南イタリアで発展していました。パルメニデスは「有」と「無」の二つで世界は成り立っていると考え、イオニア派よりも抽象的になったとはいえ、まだ万物の根源を考えていたのです*5。
 自然を制御したかったからなのではないか、と僕は考えているのですが、いずれにせよソクラテスは「自分の知恵が増していたように」感じませんでした。そんな折、アナクサゴラスの書物が朗読されます。
 アナクサゴラスはイオニアからアテナイに移住していました。これによりアテナイを中心にギリシア哲学が発展していくのですが、知性・理性が万物を秩序付けていると考えます。ここでソクラテス、そしてコーンフォードにとって重要な転換期になります。
 ソクラテス、はアナクサゴラスがこの世界秩序を盲目的な機械法必然の結果ではなく、意図的計画の所産たして説明するの見出せるだろうと期待した。その場合、そういった秩序の説明・理由づけは、その秩序がそこから生起してきた何か時間的に先行する事物の状態においてではなく、その秩序がそれに役立っていることが示されうるような何らかの終極目的において見出されるだろう。
 つまりソクラテスの疑問は世界がどうして誕生したかではなく、人間は何のために生きるかでした。この機械論と目的論との関係はアリストテレスを経て、キリスト教世界に入ります*6。世界には神の意図が現れていると考えたのです。そして、科学革命を経て、また機械論へと戻ってきました*7。
 コーンフォードの講演は一九三二年ですから、もちろん機械論的な説明。機械論的な世界の説明だと何のために生きているのかの回答は与えません。しかし、何のために生きているのかは考えざるを得ないのです。1929年、ウォール街で株価が大暴落して、世界恐慌に陥ると、特に生きる意味を見失ないがち。この講演はそのような世界情勢が現れているのかもしれません。

ソクラテス

 さて、ソクラテスは「汝自身を知れ」と神託を受け、哲学を広めていったのですが、ここにおいて一つの問題が発生します。ソクラテス自身は書物を全く書き残しておらず、プラトンとクセノフォンの記録に任せる他ない点です。他の哲学者なら現存していない可能性も考えられますが、ソクラテスは対話こそが知識を深める手段として考えていたようです。この記録こそプラトンの対話篇なのですが、文字を使うと記憶しようとしなくなるため*8、書物を残さなかったのでしょう。
 文字を批判しているのに、プラトンが文字として書き残しているのはなんとも皮肉な話ですが、対話篇には『饗宴』などプラトンの創作も含まれており、一筋縄ではいきません。したがって、コーンフォードま下記の通り記しています
 クセノポンの報告を信用してよいのならソクラテスは当時行なわれていた自然についての思索を二つの理由から拒否した。それは独断的であり、そして役に立たないというのである。
 しかし、コーンフォードの目的は20世紀の社会批判だと考えた時に、このような文献学上の問題は気になりません。当時の科学的な知識へ疑問を投げかけているのだとも解釈できるのです。そのように考えると、どうして「ソクラテス以前のイオニア自然学」でデモクリトスを取り上げたのかも納得ができましょう。もちろん、デモクリトスの時代に科学的な意味での原子はありません。したがって古代原子論の「原子」とはあくまでも観念的な存在です。以下、混同を防ぐため古代原子論の原子を「アトム」、現代物理学の原子を「原子」とよびます。
 一つの物質を細かく刻んでいっても見えなくなるかもしれませんが、存在そのものはなくなると思えません。またアトムがない場所もあります。そのような場所を「ケノン」と呼びました*9。このようにデモクリトスたち古代原子論者はアトムとケノンの組み合わせで全て世界が成立していると考えたのです。このような考えはデモクリトスを越え、原子物理学にも受けつがれるのですが、コーンフォードは単に科学史・思想史以上の関心を寄せているように感じました。
 例えば、古代の原子論者たちが魂について説明を求められると、魂もまたアトムから成り立っていると(当然)、答えます。そして自然哲学は「精神界というものが間違った仕方で考えられていたということではなくて、そんなものは存在しない」と結論づけます。しかし、感情も思考も全てアトムのせいだと説明されても、ほとんどの人は実感が沸きません。
 ソクラテス哲学は「このような唯物論的動向に対する反抗」だとしているのですが、この「唯物論的動向」はそっくりそのままコーンフォードたちの二十世紀にも当てはまります。アインシュタインを筆頭に、ラザフォードやボーア……次々と原子物理学上の発見がありました*10。そして我々の時代にも当てはまるのです。

