有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

アリストテレス『天について』(京都大学学術出版局)

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天について (西洋古典叢書)

概要

 アリストテレスは宇宙について、天体の運動についてどう考えていたのだろうか。また彼の哲学体系、特に自然観の中でどのように位置付けられるのだろうか。
 アリストテレスの哲学が中世にキリスト教の世界に入って、第一原因は神と同一視されるようになる。ガリレイは彼の運動論に反論し、乗り越えていく……。

はじめに

 僕は自然科学そのものよりも科学史・自然哲学、科学哲学に興味があります。自然科学ではその知見から、人間について考えません。人間について考えるのは人文科学の領域だからなのですが、分野の棲み分けが嫌いです。特に自然科学に関して言えば、人間から見た自然を記述し、理論を構築しているのですから、つまるところ人間と自然の関係を論じているのです。
 加えて、科学者もまた一人間である以上は、人間とは何かについて一度は考えなければいけません。考える権利があるのではなく、考える義務があるのです。そうしなければ、オッペンハイマーのように原子爆弾を世に生み出しかねません。原子力エネルギーの取り出し方については工学や物理学の範囲ですが、その運用については政治であり、もっと言えば、民主主義である以上はわれわれ一人一人の価値観の体系、つまるところ哲学です。
 一方、自然哲学とは自然法則をもとに人間の生き方を考えていくのですが*1、十七世紀の科学革命で自然科学になります。もちろん、科学者の考えについても研究されているのですが、これは科学史に分類されています。
 加えて科学史は例えばアリストテレスの運動論がガリレオやニュートンに乗り越えられていくなど一つの壮大なロマンを感じずにはいられません。

物体

 まず、物体について「物体とはあらゆる方向へと分割されうるもののことである。大きさのうち一方向へ分割されうるものは線であり、二方向へと分割されうるものは面であり、三方向へ分割されるもの」と定義しています。

三方向について

 例えば数直線は1個しか大きさを持ちません。平面は縦軸と横軸が、そして立体はさらに奥行きが加わります。アリストテレスが物体と言う時、三つ以上に分割されるものが物体であると暗黙のうちに含まれているように思います。もし純粋に三つだとしたら、縦・横・高さのみになってしまうので、時間の要素は含まれません。例えば直方体の氷の三辺が1分後、どのように変化するか、考えられないことになりましょう。
 しかし、「もし有限な線が動いて、無限な線を通過し切るのに要する時間が無限であるとすると、無限な線が有限な線を通過し切るのに要する時間もまた無限でなくてはならない」とある通り、明らかに時間を考慮に入れて、四つに分割しているのです。どうして四つと明言しなかったかは、思想的な背景が語られています。しかし、恐らく当時の幾何学と関係しているのかもしれません。
 まず前提条件は、下記の三つ。
.妊ルトが虚数をnombre imaginaireと呼んだように、少なくとも16世紀まで現実と対応していなければなりませんでした*2。
⊆然数だけでなく分数の必要もあったのではと思います。例えば測量。単位をどんなに定めていても自然数で収まることは稀です。
3櫃瓜擦慮魎綱‖А△弔泙a×bb×aも解っていたに違いありません。
 ものの個数で考えると、a×b×c×d×e×fはa個の物をb列ならべ、さらにc段積み上げる。このような梱包物をd列ならべ、さらにこの梱包物をe段積み上げ、このようなまとまりをf個作った時の総数などとどんどん増やしていけるのですが、これだと自然数にしか対応できません。つまり△両魴錣満たせなくなるのです。さらに素因数分解の一意性がどうなるか怪しくなります。
 ´↓A瓦討両魴錣鯔たすには、2つの因数は面積と考えて、90度回転すれば、a×bb×aになります。3つの場合は体積。しかしこのように考えていくと因数が4つになった場合、現実に対応できなくなります。
 このような理由からアリストテレスは時間の要素を考えていたにも関わらず、3つしか出さなかったのかもしれません。

四元素

 もう一つ物体に関して言えば、四元素が挙げられます。アリストテレス以前の哲学者も万物の根源について色々な思索を巡らせてきました。例えばタレスは水*3、ヘラクレイトスは火*4、アナクシメネス*5は空気、さらにはクセノパネスは土*6だと言いました。さらにエンペドクレスは四つすべてを元素だと主張*7。これがアリストテレスの四元素に通じているのですが、湿乾・熱寒という要素で取りまとめました。火は熱・乾、空気は熱・湿、水は冷・湿、土は冷・乾なので、個々の物質よりも要素の組み合わせで四つになっているのです。
 この四元素には軽重がそれぞれありますが、今日的な科学で重い/軽いという時、質量で考えます。しかし、アリストテレスが軽い/重いというときには自然の状態で向かっていく方向で決まります。例えば水と土は手を放すと、下に向かうので「重い」、火と空気は上に向かうので「軽い」。
 さらにこれに第一質料が加わり、さまざまな物体として姿を見えると考えました*8。つまり「〔元素として〕単純な物体としての火と、普通、日常的に出会っている火とは同じものではない」*9のですが『天について』では全く述べられていません。したがって両者は同じものだと見做したと訳者は述べています*10。

運動

 アリストテレスは天体の運動だけでなく、物体の運動一般について考察しています。ニュートン以降、運動は移動距離と単位時間と質量の関係で考えられました。例えば、摩擦のない状態で、ある500gの物体が4秒間で16m動いたとします。この時の速さは4m。さらに質量は500gなので運動量は2000(g・k/s)となります。
 一方、アリストテレスの運動はもっと幅広く、物質の変化まで含んでいました。物質の変化は今日の化学なのですが、もちろん現代的な意味での原子は分かりません*11。先述の通り、空気、水、火、土を四元素と考え、その変化を考えていました。ここで、同じ要素があると短時間で動く、と理論を立てています。例えば、火が空気になる時、火は熱・乾、空気は熱・湿と熱が同じです。一方、重なっている要素がないので、土か空気を経由しなければ、火は水になりません*12。
 この理論で星の光も下記の通り、説明しています。
熱や光から星が出るのは、星の運動によって空気が摩擦されるからだ。というのは運動は本来、木や石や鉄を発火させるからである。だから空気のように、それらよりも近いものを発火させるのは当然である。しかも空気は火により近いものである。
 このように四元素同士でも、変化できるものとそうでないものとがあります。変化可能な姿を可能態、現実の姿を現実態と呼びます。

円運動と線運動

 さて、アリストテレスは物体の運動を円運動と線運動に分類しています。線運動は終端がありますが、円運動は終端がありません。したがって「火や土も無限に動いて行くのではなく、対立したものへと動いて行くのである」と書いてあるので、物質の変化は線運動。
 一方、天が球である理由について、下記の通り述べています。
神の現実活動は不死、つまり永遠の生命である。したがって、神的なものには永遠の運動がなければならない。(中略)そのゆえに円運動をする物体であり、その物体は自然にしたがって、常に円運動している。
 もちろん現世利益的な神とは限らず、世界を説明するための神かもしれません。しかし終端がない、つまり、永遠であることは了解可能だと言えましょう。そして自然が天ををできるだけ必要最低限の機能で作ったとアリストテレスは考えているようです。
 平面図形はすべて直線的か曲線的かのいずれかである。そして直線図形は多くの線で囲まれているが、曲線図形は一本の線で囲まれている。しかし、それぞれの類において、一は多よりも、また単純なものは合成されたものよりも本性上、先なので、平面図形のうちでは円が第一のものであろう。
 このように実際の観察結果に基づいてるのではなく、思弁的な理由から天は球だと論じています。例えば□よりも△は線が少ない、つまり単純な図形です。そして○は一本の線からなっている以上、円がこの極地だとアリストテレスは考えていました。
 ただ月の大きさが同じなどもう少し、観測結果からの証拠があっても不思議ではないような気がします。もし、アリストテレスの宇宙論でも方形だとしたら月と地球との距離が変わるので、大きさも変わるはずです。月の大きさが同じであるためには、等しい距離でなくてはならず、これを満たす図形は定義上、球しかない、と。

天動説

 このようにアリストテレスは天動説を唱え、それがキリスト教世界に受け入れられていきました。アリストテレスに限らず多くの古代ギリシャ人は自然が全てを作った*13と考えていたのですが、この考えが非常にキリスト教の教義と相性がよかったのです。
 しかし、このような背景を離れても、アリストテレスの地動説はそれなりに根拠がありました。ドームの中にわれわれが住んでいて、天井が回転していると言うのが天動説の考えですが、アリストテレスは二つの考えを提示しています。(a)天井が動かず、星たちが動く、(b)天井に月や星が付着してる。
 しかし(a)については「外にある星〔つまり遠くの星ほど〕速く動き、しかも星たちの速さはそれぞれの円の中で大きさに応じていることになる」ので排除しています。天動説は実に1000年以上に渡って支持されるのですが、単にキリスト教が絶対的な権力を握っていただけではありません。天の法則性と地上に法則性を別に考えれば、アリストテレスの天動説でも充分説明できていました。これに対し、ニュートンが天上と地上とが同じ法則性で、しかもより簡単に説明できると言ったのです*14。
 さらに事情を複雑にしていたのが、自然科学ではなく自然哲学だったこと。つまり、地動説は一つの物理法則だけでなく、それを前提としながら、生命、倫理、そして人間の認識について、幅広く説明しようとしていました。つまり、地動説へ転換しようとした時、天動説と関係している理論体系全てを見直さなければならなかったのです。

世界観

 さてアリストテレスの自然哲学はどのような物だったのでしょう。

生命

 上述の通り、アリストテレスは生命現象と天体を結びつけていました。星たちを生命体だと考えていたのです。
われわれは星たちを行為と生命にあずかるものだと考えなければならない。なぜならそのように考えれば、星たちについて起こる事態が理に反したものとは思われないからである。というのは最善のあり方をするものにとっては、そのものの善さは行為を抜きにしてであるが、それよりも最も近くにあるものにとっては、そのものの善さは僅か一つの行為を通してあり、より遠く隔たったものたちにとっては、多くの行為を通してあるように思われるからである。
 星は何らかの目的で動いていると解釈されていました。そして最短で本来の目的を実現する時に「最善」だと定義しています。
 アリストテレスの特徴は生命として捉えている点だけありません。これは「動物部分論」において際立っているのですが*15、動植物の器官だけでなく目的論の思考で天体も捉えようとしていました。全てを目的論で考えれば、一つの方法論で解釈可能だったからでしょう。

地球球体説

 また、アリストテレスは実際の観測に基づいて、地球球体説を唱えています。
大地は球体であることばかりではなく、その大きさがあまり大きくないことも、星の現われ方を通して明らかである。なぜなら、われわれが南北へ少し移動しただけでも、地平線を成している円ははっきり別のものになり、したがって頭上の星はその位置を変えるし、見えている星も同じではなくなるからである。というのは、ある星はエジプトやキュプロスでは見えるが、北寄りの地方では見えないし、また北の方ではいつも見えている星が、それらの地方では沈んでしまうからだ。
 ご存じ、アリストテレスはアレクサンダー大王の家庭教師。彼は西はエジプトの一部から東はインダス川の手前まで*16、広大な帝国を築きました。このように領土を広げたからか、『動物誌』ではインドなどに住む動物の記述も見られます*17。
 インド、エジプトとともに天文学が昔から非常に発達していました。実際の観測だけではなく、文献などからも知見を得ていたのかもしれません。

*1 Wikipedia「自然哲学
*2 Wikipedia「虚数
*3 Wikipedia「タレス
*4 Wikipedia「ヘラクレイトス
*5 Wikipedia「アナクシメネス
*6 Wikipedia「クセノパネス
*7 Wikipedia「エンペドクレス
*8 Wikipedia「第一質料」。及び池田康男「補注G」(アリストテレス『天について』(京都大学学術出版局)
*9 池田康男「補注G」(アリストテレス『天について』(京都大学学術出版局)
*10 同上。
*11 古代にもデモクリトスが原子論を唱えており、世界の成り立ちを説明していたが、あくまでも観念的な存在に過ぎなかった。
*12 池田康男「補注G」(アリストテレス『天について』(京都大学学術出版局)
*13 伊東俊太郎「『自然』について」(「西洋古典叢書 月報5」アリストテレス『天について』京都大学学術出版局)
*14 平田寛「科学史をめぐって」(平田寛[編]『定理・法則をのこした人々』岩波書店)
*15 アリストテレス「動物部分論」(アリストテレス『動物部分論・動物運動論・動物進行論』(京都大学学術出版局)
*16 Wikipedia「マケドニア王国
*17 アリストテレス『動物誌(上)』(岩波書店)



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島崎藤村『島崎藤村詩集』(角川書店)

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島崎藤村詩集 (角川文庫)

概要

 新体詩の代表者、島崎藤村。「初恋」は七・五調の韻律が特徴的で、男性の初恋を歌っている。中学生時代に習った人も多いのではないだろうか。また「狐のわざ」も同様、男性の恋心を題材にしている。一方、「六人の処女」などでも女性を題材にしているが、この詩は明らかに女性が主体である。また、故郷、信州の千曲川を詠んでもいる。

はじめに

 僕は読書をすると、Evernoteに気に入った詩、作者の価値観が凝縮されていると感じた文章などをまとめています。島崎藤村もその例外でなかった……はずなのですが、この間、「初恋」を引用しようと思って、探しても見当たりませんでした。誤って削除したのか、最初からまとめ忘れていたかは定かではありませんが、もう一度Evernoteを作成するために図書館から借りてきました。したがって事実上の再読ですが、前回は新潮、今回は角川です。同じタイトルの記事があると、紛らわしいのでわざと版を変えました。
 本来なら差別問題の関係でトニ・モリスン『青い眼が欲しい』から被差別部落の『破戒』を読み、ついでに再読しようと考えていたのですが、実際に読んで近代文学史を体感しようと思い、薄田泣菫の流れで読むことに。

韻律

 韻律は文語定型詩なので、基本的に古典文法の五七調です。例えば、有名な「初恋」は下記の通り。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
 音読すれば解る通り、七五、七五の繰り返しで「初恋」は書かれています。よく学校では五音と習いますが、正確にはモーラを数えています。音節は母音を中心に数えられ、「ん」は音節を形成しません。したがって、「林檎」は2音節です。しかしモーラは文化的なリズムと関係しています。例えば、「林檎」は「り・ん・ご」と発音しているでしょう。これがモーラ。したがって、林檎は3モーラの言葉です*1。
 さて、「望郷」も「いざさらば/これをこの世のわかれぞと/のがれいでては住みなれし」とある通り、先頭に5モーラが追加されただけ。五・七・五・七・五を基本としていますが、最終連の最終行は「こひしき塵にわれは焼けなむ」とある通り「七・七」で締めくくられています。
 また、「労働雑詠」は下記の通り。
朝はふたゝびこゝにあり
朝はわれらと共にあり
埋れよ眠行けよ夢
隠れよさらば小夜嵐さよあらし

諸羽もろはうちふる鶏は
咽喉のんどの笛を吹き鳴らし
けふの命の戦闘たたかひ
よそほひせよと叫ぶかな

 野に出でよ野に出でよ
 稲の穂は黄にみのりたり
 草鞋とく結へ鎌も執れ
 風に嘶く馬もやれ
 リズムは「朝はふたゝびこゝにあり」の箇所は七・五で始まっていますが、「野に出でよ野に出でよ」と一字下げになっている連は、五・五で始まっていることが解ります。リズムに法則性があるので、「鶏は」の振り仮名がなくても「とり」とは読まずに「にわとり」と読むと解るのです。
 そしてリズムと意味の切れ目は密接に結びついています。したがって、「序一」は「こゝろなきうたのしらべは/ひとふさのぶだうのごとし/なさけあるてにもつまれて/あたゞかきさけとなるらむ」と全文ひらがなですが「一房野葡萄のごとし」と読みません、「一房の葡萄のごとし」と誤解を招かないのです。
 七五調は「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」*2とあるように万葉集から続く、日本古来のリズム。島崎藤村にせよ薄田泣菫にせよ、欧米から詩の形式が入ってきたときにまず、五・七調、七・五調を参考にしながら詩を作っていたと容易に察しが付きましょう。
 島崎藤村は少しリズムを崩した詩も書いています。「千曲川旅情のうた」では「昨日またかくてありけり/今日もまたかくてありなむ/この命なにを齷齪あくせく/明日をのみ思ひわづらふ」とある通り、冒頭の二行が「八・四」「八・四」となっているのです。その後の行では「いくたびか栄枯の夢の/消え浅る谷に下りて/河波のいざよふ見れば」と五・七調になっています。
 薄田泣菫が藤村の後を継ぐのですが、彼は「夕暮海邊に立ちて」で「黄や、くれなゐや、淺葱あさぎの/雲藍色にしづみて」*3とあるように六・四のリズムを織り交ぜながら定型詩を書いています*4。本格的に新たなリズムを模索していたと言えましょう。
 この後、萩原朔太郎や高村光太郎が韻律に捕らわれずに詩を作っていくのですが、島崎藤村の場合は韻文と散文を分けていたように感じます。

郷土

 もちろん島崎藤村が韻文と散文を区別していたと言っても、リズムの上であり、主題は違いません。代表作の一つ「夜明け前」は下記の通り、木曽路の情景が描き出されています。
 木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。
 この自然描写は詩の中にも現われています。例えば上述の「千曲川旅情のうた」では千曲川の風景を栄枯盛衰の寂寥とともに描いています。
いくたびか栄枯の夢の
消え浅る谷に下りて
河波のいざよふ見れば
砂まじり水巻き帰る

嗚呼古城なにをか語り
岸の波なにをか答ふ
いにし世を静かに思へ
百年もゝとせ百年もきのふのごとし

千曲川柳霞みて
春浅く水流れたり
たゞひとり岩をめぐりて
この岸にうれひを繫ぐ
 第三連の「嗚呼古城なにをか語り/岸の波なにをか答ふ」では儚い人工物と悠久の自然が対比的に描かれています。
 明治期に入って西洋文化が輸入されると、自然、日本文化を意識しないわけにはいきません。加えて海外と日本以外に東京と地方の対立が読み取れましょう。つまり、東京は政治の中心、大阪は経済の中心……と考えたときに信州特有の要素とは何か、必然的に考えざるを得ません。島崎藤村が行き着いた先は(嗚呼古城なにをか語り」とある通り、一つは古城。もう一つは千曲川などの風景。
 明治の施策として、天皇との関係で記紀が重視されたのだと推察できます。本来、記紀は天照大神、月読尊、火之迦具土など多神論ですが、アニミズムの要素も含んでいます。このような時代背景も自然へ意識を向けるきっかけとなったのかもしれません。
 そのように考えると「序一」の葡萄も信州の特産品だからとも推察できましょう*5。

女性

 さて『若菜集』では多くの女性が詩に描かれています。「初恋」は第一連で「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき」などで林檎が度々登場し、さらに「薄紅の秋の実に/人こひ初めしはじめなり」などとここでも赤色が登場します。もちろん、上述の文脈で言えば、信州という地域性・地域色を出すために、林檎を出したとも解釈できますが、薄紅と「人こひし初め」、つまり初恋とを取り合わせており、「林檎と頬の紅潮をイメージの上で重ね合わせようとしているように感じました。そのような目で読み直すと、「やさしく白き手をのべて」の白は純粋さの象徴だと言えましょう。
 この詩と同様、「狐のわざ」もまた少年の恋心を詠んでいます。
狐のわざ

庭にかくるゝ小狐の
人なきときに夜いでて
秋の葡萄の樹の影に
しのびてぬすむつゆのふさ

恋は狐にあらねども
君は葡萄にあらねども
人しれずこそ忍びいで
君をぬすめる吾心
 ここでは君、つまり恋愛対象を葡萄に喩えていると解ります。君と言えば、今でこそ格下の相手を呼ぶときに使いますが、この時代は親しい異性を呼ぶときに使っていました。同時期の歌人、与謝野晶子は「みだれ髪」に「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」*6と詠んでいますが、この「君」の用法は典型的だと言えましょう。
 藤村の前半で狐がこっそり夜に葡萄を盗むエピソードが語られ、これを踏まえた上で恋を狐に喩えています。イソップ寓話などではずる賢い動物ですが、僕はむしろ化かす動物として日本的に解釈しました。つまり恋愛感情を狐に化かされている時のようだと感じたのだ、と。
 一方、「おきく」は女性を主体としています。前半部はすべてひらがなで、後半部になると漢字も混ざってきますが、圧倒的にひらがなが多い。。
くろかみながく
    やはらかき
をんなごころを
    たれかしる

をとこのかたる
    ことのはを
まこととおもふ
    ことなかれ

をとめごころの
    あさくのみ
いひもつたふる
    をかしさや

みだれてながき
    鬢の毛を(後略)
 ひらがなで書くと「やはらか」さを表現できるので、この詩の主題と合っていると言えましょう。さらに解説で谷村志穂は「四つの袖」のお夏に触れながら、下記の通りのべています*7。
 男は〈をとこ〉として綴られ、女には〈お夏〉という名が与えられている。
 その〈をとこ〉の気息が、手が、口唇がすべて〈お夏〉という一人の女に向けられていく。
 女の息づかい(中略)はすべて伝わってくるように感じられるのは、それは女が〈お夏〉で、男は〈をとこ〉だからだ
 要するに、固有名を与えられない分、〈をとこ〉の存在感が希薄となり、相対的に〈お夏〉の印象が際立っていると指摘しているのです。
 しかし、僕は匿名的な視線は自意識の現れだと解釈しました。恋心を抱くと、意中の異性からの巻線が過剰なまでに気になるかもしれません。しかし、誰かに見られていると思うことで規範から逸脱せずに行動しているのですが、近代化に伴い芽生えたのです*8。
 このような目で見ると「おきく」の詩句「治兵衛はいづれ/恋か名か/忠兵衛も名の/ために果つ」も実名こそ出しているものの、「四つの袖」の〈をとこ〉と同様、限りなく匿名的に描かれています。そしてこれは個人か家柄かを巡っての自意識を現しているとも解釈できましょう。

*1 もちろん「りん・ご」と発音すれば2モーラになる。これは東北弁に見られる。(Wikipedia「モーラ」「シラビーム方言
*2 wikisource「万葉集
*3 薄田泣菫『泣菫詩抄』(岩波書店)
*4 松村緑「解説」(薄田泣菫『泣菫詩抄』岩波書店)
*5 信州のブドウ栽培は明治時代に始まった(株式会社アルプス「信州のぶどうが美味しい理由」)。
*6 与謝野晶子「みだれ髪」(青空文席)
*7 谷村志穂「解説」(島崎藤村『島崎藤村詩集』角川書店)
*8 この辺りの議論はミシェル・フーコー『監獄の誕生』に基づいている(ミシェル・フーコー『監獄の誕生』新潮社





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薄田泣菫『泣菫詩抄』(岩波書店)

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泣菫詩抄 (岩波文庫 緑 31-1)

概要

 明治時代は西洋文化の影響を受けたが、文学の世界も例外ではない。感情・思想を詩に現そうと、模索していたのである。島崎藤村らが五七調あるいは七五調の韻律で文語定型詩の新体詩を作った。彼の後を継いで、薄田泣菫は新体詩を完成させたのである。
 例えば、「兄と妹」は会話が全文、七五調で書かれており、ゲーテの影響が垣間見えるだろう。

はじめに

 文学の根源をたどると詩に行き着くのではないかと考えています。例えば『イリアス』にしろ万葉集にしろ。加えて、ウィリアム・フォークナーやボルヘスは詩を多く読んでいて、特にボルヘスに至っては晩年、詩を作っています。
 そこで文学の教養を身につけるために、Wikipediaなどで詩人の一覧を検索し、片っ端から読んでいました。しかし、時代順に追っていけば、全体の流れが解るのではないかと思い、新体詩から追っていくことに。気分屋なので方針は変わるかもしれませんが、詩心への興味は抱き続けています。
 もう一つは詩の鑑賞方法とも関わってくるのですが、音読の素材。もちろん、原理的には新聞記事でも小説でも構いません。しかし、韻律を意識して作っている以上、詩は声に出して読んだ時に美しさを味わえます。

文体・リズム

 声に出して読んでみると解るのですが、新体詩は五七調・七五調のリズムで構成されています。注意すべきは七五調というときに、ひらがなの文字を数えているのでも、音節を数えているのでもありません。モーラを数えているのです。音節は発音可能な音の単位。1つの母音が存在しなければいけません。純粋に言語学上の概念ですが、一方、モーラは文化と大きく関わってきます*1。日本語ではほとんどの単語で音節の数とモーラが一致するので、二つの違いをあまり意識しません。しかし中には両者の数が一致しない場合もあります。例えば「河童」は2音節ですが、3モーラ。「チョコレート」は4音節ですが、5モーラ。「りんご」は2音節ですが、3モーラ。