ソクラテス以後

 下記の段落はアリストテレスの運動論の要約ですが、アインシュタインの影響が伺えましょう。
存在する事物のうち、第一のものは実体である。したがってもし実体が可滅的であるなら、あらゆる事物が可滅的である。しかるに時間と変化は可滅的>ではない。それらが存在し始めたというのも、存在しなくなるというのも不可能である。ところで連続的かつ永続的でありうる唯一の変化は円運動である。そこである永遠的な円運動が存在しなければならない。そしてそのような動きを維持するためにはある永遠的な実体がなければならず、その本質は能力ではなく現実活動であり、それゆえ、純粋で質料をもたない形相である
 一読して判るように、時間と変化、運動について述べています。そして、一九○五年にアインシュタインは特殊相対性理論で時間と空間の関係について*11、一九一五年に一般相対性理論でさらに重力を含めての関係性を導きました*12。重力は落下運動の一種なので、運動ともつながっています。
 少なくともベルクソンは『持続と同時性』*13でアインシュタインの相対性理論に言及しながら時間とは何かを考えました。この著作などで内面の時間を「持続」と呼んでいます*14。そして、コーンフォードは「汝自身を知れ」に内面的な探求を見出しているのです。
 もちろん偶然の一致かもしれませんが、当時の物理学や哲学の著作の間に共通点があるのは事実です。コーンフォードはアリストテレスの倫理学を援用しながら「人間の終極目的はわれわれの自然本性に本来的に備わっている最高の機能を行使することである」と結論付けています。当時はファシズムが当時、第二党に台頭していましたし、ムッソリーニがローマへ進軍していました。この批判の意味もあったのでしょう。
 しかし、イオニア派との違いを述べるとしたら、彼らが外的な自然との関わりだけに注目していたのに対し、アリストテレスは人間と自然の関係について述べていったと話を持っていくのかと思ってました。もちろん天体の運動など自然哲学では人間と自然はあまり論じていませんが*15、アリストテレスが変化とは何かに関心を寄せていたことは『アテナイ人の国政』*16で政治体制がどう変化していったかを述べているように明らかです。天体の運動もそのような変化の一つの事例として見るべきだと僕は思います。そのように考えていくと、アリストテレスは自然や社会の変化と人間の関係を論じていたと言えるのです。

*1 Wikipedia「イオニア学派
*2 Wikipedia「タレス
*3 同上。
*4 Wikipedia「デモクリトス
*5 Wikipedia「パルメニデス
*6 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*7 菅野礼司「IV.機械論的自然観」(『物理教育』第45巻第2号)
*8 プラトン『パイドロス』(岩波文庫)
*9 Wikipedia「デモクリトス
*10 Wikipedia「原子・亜原子物理学の年表
*11 Wikipedia「特殊相対性理論
*12 Wikipedia「一般相対性理論
*13 アンリ・ベルクソン「持続と同時性」『ベルグソン全集〈第3〉笑い・持続と同時性』(白水社)
*14 Wikipedia「持続
*15 アリストテレス『天について』(‎京都大学学術出版会)
*16 アリストテレス『アテナイ人の国政』(岩波書店)



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ルキアノス『本当の話』(筑摩書房)

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本当の話―ルキアノス短篇集 (ちくま文庫)

概要

 冒険心に駆られて〈私〉は大西洋の端を目指していた。しかしつむじ風に巻き上げられ、空へ飛ばされる。一週間、空をさまよった後、月へと到着。しかし金星の支配権を巡って月と太陽は開戦を目前に控えていた。巨大な蚤に跨り手にはアスパラガスの槍。辛子大根を遠くから投げ付け……。「本当の話」は、SFで馴染み深い月旅行の原型である。この他、諷刺文学、九篇を収録。