定型詩のリズム

 以上を踏まえた上で、新体詩だけでなく俳句・短歌などの定型詩を捉える必要があります。島崎藤村の「はつ恋」は中学時代に習った人もいるかもしれません。「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけりあれ」とある通り七五調のリズム。その上、「初めし」「見えし」と連体形に「し」を使っており、古典文法です。このように古典文法を軸としながら、一定のリズムを繰り返す詩を、文語定型詩と呼びます。
 したがって薄田泣菫の「加古川をすぎて」などは文語定型詩。「横雲峯にたなびきて、/光まばゆきこの夕、波しづかなる加古河の/みをに小網さでひくあまが子よ」と七五調のリズムだと解ります。ちなみに蜑とは海人*2。
 続く「揖保川にて」も「水色しろき揖保川の/みぎはを染むる青草に、/牛飼ひなるる里の子を誰し哀れと見たまふか」と古典文法で七五調のリズム、つまり文語定型詩。
 これとは別に、口語定型詩も作っています。中学校までは文語定形詩と口語自由詩しか習わなかったと記憶しているのですが、文語か口語か、定型詩か自由詩かは独立しています。したがって、下記のの四つがあります。
1.文語定型詩
2.文語自由詩*3
3.口語定型詩
4.口語自由詩
 口語自由詩の開拓者は萩原朔太郎と高村光太郎。
 僕の好みの問題から萩原朔太郎を例に出します。例えば「地面の底の病人の顔」では「地面の底に顔があらはれ、/さみしい病人の顔があらはれ。」*4と韻律に捕らわれれず、なおかつ、文法的には現代文を軸としていると解ります。

口語詩

 これに対して、口語定型詩は例えば薄田泣菫の「つばくら」などが挙げられます。「つばくら」とは「つばめ」のこと。昔は「つばくら」と呼んでいました。
紺の法被に白ばつち、
いきな姿のつばくらさん
お前が來ると雨が降り、
雨が降る日に見たらしい。
むかしの夢を思ひ出す。
 口に出せば解る通り、七五調で作られています。「つばくらさん」の「ん」は確かに六モーラですが、音読すれば解る通り、さほど気にはなりません。そして、古典文法で書くと、いかめしく、荘重な印象を受けます。しかしこれだと「つばめ」の雰囲気と合いません。口語で書けば、つばめの小柄さを現せます。
 さらに押韻も重要となります。例えば「猿の喰逃げ」は口語表現が功を奏し、ユーモラスさを強調しています。
お山の猿はおどけもの、
今日も今日とて店へ來て、
胡桃を五つ食べた上、
背廣の服の隱しから、
銀貨を一つ取り出して、
釣錢つりはいらぬと、上町の
旦那のまねをしてゐたが、
(中略)
お釣錢釣錢つり (中略)
帽子しやつぽを脱いで、二度三度
お詫び申すといふうちに、
背廣の服のやぶれから
尻尾しつぽを出して逃げちやつた
 この詩では、しゃっぽとしっぽが韻を踏んでいると解ります。音こそにていますが、かたや紳士的なイメージで、かたや野蛮なイメージと正反対。この対比も「にげちゃった」と相俟ってユーモラスな雰囲気を生んでいると言えましょう。 

韻律と主題

 また、定型詩は韻律を少し崩して、主題を強調もできます。例えば石田波郷の俳句「朱欒割くや歓喜の如き色と香と」は「朱欒割く」と書けば定形詩になるので、明らかに意図的な字余りだと言えましょう。朱欒は「みかん類では最も大きな実をつける」とあり、字余りの不均衡さで朱欒の大きさまで表現した、と解釈できるのです。
 このようなことがもちろん薄田泣菫の詩にも言えます。例えば「待ちごころ」の第一連は下記の通りです。
こよひ花野の夕づくよ、
君待ちくらす心地して、
月映つきばえあかり面はゆき
すずろ心の胸のときめき。

三歳は過ぎぬ、また更に
が子か待ため、當時そのとき
夢ほのかなる甦り、――
はな殼すみれ香に匂ふ世や。
 第三行目までは七五調ですが、第四行は七・七調です。すずろ心はとけめけりなどと書けば、五モーラで収まります。むしろ「ときめき」と書けば「胸の」は自明ですので、冗長だと言えましょう。加えて「夢ほのかなる蘇り」の内容「はな殼すみれ香に匂ふ世や」も七七調で、「はな殼すみれ匂ふ世や」と書けば五七調に整います。第二連は「香」と「匂」の情報が重なっているとすぐ解ります。
 念入りに七五調を崩していると示しているので、石田波郷の句と同様に意図的な表現だと気付くでしょう。「胸のときめき」、「夢ほのかなる蘇り」を感じている時の気持ちを七七で現していると解釈しました。

素材

 もちろん詩の形式も重要ですが、内容とリンクしていなければなりません。例えば「金メダルなくても目指すゼロ災害」*5などの標語は確かに五七五になっていますが、詩情に欠けています。詩的な作品を読む前と後とで同じ物を見ても、見え方が違うようになります。いわば風景の再発見*6。

生き物

 例えば上述の「つばくら」は「紺の法被に白ぱつち」を着て、「いきな姿」だと見方があることが解ります。単なる生物学的な生態だけではなく、その容姿を見て、認識が変わるのです。そのように感じ始めると、素早い動きも祭りで急いでいるように見えるかもしれません。「三嵜」はその名の通り、三羽の雀たちが互いに井戸端会議をしています。
「うちの子供のいたづらな、
わたしの留守をよいことに、
卵は盜む、巢はこはす、
なんぼ鳥でも生みの子の
いとし可愛はあるものを。」
「うちの子供のもの好きな、
わたしが山へ行つた間に、
つひこつそりと巢の中へ、
雲雀の卵をしのばせて、
知らぬ繼子を孵かへさせた。」
(中略)
「うちの子供のしんせつな、
わたしの子らが巢立して、
つひ路邊へ落ちたとき、
まるいお手手にとりあげて、
枝にかへして呉れました。」
 光景としては、「裏の梅の木に、/雀が三峪澆泙弔董廚い襪世韻覆里任垢、この詩を読んだ後で雀の囀りを耳にすると、さも井戸端会議をしているように聞こえるかもしれません。この他にも「いちご」が「西日のさした店先で、/娘のやうな息をして、/身の仕合せを泣い」ているように感じているのです。
 また、これを長くすると、「猿の腰かけ」のように一つの短い物語になります。「山の朽木に焦色の/菌が一つ生えたのを、/兎はゆふべここに來た/鬼が落した角といひ、/まみはお山の山姥やまうばが魔法使ひの手だといふ」。この後、二人は猿を訪ね、意見を求めます。「それは角でも手でもない、/お慈悲の深い神樣が、/お猿に呉れた床几だと、/言ひまぎらした口まめに、/狸も兎も合點して、/山の菌きのこはその日から、/ずるいお猿の腰かけと、/いつの代までもなつたとさ」。昔話のような話ですが、上記のような詩情の成立条件を満たしていると言えましょう。
 しかし俳句の延長か、それとも薄田泣菫自身の好みからか*7、自然の風物を題材にした詩が多いと感じました。

「破甕の賦」

 一方で、「破甕の賦」は人工物を詠んでおり、心情と「碎けた」「古き甕」、「火の氣も絕えし廚」とがリンクしています。
火の氣も絕えし廚に、
古き甕は碎けたり。人のかこつ肌寒を
甕の身にも感ずるや
 さらに「甕」は「みか」と読むので、「甕の身にも」と第四行は六モーラになっています。加えて「み」は「みず」を連想させ、リフレインでさも水が漏れているような感じを与えるのです。
 しかし僕はイギリスの詩人、キーツへの返歌だと解釈しました。そもそも泣菫のペンネームがキーツの墓碑銘から取られている通り*8、泣菫がキーツを読んでいたと窺えましょう。キーツには「ギリシアの壺のオード」という詩があり、その名の通り、古代ギリシアの壺が詠まれているのです。部分的に中期英語で書かれているのですが、「When old age shall this generation waste,/Thou shalt remain, in midst of other woe」、つまり、「この老いた世代は必ず破滅するが、汝〔ギリシャの壺〕残らむ、〔我々とは〕他の災厄のただなかを」*9となります。
 つまり、「Thou shalt remain」とある通り、キーツは古代ギリシャの壺を永遠の象徴として用いていると解釈できましょう。一方、shallを使っている通り、人間の世代は破滅、荒廃する運命だと考えているように思えます。
 一方、泣菫の「破甕の賦」は甕が壊れており、キーツの「ギリシャの壺のオード」と正反対。諸行無常が多くの日本文学では扱われており、「破甕の賦」との「ギリシャの壺のオード」の違いから、永遠についての価値観の相違が現れていると言えましょう。そしてこれは同時に(少なくとも泣菫が)西洋文化をどう受け入れるかの模索の痕跡だと解釈しました。


*1 Wikipedia「モーラ」、なお文化に依存するため、方言によってモーラは異なる(Wikipedia「シラビーム方言」)
*2 「蜑」の字はもともと「中国南方に住む水上生活者の総称」で、彼らは「漁業を生計」としていた。「蛮」の字にも虫が付いている理由と同じで、彼らを侮蔑的に表現している(藤堂明保[他]漢字源』)
*3 文語自由詩は与謝野晶子「山の動く日來たる」などが挙げられる。
*4 萩原朔太郎「地面の底の病気の顔」(萩原朔太郎『月に吠える』青空文庫)
*5 「令和3年度 安全標語表彰 受賞者」の作品より。もちろん標語が劣っていると言うつもりはない。
*6 Wikipedia「異化
*7 「選をするにあたり、私はただ自分の好みにのみしたがつて取捨をきめた」とある(薄田泣菫「自序」『泣菫詩抄』岩波書店)
*8 Wikipedia「薄田泣菫
*9 拙訳。Thouとshaltは英語の古語でそれぞれ現代英語のYouとshouldとなる。なお、これを示すためにThouは「汝」、shalt remainは「残らむ」と訳した。



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アリストテレス『動物部分論・動物運動論・動物進行論』(京都大学学術出版会)

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動物部分論・動物運動論・動物進行論 (西洋古典叢書)

概要

 アリストテレスは『動物誌』で精緻に観察を行ない、その結果を動物部分論などで体系化した。「動物部分論」では四肢、頭などに加え、内蔵、骨についても目的論を軸に考察している。また「動物運動論」では、動物がどのようなメカニズムで動くのかについて触れ、「動物進行論」では動物にとって上下などの方向とは何かなどについて述べている。

はじめに

 自然科学そのものより、自然哲学、科学史に興味があります。始めは動機は自然科学を理解したいと考えていました。それで時代順に読めば、大雑把な流れはつかめるのでは思っていたことも科学史に興味を持ったきっかけです。
 乱読でDNAについての本も読んでいたのですが、当然ながら人間とは何なのか、自分とは何なのかが解りません。当然ですが、これは自然科学ではなく、自然哲学の領域だったのです。もちろんハイデガーなどの実存主義をにも目を通していたのですが、自分の〈存在の謎〉についてはしっくり来ませんでした。違和感の原因が、ギリシア語の語源を調べていていたと解った時、ハイデガーへの興味が薄れていきました。ハイデガーはもともと大学時代に、フランス現代思想、特にデリダの文脈で読んでもいました。
 乱読家なのでハイデガーと平行して、クーンなどの科学哲学を読み、面白かったのですが、パラダイム論は科学の歴史を扱っているような気がしました*1。もちろん創作の都合でアラビアの科学などを調べていたこともあるのですが、科学史を意識し始めたのはクーンを読んでからかもしれません。
 この『動物部分論・動物運動論・動物進行論』に興味を持った直接の原因はルクレーティウスの『物の本質について』*2、目的論の否定から、アリストテレスに行き着いたのですが、科学哲学・科学史は飽きてきたので、しばらく別の分野に手を出すかもしれません。

自然科学と自然哲学

 さて、自然科学と自然哲学の違いについて話します。自然科学は自然現象がどのような法則性で動いているのかだけを探求しますが、自然哲学はその法則性をもとにどう生きるべきなのかに踏み込みます。つまり、「人間の本性の分析を含むこともあり、神学、形而上学、心理学、道徳哲学をも含」*3んでいるのです。数学は文字通りに解釈すれば、形而上学とも呼べなくもありませんが*4、少なくともアリストテレスの『形而上学』とは趣が異なります*5。例えば、『形而上学』では従来の学説*6を整理した上で、熱・冷、湿・感として体系化し直しました。冷・湿なら水、冷・乾なら土、熱・湿なら風、熱・感なら火です。この分類は「動物部分論」でも登場します。
自然本性によって構成されたものどものうちの何かを「熱いもの」「冷たいもの」「乾いたもの」「湿ったもの」であると語るのは、どのような意味で必要であることが、見逃されてはならない。なぜなら熱いものなどが生と死の、さらには眠りと目覚めの、病気と健康の、主たる原因だということは明らかなようであるから。
 アリストテレスの『形而上学』においては「第一原因」も重要です。物事には原因があるのなら、その原因にもまた原因があり……と論理的に考えていくとこの世界の根本原因へ行き着きます。これを「第一原因」、もしくは「不動の動者」と呼ぶのですが、キリスト教の神と同一視されるようになりました*7。
 しかし、古代ギリシア哲学はそのままヨーロッパに伝わっていません。異端のネストリウス派がアッバース朝統治下のバグダッドで庇護を受け、そこで発展します*8。数学・天文学・医術などが古代ギリシア、特にアリストテレス哲学とイスラム哲学、インド哲学などとが融合したのです。十二世紀頃から、イスラム世界との商業的な交流などが生まれ*9、アリストテレスなどが西ヨーロッパ諸国に紹介されました。