はじめに

 僕は文芸同人誌『TEN』に一万字程度の短編小説を書いています。その参考に図書館から借りてきました。もう書き始めて、約七割ほど書いたのですが、そのまま返すのももったいないので読むことに。実は前々から『本当の話』は本当の話は前々から気になっていました。「イカロメニッポス」と並んで、史上最古のSFと言われているらしいからです*1。ちなみに「イカロメニッポス」ですが、「空を飛ぶメニッポス」として訳してるようです*2。翻訳者はローマ文学の第一人者、呉茂一とギリシア文学の第一人者の高津春繁が訳しています。
 今でこそ哲学書や純文学を中心を読んでいるのですが、大学二年生まで、SFと推理小説が中心でした。これもルキアノスを読んだ理由の一つ。古代ローマ・ギリシア世界とSFとのつながりが見えた気がしました。舞台、テーマなど作品同士の共通点を知った上で読まないと、どんな作品か僕は頭に入りにくいのです。

SFの原型

 表題作「本当の話」は月へ旅行へ出くのですが、この素材で最初に浮かんだ古典SF小説は、ジュール・ヴェルヌの『月世界へ行く』*3でした。それからウェルズの『月世界旅行』*4も。ただヴェルヌは大砲で飛ばすなど(一応の)科学的な考証をしていますが、ウェルズは反重力装置を使い、空想的。そして、月の世界をディストピアにしているのです。この二作品は月への旅行で何を書きたかったかが関わっているといえましょう。
 ルキアノスの頃は科学的知識が現代ほど発達していないにしても、イカロスの神話は当時の技術でどうして空を飛んだかが(一応)、描かれています。そして、「空を飛ぶメニッポス」でイカロスの神話に言及している通り、当時の知識でどのようにして月へ行けるかより、社会諷刺を目的と書かれているのです。
 つむじ風で語り手の〈私〉は偶然、飛ばされますが、そこで戦争に巻き込まれます。月の軍勢は下進のように描写されています。
 粟投げ族やにんにく戦士の軍が陣を取った。(中略)蚤弓隊と風走隊〔の援軍〕をもたらした。このうち蚤弓隊というのは巨大な蚤へ馬のようにまたがった部隊で(中略)蚤の大きさというのが象十二頭分もあった。
 一方、太陽の軍勢は下記の通り描写されています。
 右翼に配置されたのは天虻隊で、’(中略)一同巨大な虻にまたがった弓射隊であった。この部隊のつぎにいるのが天手踊部隊というので(中略)遠方からとても大きな辛子大根を投げつける仕掛けで、これに当たった者は、たちまちにして(中略)死んでしまうというわけである。かれらにつづいて陣取ったのは茎茸隊で(中略)その名称の由来は茸で出来た楯を用い、またアスパラガスの茎を使うことからおこったものだそうだ。
 この辺りは現代の小説からすると典型的な「説明」となっていますが、時代も国も違うので、一概に当てはめることはできません。いずれにせよ喜劇的に描かれているのですが、笑いを生み出すメカニズムの一つとして、大真面目なことをバカバカしく書く、逆にバカバカしいことを大真面目に書くなどの落差があります。そのような観点で上の文章を読んでみると、まず、読者の視点では作中の人物が大真面目に戦っていると解りますが、「辛子大根」などで戦っているので喜劇として成立しています。辛子大根などの武器で戦うようにしたのはもちろんルキアノス。つまりもちろんルキアノスは意図的に「本当の話」を喜劇として描いていると解ります。
 一見、自明だと思うかもしれませんが、このように考えると、題名の奇妙さ浮き彫りになります。つまり、もし、ルキアノスの立場からすると、「本当の話」は嘘の話ですし、そもそも登場人物の「私」ですら「いっそうのこと捏造に取りかかろうとした次第」、「読む方々はこの物語を信じてくださらぬようお願い申し上げる次第である」と断わっている以上、「本当の話」ではありません。
 しかし、やはり「本当の話」です。解説はこの点について、「アレクサンドレイア時代からローマ帝政初期にかけて著された(中略)奇々怪々な旅行譚に義憤を感じ、それらの上を越すパロディを書いてやろうと作りあげた」と記しています。
 もし、当時の出版業界のパロディだと考えると、どうして戦争の描写を滑稽に書いたかが説明できません。一方、第六次パルティア戦争、マルコマンニ戦争などの戦争が160年代には起きており、それを意識したとも解釈できます。やや時代は遡りますが、特に第四次マケドニア戦争との共通点も見られます*5。
 第三次マケドニア戦争(紀元前168年)の結果、アンティゴノス朝が支配するマケドニア王国は消滅し、マケドニアは分割され4つの自治領から構成されることとなった。
 それから約20年後の紀元前149年にアンティゴノス朝最後の王ペルセウスの子ピリップスと称したアンドリスコスがマケドニア王を名乗り、ローマからの自立を宣言した。開戦直後は幾つかの成功を収めたが、紀元前148年に入ってローマから派遣されたクィントゥス・カエキリウス・メテッルスがピュドナの戦いでアンドリスコス率いるマケドニア軍を撃破し(中略)た。
 つまり第四次マケドニア戦争の戦況を整理すると、アンティゴノス朝と共和制ローマが、マケドニア王国を巡って対立し、最初は有利に進めていたものの援軍の到着で形成は逆転という流れになりましょう。
 そして「本当の話」もまたこのような戦況をたどるのです。まず、月が一担は優勢になるので、アンティゴノス朝に対応します。太陽は共和制ローマ。金星はマケドニア王国です。「本当の話」では銀河から援軍が到着し、月の軍隊を撃破するのですが第四次マケドニア戦争もまた、援軍の到着で戦況は逆転します。
 このような類似の関係を見ると、「本当の話」だと言えましょう。