形而上学と数学と論理学

 またアリストテレスは論理学の本として『オルガノン』*10を残していますが、いわゆる数学の著作は少なくとも見つかっていません。ここで古代ギリシャの数学はピタゴラスやユークリッドに代表されるように数学と言えば幾何学でした。代数はalgebra*11と言うようにアラビアが発症の学問です。
 もう一つの問題は論理学と幾何学の線引きが当時は曖昧でした。その証拠にプラトンはアカデミアを創設し、「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」と書かれていたほど*12。日本の学校教育で幾何学と言えば、三平方の定理を暗記して、とにかく数字を導き出せるようにするのですが、プラトンは「感覚ではなく、思惟によって知ることを訓練するために必須不可欠のものであるとの位置付け」*13だったのです。
 アリストテレスはアカデメイアの出身ですので、好き嫌いや得手不得手は別にしても、その教養はあったはずですし、また当時の天文学では幾何学が必須でした*14。また「動物運動論」には幾何学の話が載っており、「数学の対象は何一つとして運動していないから」「彼ら〔プラトン派〕の虚構」だとアリストテレスの数学観が垣間見えます。また形而上学には、「その研究対象の何であるか〔本質〕についてはなんの説明もしないで、かえってこれから出発している」*15と数学的諸対象についての研究に不満を漏らしています。現実世界には1つのリンゴ、1つの石、1回のノックなど個別の1は存在しますが、「1」一般は存在しません。1分、1リットル、1グラムを説明しうるような。
 これがアリストテレスの数学に対する問題意識だったのでしょう。

自然

 それ故かは定かではありませんが、演繹的なプラトンとは異なり、アリストテレスは形のある物から帰納法を用いて法則性を導き出します。『動物誌』を読みながら、本当によく観察していると関心しました。『動物誌』は観察や伝承を客観的な記述(に努めようとしている*16)なので、アリストテレスの哲学が押し出されていませんでした。それ故、紀元前にイルカの生態が解ってるなどは驚きましたし*17、「アリストテレスの提灯」*18の記述を見つけた時はトリビアの泉を思い出し懐かしくもなりました*19。
 一方の『動物部分論・動物運動論・動物進行論』は間違いこそ多いのですが、今日の科学的知見を知りたければ、アリストテレスなどは読むべきではありません。福岡福一の『生物と無生物のあいだ』*20、酒井仙吉『哺乳類誕生』*21など、適切な本が多くあります。しかし、アリストテレスが自然についてどのように考えていたか、そして、彼の自然観がどのように受容されていったかは、『動物部分論・動物運動論・動物進行論』などを読むのが一番確実。

目的論とその限界

 さて、『動物部分論・動物運動論・動物進行論』では、自然がすべての生物を作ったと考えられています。

目的論とは

 キリスト教の権威付けにギリシア哲学が使われたようにも感じますが、下記の通り、相性の良さは否めません。
胸部を取り囲む肋骨は心臓のまわりの臓を保護するためにある。しかし、腸のまわりの部分には[肋骨のような]骨が全然ない。それは栄養物によって必然的に生じる膨張を妨げないためであり、そして雌にとっては雌自身のうちで胎児の成長を妨げないためである。
 繰り返されるのが、「自然は何も無駄になすことはない」「自然は無駄なことも余計なこともしない」などのフレーズ。さらには「腎臓は(中略)善と美のために備わっている」と述べており、膀胱のはたらきをよくするためだと考えました。腎臓は一つでも生きていけるので、補助的だと考えても仕方がありませんが、「善と美のため」と捉える辺り、アリストテレスの自然観が出ていると言えましょう。
 解説で坂下浩司は「最善性公理」「経済性公理」*22と呼んでいます。つまり、自然は最適な状態で動物を作ったと考えていたのです。最善性公理は経済性公理で説明できないときの辻褄合わせではないかと感じましたが、自然界を見守せば「経済性公理」が成り立っていると考えても了解できましょう。その典型例がゾウの鼻についての考察。
自然はいつもやるように、同一の部分[鼻]を多くのことに転用している。それは前足を手として使う代わりにそうしているのである。実際、多くの指をもつ四足動物は手の代わりに前足をもっているが、それはその動物の重量を支えるためだけのものではないから。(中略)
 ゾウは呼吸にゆえに鼻をもつ。(中略)しかしゾウは湿ったところ[水中]で時をすごしていることとそこから移動するのがのろいことのゆえに長くて巻き上げることのできる鼻をもつのである。そして、ゾウは、[前]足が手として使用できなくされているので、まさに自然が、ちょうど私が述べたように、足から生じるはずの補助のためにも、その部分[鼻]を転用するのである。
つまり、足が前足が体を支えるためだけにあるので、長い鼻を自然は作ったと考えているのです。この他にも「殻皮物動は自然が硬いもの[貝殻]を肉質部のまわりに置いたが、それは、殻皮動物の動きのにぶさゆえの危険から殻皮動物が救われるようにしたのである」とある通り、アリストテレスは目的論で考えてました。
 そして、この自然と動物の考えは「動物の諸々の似像を見て喜ぶのは、似像を作り出した絵画術や彫刻師のような技術を似像と同時に見るからであるのに、自然本性によって構成されたものどもの諸原因を見てとる力のある者たちが、それらの研究にもっと満足しないとすれば、実に不合理で奇妙なことであろうからだ」とある通り、しばしば技術・工芸に喩えられています。
 この他にも、「自然は、二つの器官を二つのはたらきに転用することができて、しかも一方が他方を妨げないときには、ちょうど青銅細工術が値段を安くするために、焼き串燭台を作るようなことはしないようにしているのであって、それが可能でないときに、同一の器府を、より多くのはたらきに転用するからである」など。
 この自然についての考えは芸術論の詩学にも現れています*23。
 実物そのものとしてはわれわれが心を傷めながら見るところでも、それらのとくに正確な模写であれば、よろこんで観照するからである。たとえば、最もいやな動物や屍体の体姿についてもそうである。
 原文を読んだわけではないので、「実物」と訳されている言葉がピュシスなのかは解りませんが、後半部を読めば自然物の模写が語られていると解りましょう。
 またアリストテレスは第一原因の箇所で説明した通り、始原も重要です。方向を単なる大地を下、天を上と定義せずに、「諸々の生物にとって栄養物の分配と成長がはじまるところがはたらきの点で上であり、それが最後に終わるところがはたらきの上での下なのである」と定義しています。
 これに関連して、心臓を行動の起点と考えていたと記されています。
心臓の位置も、総括する始原に適した場所にある。実際、中央付近に、かつ下より後の方に、後よりも前の方にあるから。自然は、何かより大きなものが妨げない限り、より尊いものを、より尊い場所に置いたからである。
 血液の始点だと解釈すれば了解可能でしょうが、アリストテレスは魂が心臓にあると考えていました。それ故、「魂が体の何らかの始原[心臓]に存在するのであり、他の諸部分は、心臓と関係するように生き、自然本性のゆえにそれら自身のはたらきをなすのである」とある通り、行為の始点でもあるのです。
 そして目的論で考えると、器官と動物の行動が体系的に説明しやすくなります。

目的論の限界

 このようにアリストテレスは目的論で生物の特徴を説明しました。目的論を持ち出すと、必然的に創造主*24を存在を持ち出さなければなりません。フランシス・ベーコンはアリストテレスの目的論を否定*25するのですが、当時からすでに目的論だけで説明しようと考えていませんでした。
自然は、時には、剰余物すら、有益なことに転用するのだが、しかし、それだからといってあらゆることについて、それが何のためにあるかと探求してはならない。そうではなく、或るものどもがそのようである時、それらゆえに他の多くのものが必然的に起こるのである。
 訳注には「すべての自然現象を目的で説明するわけではない」*26とあります。加えて「しかも一方が他方を妨げないとき」「自然は、何かより大きなものが妨げない限り」などと条件を付けている点も苦し紛れだと感じます。
*1 トーマス・クーン『科学革命の構造』(みすず書房)
*2 ルクレーティウス『物の本質について』(岩波書店)
*3 Wikipedia「自然哲学」 *4 数そのものがある意味で形而上学的と言える。
*5 Wikipedia「形而上学(アリストテレス)
*6 例えばタレス、エンペドクレスなど。 
*7 Wikipedia「不動の動者
*8 B.C. ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*9 伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』(岩波書店)
*10 Wikipedia「オルガノン
*11 alはアラビア語の定冠詞である。もっとも算術のレベルであれば当然、ギリシア時代にもあった。
*12 Wikipedia「アカデメイア
*13 同上。
*14 例えば天体からの距離を測るには三角比が必要となる。
*15 アリストテレス『形而上学(上)』(岩波書店)
*16 例えば、女性蔑視の態度が見られる(アリストテレス『動物誌(下)』岩波書店)。
*17 イルカは声を出すなどの記述がある(アリストテレス『動物誌(上)』岩波書店)
*18 アリストテレス『動物誌(上)』岩波書店
*19 トリビアの泉ではアリストテレスの提灯が取り上げられたことがある(2004年9月8日放送)
*20 福岡福一『生物と無生物のあいだ』(講談社)
*21 酒井仙吉『哺乳類誕生』(講談社)
*22 坂下浩司「解説」(アリストテレス『動物部分論・動物運動論・動物進行論』京都大学学術出版会)
*23 アリストテレス「詩学」(アリストテレス『〈世界の大思想2〉ニコマコス倫理学/デ・アニマ(霊魂について)/詩学』(河出書房)
*24 神と言い替えても通じるが、現世利益的な側面はない。
*25 フランシス・ベーコン『学問の進歩』(岩波書店)
*26 坂下浩司「訳注」(アリストテレス『動物部分論・動物運動論・動物進行論』京都大学学術出版会)



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金子光晴『金子光晴詩集』(思潮社)

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金子光晴詩集 (現代詩文庫 第 2期8)

概要

 大正五年から昭和後期にかけて活躍した金子光晴。反権力・反権威の詩を書き続けてきた。戦時下にあって反戦をテーマに詩作を続けて、反骨精神が伺えるだろう。また女性を主題として詩も書いている。
 本書には「リアルの問題」などの詩論が併録されているが、「偈」からも詩への姿勢が現れている。

はじめに

 有名な日本の詩人は教養として読んでおきたいと、勝手に思って、思潮社の現代詩文庫を読んでいます。今のところ詩の解説書に出てきた詩人を片っ端から読んでいますが、そのうち、薄田泣菫、蒲原有明など時代順に読んでいくかもしれません。
 どうして詩を読もうと思ったのかは創作に詩的な要素を取り入れたかったからでもあります。ホメロスしかり万葉集しかり、文学のルーツを辿ると詩に行き着くのではないかと前々から思っていました。またウィリアム・フォークナーはキーツを愛読していたと解りますし、ポーは「アナベル・リー」、「大鴉」など詩の分野でも大きな功績を残しています。

戦争

 反戦など反権力の詩が多く収められています。「おつとせい」は俗衆をおっとせいに喩えているのですが、〈おいら〉は「おつとせいのきらいなおつとせい」であり、「だんだら縞のながい影を曵き、みわたすかぎり頭をそろえて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで、/侮辱しきったそぶりで、/ただひとり、/反対をむいてすましてる」のです。
 この〈おっとせい〉が金子光晴の投影だとは指摘するまでもありません。

「禿」

 また「禿」。「一子乾の徴兵検査日に」と前書きが付いている通り、戦争をテーマにしていると解ります。
鮫のからだのやうに
ぺらりとむけてゆく
海の曙。

 ああ、かくまで消耗しつくした
 水脈のはるかさ、遠さよ。
 血のうせた頬の
 死のふくらみ。
(中略)
 水のあま皮を突いて
 突然、釘の先が出た。
 潜水艇だ。
 息苦しくてたまらなくなつて
 ほつとしてうきあがつたのだ。

 そのとつ先に、たちまち、
 世界ぢゅうの生きのこつた神経があつまつて聴く。
 アジアも、ヨーロッパも、
 のこらず禿げたといふ風信を。
 この詩について、金子光晴は「人間の意欲も情熱も、戦争のために駆られ、消耗しつくして、まるでこの朝の海のように見通し」*1ているように感じたと述べています。また、豊かな自然との対比で、「こんなふうになんの抵抗もなくなってしまったのでは、おそらく、(中略)しげったりする髪の毛など一本もあるまい」*2「きっと戦争がすべてを荒廃させ、不毛にして、アジアもヨーロッパも破壊のために一物ものこるものではなく、禿になったという最後のたより〔が潜水艇によってもたらされたの〕だろう」と*3述べています。
 髪は豊かな活力の象徴であり、戦争でその活力が失われたと金子光晴は考えていたのではないでしょうか。日本語では*4「不毛」、つまり「毛がない」と禿は文字の上で類縁関係にあります。
 しかし、金子光晴の意図を一歩離れて解釈すれば、禿は老いの象徴でもあります。一般的に言って、老いると活動量が失なわれます。そして肌も潤いがなくなり、いわゆる「鮫肌」になるでしょう。これは第一連の「鮫のからだのやうに」ともつながってくるように感じます。
 さらに第二連には「ああ、かくまで消耗しつくした/水脈のはるかさ、遠さよ」とある通り、水分が失われていっている様子を描いています。水は生命にとって必要。さらに「血のうせた頬の/死のふくらみ」で死を直接的に描いているのです。もちろん戦死、事故、病死など様々な死があるでしょう。しかし、「かくまで消耗しつくした/水脈のはるかさ」とある通り、水分が失われているのです。また、水脈を血管のアナロジーと捉えた時、老衰だと解釈できましょう。
 つまりこの死を通して老いが読み取れるのです。もちろん、「一子乾の徴兵検査日に」と前書きに書かれている通り、戦争が主題には違いありません。「アジアも、ヨーロッパも/のこらず禿げたといふ風信を〔聴く〕」とある通り、大地の「老い」だと感じました。もちろん、禿山と言うように、草木を人間の髪に喩えているのですが、建物を人間の髪に見立てた時には、この最終連の意味も解りましょう。

「紋」

 「紋」もまた反骨精神が現れているのですが、最後は「紋」に帰着せざるを得ないという逆説を描いています。金子光晴は「紋」を国柄の象徴として描いています。つまり菊の御紋、日の丸などと言うように、下記の通り、日本の象徴。
紋どころの羽織、はかまのわがすがたのいかめしさに人人は、ふつとんでゆくうすぐも、生死につづくかなしげな風土のなかで、
「くにがら」をおもふ。
 戦時中は言うまでもなく、「紋どころのために死ぬことを、ほまれといふ」と教えられてきたことでしょう。これに対して、「をののく水田、(中略)虱に似た穀粒をひろふ貧乏」「とつくり頭の餓鬼たち、/うられるあまつ子。」などの詩句で非難の気持ちが窺えます。しかし最終連ではいくら非難しても日本に帰属せざるを得ないという現実が描かれています。
紋どころを蔑むものの遺骨よ。
おまへのひん曲がつた骨は、
紋どころのあつまる縁者におくられ、
紋どころを刻んだ墓石の下に
ねむらねばならぬ。
 この詩において「紋どころを蔑むもの」は「紋どころをもはや、装飾にすぎないといふものは/神のごとく人が無礙で/正しいものは勝つといふ楽天家共である」と非難しています。
 最終連は家の話、前半は国家の話であり、本来なら別の概念。しかし、家父長制国家においては「国家を家族の集合体とみなし、君主や支配者は、家父長patriachが家族の全成員に対して絶対権をもつように、臣下に対しても絶対的な支配権をもつ、と考えられた国家形態」*5とある通り、「戦前の日本」*6では家族の延長線に国家はあると考えられていました。
 ここで「紋」を家柄の象徴だと捉えた時、現代にも当てはまるような解釈ができます。単に家族と折り合いが悪いだけではなく児童虐待などで「紋」を離れなければならない場合もあるかもしれません。しかし葬儀などでは集まらざるを得ないのです。ここで単に家族の大切さを訴えるつもりはありません。むしろ、家族の大切さという言説があるからこその「虱に似た穀粒をひろふ貧乏」もありましょう。

女性

 さて、前述の「禿」と同様、「金亀子こがねむし」にも女性が登場しています。「黄丁字の花、幽かにこぼれ敷く頃、(中略)常夜燈を廻る金亀子の如く/少年は恋慕し、嘆く」とあるように恋愛を主題にしているのです。
 一方、彼女は下記の通り描写されています。
 其夜、少年は秘符の如く、美しい巴旦杏の少女を胸に抱く。
少年の焔の頬は桜桃のごとくうららかであつた
少年のはぢらいの息は紅櫂の如くかがようた。
 そして「ああ、盲目の蘆薈や焚香にむせびつつ、/少年は嗤ふべき見せ物であつた」と最終連の詩句にある通り、また、「少年は身も魂も破船の如くうちくだけた」とある通り、「少年の恋愛」を卑屈に描いていると言えましょう。
 この詩に金子光晴の恋愛がどの程度、反映されているかは解りません。しかし金、黄、紅など極彩色の描写とも相俟って、「嗤ふべき見せ物」とある通り、ある種の被虐的な要素はあると言えましょう。
 しかし、「愛情 2」では女性像がまた異なっています。 
おれは六十で、
君は、十六だが、
それでも、君は、
おれのお母さん。

 おお、おれの小さな耳搔きさん
いとしいちりれんげ

 海辺の白砂の
しめつたはだを
さざなみがよせ
さざなみが退く。

さざなみが退き
さざなみがよせ、
いつかは、君はゐない。
いつかはおれもゐない。
 ここで六十と十六とかなり年齢差がありますが、声に出して読んだ時の都合や、字面の問題もありますから、真に受ける必要はありません。仮に六十、つまり還暦が最初に浮かんで、韻を踏むために少女を十六歳とした可能性もあります。
 それよりも「愛情 2」では、「金亀子」と比べ、穏やかな時間の流れが描かれています。第三連の「海辺の白砂の/しめつたはだを/さざなみがよせ/さざなみが退く」は「君」と実際に海へ行った時だと考えても不自然ではありません。しかし、第四連は明らかに「いつかはおれもゐない」とあるように空想上の光景。
いつかは、君はゐない。
いつかはおれもゐない。
 上記の詩句は二人の死を仄めかしていると解釈した時に、悠久の大自然と人間とを対比的に描いていると言えましょう。加えて海は生命を育む以上、生の象徴だと解釈した時に、生と死の対比も描いているのです。

詩論

 この『金子光晴詩集』では詩論も併録しているのですが、「偈」はどのような心構えで詩作を作っていたかが窺えます。
人を感動させるやうな作品を
忘れてもつくつてはならない。
(中略)

すぐれた芸術家は、誰からも、
はなもひつかけられず、始めから、
反古にひとしいものを書いて、
永恆に埋没されてゆく人である。

たつた一つ俺の感動するのは、
その人種である。いい作品は、
国や世紀の文化と関係がない。
つくる人達だけのものなのだ。
 つまり、その詩人だけのためだけに書いた芸術が素晴らしいと訴えているのです。
 また、「始めから、/反古にひとしいものを書いて、/永恆に埋没されてゆく人」の詩を評価するのは逆説的ですが、金子光晴は遺書の中で「金子光晴は充分生きたから死後は完全に消滅」と書いているのです*7。
 そもそも金子光晴は、芸術家について下記の通り定義しています。
 芸員家と呼ばれる人間は、リアルと常識の間にずれや矛盾に特に敏感な人間のことである。いや、ただ敏感だということであったら、誰でも多少ほそのことに気が付いているであろうし、気が付かないまでも不当に翻弄されて、誰にともなく立腹している人が多いであろう。芸術家は、それに、自分なりの表現を与えようとする意欲を持つことのできた人間のことだ。
 ここでいうリアルとは自分の見た世界であり金子光晴はリンゴの色を例示ながら説明しています。「少しくらいちがったものであっても、まず、おなじといってもいいくらいに相似ている」と思うからこそ、話を先に進めることができる。つまり同じ色を見ているとは限らないが、同じ言葉でなら、同じ感覚だと考えているのです。金子光晴は記号シーニュ*8を「常識」、感覚自体を「リアル」と言っていますが、下記の記述は「常識」についてです。
 耳目が受け取ったものは九牛の一毛であり、(中略)思いちがいをさせる可能性の多いものであるのに、人はそれをまちがいないリアルだと思いこんでしまいやすいのだ。厳密にいえば、現実は人をあざむきとおしなのであって、人間はこづき回されながらも、現実はあざむかないという基本観念にあざむかれて、自分の方を適応定させることで懸命になってともかくも危い人生をぎくしゃくやりながら辻褄を合わせてゆくわけである。
 ここまで読めば、「偈」の詩句も納得が行くでしょう。「人を感動させるやうな作品」を作ろうとする時、必然的に情報伝達を前提としなければなりません。しかし、情報伝達に努めるほど、大多数の言語感覚に合わせなければならないのです。
 一方、「つくる人達だけのもの」の時には、芸術家の感覚自体を描くだけで構いません。そしてこれは詩と散文の違いにつながってくるでしょう。詩は詩人のリアルを忠実に再現し、散文は「常識」に基づいて文章を書いているのです。

 
*1 金子光晴「ある序曲」(金子光晴『金子光晴詩集』思潮社)
*2 同上
*3 同上
*4 英語では不毛を「Waste」といい、「無駄な」「荒廃した」などの意味がある(英辞郎on the Web「Waste」の項)。また、ゲルマン祖語のwostijaz(荒廃した)に由来しており、頭髪との直説的な類縁関係にない(語源英和辞典「waste」の項)。
*5 日本大百科全書(ニッポニカ)「家父長制国家」の解説
*6 同上。
*7 NHK『金子光晴|MHK人物録|NHKアーカイブス』(NHK)
*8 Wikipedia「シニフィアンとシニフィエ


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アリストテレス『動物誌』(岩波書店)

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動物誌 上 (岩波文庫 青 604-10)

概要

 アリストテレスは夥しい数の動物を観察し、伝聞を記録した。今日で動物というと、牛、馬、犬などの大型獣を連想しがちだが、それだけではないミツバチやハエなどの虫、カタツムリに至るまで、解剖を行ない、比較・検討しているのである。もちろん、今日的視点から見ると、ウナギの発生などは間違っているが、アリストテレスの観察眼が窺える。

はじめに

 科学そのものよりアリストテレスなどの古代ギリシャ哲学や科学史・科学哲学に興味があり、図書館借りてきました。以前、ルクレーティウスの『物の本質について』*1で目の目的論的な考えを否定しており、少し調べてみたらアリストテレスの動物学が目的論的な考えに基づいていると解りました。アリストテレスの動物論は『動物誌』しか知らなかったので、てっきりこれが出典かと思っていたのですが、訳注や解説などから『動物部分論』『動物発生論』を知り、そこに僕が探している記述があるそうです。
 しかし、せっかく借りてきたので、返すのもなんかもったいないと思い、読もうと決めました。『動物部分論』『動物発生論』は京都大学出版局の西洋古典叢書から訳書が出ていると確認……したのですが、次に科学史に興味を持つのはいつになるか僕にも解りません。一冊読んだら飽きて、次の主題に移るかと思えば、文学作品のように同じテーマを追いかけることも。

科学史

 僕の興味は科学史、科学哲学だと言いました。確かに大学生のころは自然科学、特に生命科学・生物学の本も嗜み、好奇心は満たされたのですが、DNAや遺伝子を調べても人間とはそして自分とは何なのか、そもそも何なのかが解りません。それもそのはず。この問題に答えてくれるのはむしろ人文科学であり、もっといえば哲学だったのです。そこからハイデガーやニーチェなどを読み、フランス現代思想へ。
 もう一つは科学史を順番にたどっていったらどのような議論が行なわれていたのか解り、そこから科学が少しは解るような気がしたのです。
 科学史を学んでいくと、今日の動物学などの自然学の知識が一旦アラビアに入ってから、ヨーロッパに伝わるなど皮肉な面を持っていると感じます。アリストテレスの動物学と関係ありそうなのが、イブン・シィーナーやイブン=ルシュド。動物誌の中には(科学的な正確性はさておき)不妊症の記述があり、この二人が参考にしていたと想像できましょう。
 また、もちろんいわゆる「暗黒時代」は観察など自然科学の態度は確かに失われますが、全く学問が停滞していたのではありまん。スコラ哲学*2で人文学の手法やガラス細工などで工芸品の技術は発展していました*3。特に馬具が飛躍的に進歩し、この結果、農業・輸送ともに発展しています。
 この結果、穀物が単なる食べ物から輸出品として貿易の対象になりました。その結果、アラビアの科学が入ってきて、十二世紀ルネサンスにつながっていきました*4。このアリストテレス『動物誌』は結果的にラマルクやダーウィンにまで受け継がれるのです*5。
 もちろん、「ある魚は、泥や砂からも〔自発的に〕発生するし、〔本来〕交接して卵から発生するような類にもそういうものがある」、女性も精液を出すなど現代的に見たら明らかな誤りもあります。しかし、そもそも科学的な正確性を求めてはいけません。そのような情報が欲しいなら最先端の医学論文を読むべきです。科学の古典を読む時には、上記のようにどう受け継がれていったかや、アリストテレスがどのように誤解したかを推察しながら読むべきだと言えましょう。