哲学者たちへ風刺

 さて、いずれの解釈でも「本当の話」は社会諷刺ですが、ルキアノスの諷刺性は哲学者たちへこそ向けられています。例えば、「哲学諸派の売立て」などは哲学者たちへの諷刺が最も現れています。
 この戯曲はソクラテス、プラトン、アリストテレスなどが競売に掛けられるのですが、買い手との会話が実にコミカルで(ある程度)、学説を踏まえています。例えばピュロンは懐疑主義の祖ですが、下記の会話がなされています。
買い手 (前略)〔ピュロンに向かって〕まず私に言ってくれ。君は何を知ってるか。
ピュロン 何も知らん。
買い手 それはまたどういう意味だ。
ピュロン 全く何一つ存在しないと、私には思われるからだ。
 この結果、ヘルメースが一ムナーという安値を付けるのですが支払いをすませた後、ピュロンに向かって、「おい君はどう言うか、私が君を買ったのか」と問います。「疑わしいね」
 現金を払ったと反論すると、こう答えるのです。「判断を控えている」と。こは紛れもなくピュロン派の判断停止を踏まえています*6。真理に到達できないと彼は考え、一切の判断を留保するように主張しました。
 それからピタゴラス。
ピュタゴラス どういう風に数えるのか。
買い手 一、二、三、四。
ピュタゴラス よいか、お前が四だと考えているのは、それは十であって(中略)我々の誓いなのだ。
 これは恐らく、ピュタゴラス学派が全て有理数の範囲内*7で表せると信じていたことを揶揄したと思います。詳しくは避けますが、三平方の定理を使うと、どうしても無理数が出てきてしまいます。ヒッパソスはこれを証明したのですが、ピュタゴラス学派は有理数の範囲内で信じていたために、殺されたと伝えられています*8。つまりは自説に合うように真理を書き換えたとも言えましょう。そして、その態度がこの戯曲で揶揄されているのです。
 この他、ソクラテスが「形相、つまり存在者の範型だ。君の見る一切の物、地とか、地上の諸物とか、そういった物全部の見えない像が、宇宙の外に存在するのだ」と語るなど、明らかにプラトンと混同しています*9。この他にも別の戯曲でも似たような問題が扱われています。
多くのりっぱな人々のいる前で、神慮に関する議論をした。これがわし〔ゼウス〕の悩みの種なのじゃ。ダーミスめは神々が万象を監督し支配するはおろか、存在さえしないといいおった。いっぽう、りっぱなやつじゃがあのティーモクレースめはわしらの味方をしようとした。
(「悲劇役者ゼウス」)
 このダーミスのモデルはエピクロスかルクレーティウスだと推察しました。しかしモデルは誰か問題でありません。このような発言の裏には、当時のローマが学術的に様々な哲学的な学言が錯綜していたと伺えるのです。エピクロス派以外にストア派などにも言及しています。
 これについて解った上で意図的に曲解したのか、それともルキアノス自身が誤解していたのかはこの戯曲からでは伺えません。しかし、続篇の「漁師」には下記の文章があります。
私〔哲学〕のことを罵ったのではなく、私達〔徳、節制、正義など〕の名前を借りて多くの嫌らしいことをやっている、詐欺師達のことを罵ったのではないか。よく考えて御覧。
 この戯曲では「哲学諸派の売立て」のソクラテスたちがルキアノスを訴えます*10。裁判官役は「哲学」など、概念を擬人化したと思われる人物。再反論もせずに、ルキアノスへ降伏する辺り、物足らないとも感じましたが、ルキアノスは哲学論争を描こうとしたのではありません。
 ルキアノスたちは裁判が終わった後、魚釣りのようにコインで哲学者たちを次々と釣り上げます。そして、タイトルが示している通り、ルキアノスはこの場面を最も書きたかったに違いありません。つまりルキアノスは哲学者たちの素顔を暴露したかったのです。これについては解説で「ソクラテスやその他の哲学者の本当の姿を描こうとしたのではなく、ルキアノスの時代に横行した偽哲学者どもの姿に似せて、戯れに、彼らが名乗る諸学派の代表的な姿を想像して描いて見せた」と測べています。しかし、もし解説の通りだとしたら、再反論などで学説を曲解していると言って然るべきですし、指摘すれば当時の「偽哲学者ども」の化けの皮が剥がれると言えましょう。
 つまり、哲学者たちの描写についてはルキアノス自身が誤解していたと解釈しました。