古代ギリシアの世界観

 もちろん、古代ギリシアの世界観とも大きく関わっています。

女性について

 不妊症は女性が一方的に原因があると考えていました。これは百歩譲って知識が遅れているから仕方がない面もあります。
 しかし、下記の通り説明されています。
 女は同情心に富んでいて、より嫉妬深くて愚痴っぽく、悪口をいったり打擲しやすい。さらに女は男より落胆したり失望しやすく、無恥で嘘つきであり記憶がよく、その上、眠りが浅くて、引っ込み思案で一般に動きが少なく、少食である。(中患)一般に雄は雌より救助心に富み、勇敢である。軟体類さえそうで、雄は雌を助けようとするが、雌は雄が刺されると逃げる。
 アリストテレスばかりではありません。ヘシオドスなどからも窺えるように、女性嫌悪の思想が一般的でした*6。しかし善悪の基準は地域・時代によって変わるので、ひとまず受け入れなければ、アリストテレス(の時代)に寄り添ったとは言えません。
 またこの女性嫌悪の問題と関連するのですが、社会性動物の記述からは人間の行動と動物の行動を併記しているように、人間の世界から動物の世界を類推していたと窺えます。

神話との関係

 例えば、今日では神話をそのまま信用していませんが、古代ギリシアは(恐らく)神話の中に歴史的な真実を見出していたのだろうと推察できます。
 その証拠に動脈の説明にホメロスの一説を持ち出すなど。もちろん、これはアリストテレスがリュケイオンで講義するために書いており*7、馴染み深いように古代ギリシアの娯楽作品を持ち出したのかもしれません。しかし、神話や宗教の一般論として言うなら、どうしてこの世界が〈ある〉のかを説明するための装置でした。例えば、記紀にはどうして日本が生まれたかが書かれていますし、ローマ神話によると、ロームルスとレムスがローマ帝国を健国したと伝えられています*8。そして建国神話は王権の正統性と無関係ではありません。このためには、本気で信じさせなければいけなかったと推察できるでしょう。昨今でもフェイクニュースが為政者の支持を集めるために用いられますが、これと全く同じ理屈です。
 またもう一つは神話とも関わってくるのでしょうが、自然には何か目的があって器官などを作ったり削ったりしたと考えていた点。もちろん、旧約聖書ほど露骨ではないにせよ、例えば目は見るための器官である、耳は音を聞くための器官であると目的論で考えた場合、何らかの「創造主」を想定しなければ辻褄が合いません。「神」と言っても構わないでしょう。アリストテレスも形而上学で第一原因を想定し、これが後にキリスト教の神と同一視されるのです*9。しかし、少なくともアリストテレスが第一原因と言うとき、全ての根源的な原因なので神になりますが、多くの日本人が考えるような現世利益的な神*10ではありません。アリストテレスの目的論も現世利益的な創造主ではなく、言ってみれば存在の原因としての神、なんのためにに目はあるのかを説明するための「神」だと言えましょう。

アリストテレスの問題意識

 しかし、そうは言ってもアリストテレスは神話的な世界からの脱却を図っていたように思います。
 まず最初に動物体を構成する諸部分をあげなければならない。なぜなら動物体を全体として見ても、最も著しい第一の相違点はその部分にあるからで、ある部分の有無とか、位置や配列状態とか(中略)の相違点によって(すなわち、「種的に」「過不足により」、「性状の相反性により」)異なるのである。
 彼の師、プラトンは言わば観念的に死えていましたが、アリストテレスはまず対象物を観察し、この結果から一般的な規則を導き出したのです。観察の姿勢は現代的な見地から言えば比較解剖学の視点が含まれています。ヒポクラテスはヤギの解剖などを行なっているのですが*11、アリストテレスは『政治学』の中で彼について言及しており、影響があったと断定しても構いません*12。またアリストテレスが読んでいたかは解らないのですが、エジプトはミイラを作るために人体解剖学の知識が蓄積されていました*13。
 アリストテレスは自分の観察だけで帰納していったわけではありません。地元の漁師などからの伝聞も多数、集めており今日の観点から言えば玉石混交と言えましょう。もちろん、自然に興味を持っていたのは容易に想像できますが、驚異に、そして、存在そのものに興味を示していたと『形而上学』の記述から窺えます。「ごく身近の不思議な事柄に驚異の念を抱き、それからしだいに少しずつ進んで遥かに大きな事象についても疑念を抱くようになったのである」*14。そして、人間と存在の関係、最終的には〈私〉と存在の関係にまで行き着くと僕は思います。

アリストテレスの限界

 アリストテレスは膨大な種類を観察し、その成果を『動物誌』に現しました。カタツムリの歯舌、イルカの出産に至るまで書き留めています。海中なので当然ながら長居はできない上、わずかな間の出来事に違いありません。本当に奇跡的なタイミング! また、鶏卵を日付順に割って、生物の発生を観察してもいます。
 もちろん、地域的な制約もありました。精々、アジアではインド止まり。ペルシアの記述もあるにはあるのですが下記の通り、正確ではありません。
 ペルシアのある地方では、雌のネズミを切り開くと、雌の胎児は、はらんでいるように見える。ある人々は「ネズミは、たとえ塩をなめていても、交尾しないで受胎する」と主張して譲らない。
 この主張が間違っていると解るのは現代の科学的知識があるからです。したがって、そこは加味するとしても、伝聞の情報しか記録していないということは地理的な限界を現わしていると言えましょう。
 また顕微鏡もないし、深海には潜れません。したがって、深海魚の記述もありませんし、下記の通り珍妙な記述も見られます。
ウナギは泥や湿った土の生に生ずる「大地のはらわた」と称するもの〔ミミズ〕から生ずるのである。また、すでにこれら〔ミミズ〕からウナギが出てくるところもはっきり観察されているし、ミミズを切りきざんだり、切り開いたりすると、ウナギがはっきり見えるのである。
 これは形が似ているので、ミミズはウナギの稚魚だと勘違いしていたのでしょう。そもそもウナギの発生は現代でも詳しく解っていません。中でも混乱させたのが「裂いてみても内部には精管も子宮管〔卵管〕もない」こと。これについては近年になり、「ウナギは晩年にならないと生殖器を発達させない」ことが分かりました*15。つまりアリストテレスは生殖器が発達する前のウナギを観察したと言えましょう。何も解っていなければ、外見から類推するしかありません。
 また上述の通り一部の魚は砂から産まれるなどとも評しています。グルニオンなどは砂の中に卵を産むので*16砂から産まれたように見えたのでしょう。シュメールでも池の中で飼育していましたが、ガラスの飼育施設が誕生するには、当然ながらガラスの製作が可能となってからです。しかも観察のためには、透明でなければいけません。一応、古代メソポタミアでもガラスは作られていましたが、ガラスビーズ*17。紀元前一世紀にようやく、ガラスの器が誕生するのです*18。したがってアリストテレスの時代にはガラスの器などありません。当然ながら水生生物の観察も池での観察が精一杯だったと言えましょう。

アリストテレスの幸運

 しかしアリストテレスは幸運でした。アレクサンドロス大王の家庭教師の一人として「弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた」*19のですが、彼は北はマケドニアから東はインダス川流域まで、そして西は北アフリカの旧カルタゴまで広大な帝国を築き上げたのです。
 その証拠にゾウの記述はかなり正確。
 ゾウは雄も雌も二十齢前に交尾する。雌ゾウは交尾すると、ある人々によれば一年六カ月間、また、ある人によれば、三年間はらんでいる。妊娠期間が人によって一致しないのは、交尾の現場を目撃することが難しいからである。雌ゾウは後脚を折り曲げ、その上にうずくまって産み、苦しむのがよく分かる。子ゾウは生まれると鼻でなく、口で乳を吸い、生まれてすぐ歩くし、目も見える。
 実際は二○ヶ月から二二カ月で子供を産むので*20一八ヶ月から三六ヶ月の間に収まっていると言えましょう。また「二十齢前に交尾をする」とありますが、実際、「二○歳ほどで成獣になる」のです*21。そして東山動植物園の公式You Tubeを見ると「後脚を折り曲げ」ているとも解ります。

ここまで正確だとペルシア地方のネズミとは異なり、伝聞にせよ、かなりゾウに詳しい人から聞いたと言えましょう。そしてギリシアには当然ながら、ゾウはいません。可能性としてあるのは、アフリカゾウか、アジアゾウが考えられます。「アレクサンドロスがインドに侵入した際、ヒュダスペス河畔の戦いで、ポロス率いるパンジャブ王国(パウラヴァ族)側は200頭の戦象を運用した」*22とあるので、アリストテレスはインドゾウを観察していた可能性が極めて高いと言えましょう。動物誌 下 (岩波文庫 青 604-11) アリストテレスの『動物誌』は、王権にとって戦象などの軍事的に利用価値が高かったのかもしれません。

*1 ルクレーティウス『物の本質について』(岩波書店)
*2 Wikipedia「スコラ学
*3 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*4 伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』(岩波書店)
*5 島崎三郎『解説』(アリストテレス『動物誌(下)』岩波書店)
*6 櫻井悠美「古代ギリシアにおける女のイメージ」(『ジェンダー史学 第3号(2007)[on-line])
*7 島崎三郎『解説』(アリストテレス『動物誌(下)』岩波書店)
*8 Wikipedia「ロームルスとレムス
*9 Wikipedia「不動の動者
*10 ギリシャ神話ではアガメムノンがイーピゲネイアを生贄に捧げ、嵐を鎮めさせているように現世利益の側面があった。
*11 Wikipedia「解剖学
*12 Wikipedia「ヒポクラテス
*13 Wikipedia「解剖学
*14 アリストテレス『形而上学(上)』(岩波書店)
*15 「「ウナギは泥から自然発生する生物である」「虫の体内から生えてくる生き物だ」など珍説が飛び交ったウナギの研究史を解説するムービー」(GIGAGINE)
*16 「クサフグの産卵 なぜ波打ち際に集まるのか」(日本経済新聞)
*17 Wikipedia「ガラス
*18 同上。
*19 Wikipedia「アリストテレス
*20 東山動植物園、椙山女学園大学『アジアゾウの誕生〜東山動植物園〜』(SugiyamaUniv)
*21 Wikipedia「ゾウ
*22 Wikipedia「戦象



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織田作之助『夫婦善哉 正続 他十二篇』(岩波書店)

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夫婦善哉 正続 他十二篇 (岩波文庫)

あらすじ

 蝶子の家は天麩羅屋を営なんでいるが、借金取りに追われている。彼女は家計を助けるため、小学校を卒業した後、古着屋へ女中奉公に出た。しかし、半年で辞め、芸者の下働きを得る。十七歳になると本人も芸者になり、人気を博すが、妻子持ちの若旦那、柳吉と出会って三ヶ月で駆け落ち。柳吉は実家から勘当され、妻からも離縁される。
 しかし、柳吉は定職にもつかず、蝶子を芸者で働かせては競馬や飲酒にうつつを抜かしていた。蝶子は正式な夫と父親に紹介したいので、真人間に更生しようとするが……。

はじめに

 僕は大学で文芸学科に在籍。小説の書き方を学んでいたのですが、ゼミでは評論を学びました。そこで志賀直哉、谷崎潤一郎、夏目漱石、太宰治など明治・大正・昭和初期の小説を中心に読解します。つまり、織田作之助は本来なら当然、読んでてもおかしくないのですが、なにせ、好みは海外文学。そろそろ、日本の純文学にも手を出さないと……。こんな妙なプライドもあり、『TEN』の参考も兼ねて、図書館から借りてきました。
 織田作之助と言えば、今となっては音信不通ですが、仲良しだったマイミクさんが好きな作家でした。

方言

 この短篇集を読んで、方言が多いと最初に感じました。例えば、柳吉が競馬にうつつを抜かしている時には、「なにかにせェ、男には道楽というもんがなけりゃならんもんや」と蝶子に言い訳をしています。もちろん大阪が舞台なので当然なのですが、ご存じの通り、明治に入ると、江戸弁をもとに標準語が作られ、学校教育でもこれが教えられました。方言撲滅論まで出る始末*1。
ことばの統一、すなわち標準語の普及は、同時に、方言を抹殺する方向へと進んでいった。方言は国家統一を阻むもの、社会の悪とも言われるようになった。その社会悪を排除するのが標準語教育であり、「方言撲滅」が国語教育における主務となっていったのである。
 さすがにこれは暴論だと言われ、昭和15年に方言の共存を模索し始めます。この年、夫婦善哉が書かれているのです。
 方言と言えば、一戸謙三の「麗日」などが有名ですが、「口笛吹ェで、/裏背戸サ 出はれば/青空ね./凧のぶンぶの音アしてる」と方言詩を多く書いています。また宮沢賢治も方言を生かしながら童話「風の又三郎」を書いています*2。
 もちろん方言も重要なのですが、方言は文化の一端を担う以上、地方文化も含めて残さなければいけないと、織田作之助は感じたのでしょう。解説で佐藤秀明が論じている通り具体的に大阪の風俗、固有名詞などが描かれています*3。
 タイトルの「夫婦善哉」は、法善寺横丁の夫婦善哉を蝶子と柳吉が並んで食べる場面に由来するのですが、これもまた大阪の風物です*4。井原西鶴の影響だと言われていますが*5、方言とともに地域の文化を伝える効果もあったと言えましょう。

反復性

 さて、「夫婦善哉」はある意味で反復していると言えます。本稿で「反復している」と言う時、登場人物が違った行動を取っても同じ結果になることを言います。
1.柳吉の放蕩:柳吉は何度、髪剃屋、果物屋、関東煮屋、カフェなどを営むが、女遊びなどの放蕩が原因で結局は事業に失敗する。また尿路結石ができた際も女遊びで散財する
2.蝶子の芸者:蝶子は柳吉が働かないので、ヤトナ芸者になるが、尿路結石で働けなくなった際もヤトナ芸者になる。柳吉と出会う前にも蝶子は芸者で身を立てている。
3.蝶子と柳吉の関係:惚れているので、いかに口論をしても柳吉のもとに戻る。
4.蝶子の経済状態:父親の種吉も貧乏暮らしであり、柳吉と結婚しても貧乏暮らしをしている。つまり蝶子の貧乏暮らしも「反復」している。
(5.「続 夫婦善哉」では別府に移ったのちも剃刀屋を開業している)
 5.は「続 夫婦善哉」を「夫婦善哉」と同じ作品とみなした時にのみ成立しますが、いずれにせよ「夫婦善哉」では登場人物たちの結末が反復していると言えましょう。
 幼児期の記憶と関係しているので、蝶子と柳吉の関係は柳吉に種吉の面影を見出していたと解釈できましょう。小学校を卒業した後、確かに父親から呼び戻されているとは言えすぐに奉公に出されていたので寂しかったと了解できます。しかもその後、すぐに五十円で奉公に出されていますので、捨てられたと考えても不思議ではないでしょう。柳吉がいくら放蕩三昧をしても許してしまうのは彼に捨てられたくないと思っているからかもしれません。
 柳吉の女遊びは母親の愛情不足だと憶測できましょう。幼児期に満たされずに、母親の温もりを求めて、女遊びをするのですが、もちろん母親そのものではありません。したがって、繰り返してしまうのです。
 加えて繰り返し破滅に突き進んでいるのですから、デストルドーとも関係するのかもしれません。デストルドーとは「自己と他者の区別無く反復強迫的に無意味に生命破壊を目指す」*6でフロイトは戦争の原因としてデストルドーの概念を考えました。
 しかし、フロイトが「反復性」について語るとき人物の行動についてであり、結果についてではありません。つまり、フロイトの理論を使っても、行動の反復は説明できますが、結果の反復が説明でないのです。僕は仏教思想の輪廻と重ねることで結果の反復も説明できるのではないかと思いました。
 通常であれば輪廻は死後の話ですが、「回転する車輪が何度でも同じ場所に戻るように、衆生が三界六道の迷いの世界に生死を繰り返すこと」*7です。そして涅槃が輪廻から解放された状態ですが*8、「この世に人として現れた仏の肉体の死を指すこともあ」*9ります。
 蝶子はガス自殺を試みているのですが、未遂に終わりその後は柳吉と浄瑠璃を演ずるなど反復から脱しているように感じました。もちろん物語上の展開を見れば、蝶子のガス自殺未遂により、改心したと解釈できましょう。しかし仏教の輪廻を当てはめると、ガス自殺により、涅槃に入って輪廻から解放されたと言えるのです。

放浪

 さて、「放浪」はその名の通り順平の放浪記ですが、家父長制との関係が関わってくると言えましょう。

家と〈イエ〉

 順平の人物造形は「夫婦善哉」の柳吉と似ているのですが、家に帰るか帰らないかが決定的な違いと言えましょう。柳吉は家に帰っているのですが、順平は家に帰っていないのです。最後に父親の名前が登場しますが、「順平はかつて父親の康太郎がしていたように、首をかしげて、いつまでもそこに突っ立っていた」とある通り、実際に登場していなければ、順平の回想でもありません。つまり家が希薄なのです。物理的な空間としての家だけではありません。家父長制の象徴としての〈イエ〉も。父親は天皇・政府、子供は臣民に対応させているように、家父長制は国家の縮図として捉えられていました。
 したがって、家からは逃れられても、〈イエ〉からは逃れられません。その証拠に、父親に当たる政府に逮捕されています。家の息苦しさから逃れようとして、結果的により大きな権力に拘束されたのです。

賭博

 この「放浪」には賭博の場面が出てきます。
 その夜オイチョカブの北田にそそのかされて、新世界のある家の二階で四五人のでん公と博打をした。インケツ、ニゾ、サンタ、シスン、ゴケ、ロッポー、ナキネ、オイチョ、カブ、ニゲなどと読み方も教わり、気の無い張り方をすると、「質屋の外に荷ニが降り」とカブが出来、金になった。生まれてはじめてほのぼのとした勝利感を覚え、何かしら自信に胸の血が温った。
 思えば、運に任せて商売もまた、金銭を得る側面があります。とりわけ、北田は普段、「夜更けの盛り場を選んで」絵を売っているのですが、絵は生活必需品ではありません。当然ながら売れる日もあれば売れない日もありましょう。また、「サンデー毎日や週刊朝日の月おくれ、または大阪パックの表紙の発行日を紙ペーパーでこすり消したもの、三冊十五銭で如何にも安いと郊外の住宅を戸別訪問して(中略)売り歩」きもしています。この際、門前払いを食らいもするでしょう。つまり、少なくとも「放浪」においては商売と賭博が密接に結びついているのです。例えば 「俗臭」でも権右衛門は「欧洲大戦が起って、銅、鉄、真鍮などの金属類の相場が鰻上りするのを予想し」ています。
 歴史的に言えば、一九二○年に世界恐慌が、一九二七年に昭和金融恐慌が一九三○年に昭和大恐慌が起きています*10。また戦中はハイパーインフレーションが発生、経済が大混乱に陥りました*11。このような時代背景を考えると、経済活動そのものが運任せ、つまり賭博の要素を含んでいると言えましょう。

独力

 さて「聴雨」は棋士、三吉の話であり、〈語り手〉はこのように書いています。
師匠というものがいなかったので、自分ひとりの頭を絞って将棋を考えだすよりしようがなかったのだ。自然、自分の才能、個性だけを頼りにし、その独自の道を一筋に貫いて、船の舳をもってぐるりとひっくり返すような我流の将棋をつくるようになった。無学、無師匠の上に個性が強すぎたのだ。
 さらに「合理的な近代将棋」とも対比させており、近代の合理性をも信頼していないとも受け取れるでしょう。確かに「俗臭」の権右衛門は独力で商売を行ない、三女を華族にまで嫁がせますが、家柄や金銭を頼っています。しかし、これらの頼みも戦中のハイパーインフレや、戦後の華族解体で没落していきます。もちろん織田作之助はこのころ、華族が解体されるなどとは知るよしもありません。しかし平家の没落などから推論は可能ですし、栄枯盛衰は一般的な日本人です。
 その点から言っても三吉は家柄などを当てにしていないので、権右衛門と一線を画していることは間違いありません。大阪は言うまでもなく古くから商業の中心地として栄えてきました。恐らく、戦中のハイパーインフレーション、経済統制で既存の価値観が信用できなくなった結果、三吉のような登場人物を描いたと解釈できましょう。

*1 金田一春彦他『日本語百科大事典』 (大修館書店)
*2 宮沢賢治「風の又三郎」(宮沢賢治『童話集 風の又三郎 他十八篇』岩波書店)
*3 佐藤秀明「解説」(織田作之助『夫婦善哉 正続 他十二篇』岩波書店)
*4 織田作之助は「大阪を知らない人から、最も大阪的なところを案内してくれといわれたら、法善寺へ連れて行く」と言っている。(Wikipedia「夫婦善哉(小説)
*5 Wikipedia「夫婦善哉(小説)
*6 Wikipedia「デストルドー
*7 精選版 日本国語大辞典「輪廻」[on-line]
*8 Wikipedia「涅槃
*9 同上。
*10 Wikipedia「日本の経済史
*11 同上

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アーダルベルト・シュティフター『水晶 他三篇』(岩波書店)

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水晶 他三篇―石さまざま (岩波文庫)

あらすじ

 コンラートとザンナの兄妹は、母親の遣いで山を越えてミルスドルフまで行くが、帰り道で吹雪に遭遇。遭難してしまった。洞窟の中で土産のコーヒーを飲みながら一夜を過ごすが……。果たして無事に下山できるのか。オーストリアの作家、シュティフターの短篇集『石さまざま』より「水晶」他を訳出。

はじめに

 僕は文芸同人誌『TEN』で一万字程度の小説を借りているのですが、その参考に図書館で借りてきました。
 実はTwitterでフォロワーさんの読了本のうち、少しでも面白そうだと感じたらEvernoteに保存しています。これを何を読もうか迷った際に見て、決めているのですが、シュティフター『水晶』もその一冊。

自然の描写

 表題作の「水晶」は(コンラートとザンナの兄妹にとっては大事件ですが)、三人称視点とも相俟って、大した事件は起こっていないような印象を持ちました。ごくありふれた日常ですが、自然の風景描写が濃密なのもそのように感じた一因だと言えましょう。
 新しい氷の奔流がいわば巨人のようにそそり立ち、アーチ形をした防塁となってやわらかい雪を断ち切にいわば左右の腕をひろげて場をふさいでいた。上は白いおおいに包まれていたが、側面は緑、青、灰色、黒、さらには黄や赤に似た色を見せている。
 物語の展開ではあまり関係がありません。物語の展開だけを見れば、「川」と書けば伝わりますし、その分の文字数を二人の心情描写に割けば話が盛り上がりましょう。しかし描写の簡略化はある意味で「逃げ」のようようなものでもあります。どんな川なのかを具体的に描かなければ、読書は光景を共有できません。しかし、ありふれた言葉で伝えても、読者の認識は変わらないのです。一般論として、比喩などのレトリックは読者を日常から非日常へといざない、認識を変えるために使われます。例えば川とだけ書くと単なる事物ですが、巨人と結びつけ、川の大きさなどが伝わります。そして、自然の気まぐれさも比喩を通じて感じました。
庭に出て、以前と同じように日が美しく照り、菩提樹がかおり、蜜蜂がうなり、そのなかに雪山が柔和な空のように美しく青々と、自分たちを見おろしているのに気づくとき、彼らはいままでよりいっそう真摯な気持でそれをながめることだろう。
 このような一文で〈語り手〉は物語を締めくくりますが、自然と向き合うときの心構えを描きたかったのだと僕は解釈しました。
 このような点を踏まえると、物語の〈語り手〉はコンラートたちの運命より、自然の雄大さを伝えるために「水晶」を語っていると言えましょう。そして、自然の恐ろしさも。目的が違えば、どこを重点的な〈語り〉に据えるかも当然、違ってきます。村人が助けるので、ご都合主義だと思われるかもしれませんが、人情を描きたかったと考えると、この結末も了解可能だと言えましょう。

心温まる話

 この人情は「水晶」のみならず収録作全編に言えます。

みかげ石

 例えば「みかげ石」は〈語り手〉のわたしの回想録。さいころのような石に並んで座りながら祖父の回想を聞いて、その思い出を語っています。祖父からペスト時代の話を聞かされた、と。少女がペストに罹って森で行き倒れになっており、祖父の祖父は看病した後、結婚したと言うのです。
 この物語にもペストという自然の脅威を語り継いでおり、下記の台詞と対照的だと言えましょう。
人間というものは、昔つらかったことをすぐに忘れてしまい、丈夫でいることを神様が当然くださる財産みたいなに考えて、元気なときに無駄づかいしてしまうものじゃ。みんなもう死人がねむっている場所のことは忘れてしまって、ペストという添名を帰々しく口にしている。
 この話は妹の子どもたちが遊んでいる描写で締めくくられます。つまり、祖父の祖父、祖父、〈わたし〉、姪の四世代が直接、間接問わず描かれているのです。この時間的な広さと森の広さは自然(現象)という点でつながっています。
 また、石は「さいころのような形」だと書かれているのですが、さいころは偶然性の象徴だと捉えることもできましょう。そのような点で見た時、まさにペストも人の出会いも偶然だと言えましょう。