「遊女たちの対話」

 このようにルキアノスは哲学者、政治家などを諷刺しているのですが、一見すると、「遊女たちの対話」は毒がないように映るかもしれません。最初、読んだ時には、各章のつながりが解らず、混乱してしまいました。もちろん話の内容は解るのですが、「一 グリュケラとターイス」で登場する「ゴルゴナ旦那」はそれ以降、登場せず、ただとりとめもなく恋愛の話しているように映ったのです。
 こういう時は、他人の感想を見て、足がかりを得ます。幸い、昨今はAmazonの他にも読書メーターやブクログなどで他人の感想を読めるようになりました。もしかして、関係なく、本当に会話を書きたかったのではないかと思うように。
 このような目でもう一度、「遊女たちの対話」を頭から読むと、男性を諷刺しているのではないかと考えるようになりました。例えば「一 グリュケラとターイス」ではターイスが下記の発言をしています。
 ゴルゴナのどこがいいのかしら。(中略)あの女は髪がうすくって、額が禿げ上がっているのが見えるはずだものねえ、それに唇は血の気がなくって死人みたいだし(後略)
 これは男性が意中の相手が不細工でも気にならない、と恋愛の心理を諷刺しているものだと解釈しました。さらに極めつけはターイスが「別の人からしぼるさ」と言っている点。
 ここにおいて、男性は女性から金品を搾り取られる構図が伺えましょう。支配/被支配の逆転で、女性蔑視が強いほど、この諷刺は効果的になるのです。

*1 Wikipedia「本当の話」 
*2 「空を飛ぶメニッポス」の原題は「ΙΚΑΡΟΜΕΝΙΠΠΟΣ Η ΥΠΕΡΝΕΦΕΛΟΣ」となっている。「ΙΚΑΡΟΜΕΝΙΠΠΟΣ」のラテン語表記は「IKAROMENIPPOS」となる。
*3 ヴェルヌ『月世界へ行く』(東京創元社)
*4 ウェルズ『月世界旅行』(角川書房)
*5 Wikipedia「第四次マケドニア戦争
*6 精選版 日本国語大辞典 「判断中止
*7 「理詰めなはずの数学でも「信じる」「信じない」によって答えが変わってしまう
*8 サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(新潮社)。
*9 精選版 日本国語大辞典 「イデア」。しかしプラトンの著作はほとんどがソクラテスの言行録である。どこまで。
*10 エンペドクレスが「噴火口に投げ込むがよい」と提案しているなど、この戯曲でも逸話を踏まえている(日本大百科全書「エンペドクレス」)。



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