「石灰石」

 「石灰石」も〈語り手〉の伝聞です。導入部分の〈語り手〉、わたしとその友人である〈語り手〉のわたしがいるのですが、大部分は友人の〈語り〉で進みます。わたしは測量士としてとある山村に赴任した時に、牧師と知り合います。彼は〈わたし〉が雷雨にあった時、雨宿りをさせてくれた上に泊めてくれたのです。これがきっかけとなり、二人は親交を温めていきます。川を渡る子供たちの見守りを行っているところへ、話し掛けるなど。村から去る時、牧師から願い事を聞いてほしいと頼まれました。牧師は病身。遺書を託されたのです。そして、これまでの生い立ちを語りました。
 ここでも「みかげ石」と同様、病気が描かれています。そして「みかげ石」では治療法が未発見で自然治癒にしか任せるほかありませんでしたが、「石灰石」では牧師の死生観・宗教観から自然治癒に任せようとします。
医者にかかったり薬を飲んだりして手をくわえることは、神をこころみることになる。神は病気をつかわされ、さだめの死をそれにつづかせるのも神のみこころのままだ
 ここでも自然の偶然性が関係してくるのですが、川の氾濫も偶然性が関係しているのは言うまでもありません。橋がかつて大雨で流されたと牧師は遺書の中で語っているのですが、子供たちの安全を確保すべく、貯金を行なっていたと明かされます。この牧師の態度は一見すると矛盾していると思うかもしれません。かたや、病気は自然のなすがままにしておいて、児童の安全確保は手を加えているのです。もちろん、物語上では医療費を貯金に守したいなどの理由が推察できましょう。
 しかし、自然との兼ね合いで考えれば、学校の建設自体は自然を改変していないのです。牧師は自然にできるだけ手を加えない範囲で安全性・利便性を追究したかったのかもしれません。

政治的な背景

 さて、このような人情溢れる物語をどうして書こうとしていたかは、序を読めば手がかりが掴めます。
 最初、人間はまのあたり見えるものに感動し、肉体力の偉大、そしてそれが格闘において、勝利をうることがたたえられた。ついで勇敢さと闘志とがあがめられて、敵の集団にたいしてはげしい感情と情熱をあらわして行動することが目標とされた。(中略)そして最後に諸民族を結びあわせる一つのきずなが望ましいものと考えられるようになった。すなわち一民族のあらゆる添付の力を他民族のそれと交換し、科学を促進して、その財宝をすべての人間の利用に供し、芸術と宗教において、ひたすら高貴にして神聖なものへとみちびくきずながそれである。
 手塚富雄は解説*1の中で、シュティフターの手紙を引用しながら激動の時代だと語っているのですが、上述の文章からも平和への希求が伺えましょう。このように考えていくと、どうして「石乳」で数ある戦争のうちでナポレオン戦争の時代を描いたのかが解ります。この時代、ウィーン体制と呼ばれ、ナポレオン戦争の余波を引きずっていました*2。
 「石乳」ではナポレオン戦争の時代、ある古城に一人の兵士が来ます。そして、城主へピストルを突きつけ、塔に案内するよう命じます。やがてドイツ兵が救援に駆けつけるのですが、数年後、その兵士が謝罪に訪れるというもの。「賠償なんて求めることはありません」と言い、招き入れると、事情を聞くのです。
 実はナポレオン戦争が終結すると、1815年に神聖同盟がロシア、オーストリア、プロイセン、フランスなどの間で結ばれました*3。ロシアもドイツもナポレオンと戦っています。城主の台詞は神聖同盟と重なり合うと言えましょう。

*1 手塚富雄「解説」(シュティフター『水晶 他三篇』岩波書店)
*2 Wikipedia「ウィーン体制
*3 Wikipedia「神聖同盟



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ヘンリー・ローソン『ローソン短篇集』(岩波書店)

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ローソン短篇集 (岩波文庫)

概要

 オーストラリアの国民的作家、ヘンリー・ローソンは20世紀末に活躍した。植民地時代の地方都市、すなわちブッシュを舞台に入植者たちの生活スタイルを描いた。例えば家畜追い、羊毛刈りなどの移動労働者があげられる。もちろん生活スタイルだけではない。メイトシップなどの精神性を、雄大な大自然とともに描いているのである。

はじめに

 以前から図書館の書架付近を何気なく見回して以降、興味はありましたが、なぜかずっと手が出ませんでした。植民地時代のオーストラリアの作家ということすら知らず。名前から英語圏の作家だと推察するばかり。
 それから日は経ち……文芸同人誌、『TEN』に毎回、一万字程度の小説を書いているのですが、その参考に図書館の蔵書で各出版社の短篇集を一覧にしてEvernoteに保存したんです。今回もTENの参考に図書館から借りて読みました。借りる前に一応は予習がてら、ローソンについて調べてようやくオーストラリアの作家だと解った次第。そしてコナン・ドイルと同年代です。シャーロック・ホームズにも「グロリア・スコット号事件」でオーストラリアが度々、話題に上りますが、当時の雰囲気を知ることができます。
 十篇の作品が収録されているのですが、どれもリアリズムの作品です。

ブッシュの生活

 ヘンリー・ローソンはブッシュでの生活スタイルを描いています。ブッシュは日本語に敢えて訳すなら、地方*1。しかし日本で地方と言うと、田園景景を思い浮かべるでしょうが、オーストラリアのブッシュは森林。普通、bushは低木の意味*2ですので、つつじ程度かと想像していたのですが、辞書を改めて引くと、叢林の意もありました*3。ヘンリー・ローソンの小説はこの森林地帯での生活を描いているのです。
 例えば、「家畜追いの妻」では、蛇を棍棒で殺す話。最初、彼女の息子、トミーが蛇を見つけて殺そうとするのですが、失敗に終わります。
 女は自分の運命に満足しているようだ。子供らに愛情を持っているが、それを表に出すひまはない。それで子供らに厳しいように見えるほどだ。環境が素質の「女らしい」ところや感傷的な面を育むのに向いていないのだ。
 もちろん、物語の上では、過酷な環境のせいだと言えましょう。しかし、フロイトの精神分析を使って読みとくと、また違った解釈が成り立つのです。
 棍棒は男性器の象徴であり、それを女性が使うことで男性と女性の両性の側面を持つこととなります。また、父親は禁止を与える役割なのですがが、「悪い言葉を使うんじゃないとなんど言ったらわかるのか、とトミーをたしなめ」ています。
 つまりこの母親は男性性を持つ女性。これにより、ギリシャ神話でいうところの男女*4のような存在となり、自然に立ち向かう力を得たと考えられるのです。この観点で見れば最初、息子が棒で蛇を叩いても死ななかったのは、非力な子供だからではなく、男性だからです。
 またフロイトを用いなくても、棍棒で力いっぱい蛇を叩き潰す女性は、男らしさを感じます。一方で、トミーは男性のはずなのに、蛇の退治に失敗し、弟と一緒の毛布で眠っているのです。弟が不平を母親へ訴えます。
「ママ! トミーがね、棒でゴリゴリするんで痛いよ。外へ出すように言ってよ」
「だまれ、このちび公。へびにかまれたいのか?」
 しかしトミーは弟の護衛よりも自分が恐いから棍棒を持ち込んでいると、僕には思えます。つまり、女性的な男性と男性的な女性が描かれ、最終的には男性的な女性が家を守っているのです。
 穿った見方をすれば、キリスト教において、蛇は誘惑の象徴*5。妻が蛇を殺して、トミーたちを誘惑から守っていると言えるかもしれません。

大自然とともに

 蛇との格闘から見ても解る通り、大自然が描かれています。そして過酷な大自然には死が付き物。

ブッシュの俄か葬儀屋

 例えば、「ブッシュの俄か葬儀屋」はかつての友人、ブラミーの死骸を野原の真ん中で見つけ、弔う話です。
 羊飼いの老人は原住民の墓に興味を持って、牧羊犬に羊の番を任せて、墓を暴きに行きます。その帰りにブラミーの死骸を見つけるのですが、感傷的な部分は下記の場面のみ。
「いわんこっちゃねえ、ブラミー」彼はしみじみと死骸に話しかけた。「しまいにゃどうなるかいつも言ってたじゃねぇか。大ばかたれ。おめえはこの植民地じゃ誰にもまけねえほどの稼ぎ手だった。それなのに、みんな飲んじまうんだ。そんなことしてたら、しまいにゃどうなるか、いつも、言ってたじゃねえか。さあ、これでおめえも思い知ったろ」
 そしてブラミーの死骸からラム酒の酒瓶を拾い、家へ持ち帰ります。忠告しており、家を何度も訪問しているほど親しいのに、湿っぽいところは一切ありません。しかし、友情はひしひしと伝わってくるのです。
 これっきりだから見苦しくねえようにしなきゃなるめえな。なんたっておめえをくたばった羊と同じように野ざらしにしておくわけにゃいかねえからな。
 終盤「思い出が洪水のような押し寄せて来たようで老人はしばしその中にひたり切っていた」などの描写があります。しかしブラミーの死骸は「西部の夏のきびしい炎熱のため、乾燥してミイラとなって」おり、まさに老人とブラミーの関係に当てはまると言えましょう。
 もっと言えば視点人物の老人は名前が出てきていないので、匿名的な人物。しかし、死体はブラミーだと明確に記述されており、ここに匿名性と実名性における価値の逆転が起きているのです。通常、死より生は価値があるので、匿名性と実名性もこれに倣うはずです。死体を掘り起こす、つまり、表面に出すことも相俟って、死が価値を持っているかのように僕には思えます。一方の「老人」は名前が埋没しており、埋葬を連想しました。
 また牧羊犬にも「ファイヴ・ボッブ」と呼んでいる通り、名前があります。つまりこの小説において視点人物にだけ名前がありません。死は自然現象なので、自然は実名性、視点人物は匿名性だとすれば、自然物ほ優位に置かれ、視点人物は劣位に置かれているのです。

「組合葬」

 続く「組合葬」もまた葬儀を扱っているのですが、「ブッシュの俄か葬儀屋」とは異なり、町での出来事を描いています。葬儀の風景を淡々と描写しているのですが、会葬者は視点人物含め、名前が書かれていません。それどころか、任意の葬儀でも同様のことが言えそうです。原題は定冠詞のThe Union Buries Its Deadですが、不定冠詞でも不思議ではありません。
 唯一、埋葬者の名前が「ジェームズ・タイソン」であると解り、この点では、「ブッシュの俄か葬儀屋」と似ていると言えましょう。しかしこれも通り名に過ぎないと解ります。結局、本名は語り手の〈わし〉が忘れたと言い、読書に最後まで明かされません。ここに書いてあるのは単なる匿名的な人物の死だけなので、死だけが確実なものとして描き出されているような印象を受けます。
 この小説では下記の通り突然の死に驚いています。
よい天気ですなって言ったさ。それがこの世におさらばする前のことで、それから一時間もしないうちに死ぬってことが分かってりゃ、もっと気にとめてやったろうに
 しかし、元来、死とは人間に予測できません。したがって死のありのままの姿、つまり、自然の姿を描いていると言えるかもしれません。

メイトシップ

 さて、「心のこもった作り話」も「ブッシュの俄か葬儀屋」と同様、飲みすぎて死亡した男の話。男の名はベーカーと言い、かつての仕事仲間二人が妻に訃報を死らせますが、あえて嘘をつこうと一人が言い出します。曰く「おれたちゃ、生きてる女ばかりじゃなく、死んだ相棒〔ベーカー〕のことも考えてやらにゃならねえんだ」。
 訳者の伊澤龍雄はオーストラリアの精神風土を下記の通り解説します。
 オーストラリアの独自性は、ブッシュに生きる人々(中略)の間に根付いた(中略)平同主義を伴うメイトシップ(相棒精神)にあると考えた。メイトシップはブッシュの過酷な自然の中で生きるための行動の倫理であり、男同士の信頼に基づく助け合いという形ではじまったが、それはヒューマニズムと結びつき(後略)
 確かに「ブッシュの俄か葬儀屋」の老人とブラミー、「心のこもった作り話」のベイカーと二人の相棒などからは、男同士の絆が伺えましょう。この点だけを抜き出せばホモソーシャルと似ています。しかし、ホモソーシャルではしばしば女性蔑視が伴いますが*5、「心のこもった作り話」は妹にだけは真実を伝えている通り、女性を低く見ていません。むしろ男性二人と秘密を共有することで、共同体の一員として受け入れているようにすら思えます。
 このメイトシップの精神は「帽子回し」にこそ描かれていると言えましょう。「帽子回し」は様々な場面で寄付を募る男の話です。寄付金を募るために、帽子が町中を回るのでこの題名。もちろん、寄付金はメイトシップの一例なのですが、帽子と金銭が主役で人間が脇役のような印象を受けました。この辺り、マルクスの疎外論*6と結びつけたら面白いかもしれません。

*1 伊澤龍雄「解説」(ヘンリー・ローソン『ローソン短篇集』(岩波書店)
*2 研究社 新英和中辞典「bush」の項目[on-line]
*3 同上
*4 プラトン『饗宴』(岩波書店)
*5  wikisource「創世記(口語訳)
*6 Wikipedia「疎外


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「ぼく、だいがくいん いったんだ」
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